第35話 命の羅針盤
月のない夜であった。
おばあさんはたったひとりで白鳥のボートを足で
多摩の浦は闇に包まれていた。風が
疲れを感じることもなく、真っ直ぐ蚤ヶ島に向って進んだ。実に静かな夜だった。
「あっ」
とおばあさんが声をあげた。
突然の爆音と光に気づいたのは、浜を出て小一時間がすぎた頃だった。闇夜にいく筋かの光が走り、轟音が響いた。しかしそれはすぐに治った。
「雷だろうか」とおばあさんはつぶやき、また白鳥のボートを漕いだ。
しかし月のない闇夜である。真っ直ぐ進めば蚤ヶ島に着けるはずであるが、潮に流されているかも知れない。
「私はあの子の母親だ」
しかしやはり闇夜の海である。自分の位置が分からない。進むべき方向も定かには分からない。八幡様に
そのときである。闇夜に彗星がひとつ流れた。
おばあさんは
「助かった!」
浜風に漂うようにゆっくりと村の方に流れてゆく彗星の光を羅針盤に反射して蚤ヶ島を照らした。
その瞬間であった。蚤ヶ島から轟音とともに光が一線、おばあさんの白鳥のボートに向け放たれた。光は白鳥に当った。
白鳥の首は取れ、羽根も胴体もばらばらになった。おばあさんは海に投げ出された。「命の羅針盤」を片手で抱え、必死に白鳥の壊れた体にしがみつく。しかし海水は何事もないようにおばあさんの体を冷やし、次第に力を奪っていった。
「駄目だった・・・」
白鳥から手を放し、爆破でできた大波に静かに飲まれてゆく。
「命の羅針盤」には枝子の姿が映っていた。薄れてゆく意識のなかで、少なくともおばあさんには確かにそう見えた。おばあさんはこの瞬間まで枝子を
しかし、沈んでいく。
「ごめんよ。今日までなにもしてやれなかったね・・・」
おばあさんが沈んでゆく。羅針盤には幼い頃の枝子が映っていた。笑顔であった。
「あの子だ」
命だった。それがなければこの世にはなにもなかった。
おばあさんは、枝子を映す「命の羅針盤」を大切に抱えたまま静かに海の闇のなかに消えていった。
(つづく)
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