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宮廷貴族どものなんと卑しきことよ。
土地だ宝玉だ金貨だ美酒だ。
美女だ美男だ少年だ少女だ。
皇帝陛下や我ら騎士は奴らのために世界を征したわけではない。
悲願だ。悲願があるのだ。血に塗れてなお果たさねばならぬ悲願が。
そんなこともわからず大陸中央でこのような政争に明け暮れ、あげくの果てに内乱だ蜂起だと人間同士で殺し合い。
そのうえ、悪神どもから土地を取り返すための遠征から帰ってきた我ら騎士より恩賞を取り上げるために冤罪で死刑にするなどと。
この国は……もはや……。
―秘密書庫より『司書の備忘録に挟まっていた騎士の遺書』から抜粋―
寒々しい夜気にも似た瘴気が俺の身体を凍えさせる。
(冷えるな……少し寒い)
建物と中庭に挟まれた使用人が使うだろう細く寂れた通路を俺は進んでいく。
(デーモンがいないな。使用人型のデーモンもいるんだろうが……いや、そうか。そういうのは
このエリアのもととなったエリザの物語は徹頭徹尾貴族の話であった。
端役ですら、そういうものはいなかった。
だから庭師はいない。会場内で酒だの料理だのを配る、夜会の給仕ぐらいはいるだろうが、この屋敷を維持する使用人のデーモンは、この領域にはいない。
(庭師はいないのに、この道があるのは、まぁ、わからんでもないが……)
矛盾ではない。名失いの暗殺騎士が、
そして俺も、物語と同じように、どうにかしてこの庭から会場に入らなければならないのだが、どうにもその隙が見当たらない。
この夜会の会場にはあちらこちらにデーモンどもの気配が満ちていて、しかもそれらは的確にお互いの死角を補完しあっている。
(ちッ、気休めだが指輪を切り替えてみるか)
指輪の種類を変える。『狡猾な鼠の指輪』と『体力の指輪』へと。
指輪を切り替えれば瞬時にデーモンどもの気配に多少の緩みを感じ、気休めも馬鹿にならないと心のうちで頷く。
『湖の指輪』は袋に仕舞った。信仰を強化する指輪がなくとも問題はない。
今の俺は以前とは違う。『湖の指輪』がなくともそれなりの奇跡が使えるようになっている。
(さて、どこから入ってやろうか……)
目的地は夜会の会場で、その中にいるだろうボスデーモン。
(で、いいんだよな?)
少し考え、建物から身体を背け、庭側へと身体を向けてみる。
この先、花壇や木々の向こうに何かあるのかもと考え、すぐに心の内だけで首を横に振った。
――この先には、何もない。
注視すればすぐに理解できる。
この
この領域、この世界には夜会の会場だけしかない。
中庭の木々の先には何もない。
少しだけ、木々へと足を踏み出し、その先を龍眼で覗いてみれば――。
(……見るんじゃなかった……)
まばらな木々の先には影絵の世界が広がっている。
どこか茫洋として、不安を心に抱かせる作り物の世界。
その先にはデーモンすらいない。
闇の中に浮かび上がる白い紙の道の上を、影絵の馬車たちが走り回る。
馬車は屋敷の前に停車すると、背負っていた箱の扉を開き、巨大な宝石を地面へと吐き出す。
宝石からは服を着た手足が生え、優雅な一礼をして宝石頭の貴族のデーモンが産まれる。
デーモンは踊るような足取りで会場の正面入口から夜会へ参加していく……。
(……気色悪ぃ……)
悪いものを見た。身体の向きを館へと向け、呟く。
「だからまぁ中庭はない。屋敷に向かって強引に突っ切るしかない」
今からデーモンの群れへ俺は突っ込む。心踊る戦いだ。死者の無念を晴らせる戦いだ。
ああして館にデーモンが供給されている以上、大量のデーモンを、尽きることなくやってくるデーモンを相手することになる。
状況は、以前に灰の神殿前の大階段で銅兵のデーモンを相手にしたのと似ている。
だが、決定的に違う部分がある。
敵が強いということだ。
この領域のデーモンどもは連携をしてくる。銅兵どものように俺が相手をできる人数で突っ込んできてくれるわけではない。
騎士のデーモンなれば剣も弓も使うだろう。宝石頭は魔術を使う。そしてそれらは見た全てではない。並々ならぬ敵ども。欠片たりとも油断ならぬ戦場。
だが以前と違う部分は俺にもある。
俺も強くなったということ。
俺は茨剣を袋に仕舞い、ハルバードを取り出した。
武具の損傷を癒やす『満ち欠け』の奇跡がこちらにはある。以前と違って慣れぬ武具を使い潰す真似をしなくていいのだ。
最初から最後までハルバードを使えるということ。それは万軍の味方を得たのに等しい。
(よし、これより戦いに向かう。
アルトロに祈りを捧げ、チコメッコの油脂をナイフで削り、飲み込む。
ついで、油脂をハルバードの刃に塗り、刃の切れ味を万全にする。
肉体と武具を万全に保つ神の脂だ。ふつふつと戦意が湧き上がってきて、俺は口から熱い呼気を吐く。
「くはッ、
◇◆◇◆◇
さて、戦うと決めたが、それでも程よい侵入口は必要で、それを探すべく夜会の会場の壁際に沿って歩けば長櫃を発見する。
「ああ? これはスクロールか? とはいえ内容がわからないと地上に帰るまでは使い道がないな」
入っていたのは巻物だ。強い神秘を感じ取り、俺は首を傾げつつも袋に入れる。
首を傾げたのは『帰還』や『転移』のスクロールとは格というか、種類の違う神秘の気配がしたからだ。
このスクロール、おそらくは賢者の秘奥に相応するものだろう。
「もっとも、俺に使えるかはわからないが……」
マリーンを殺すまでは魔術の類を使うことは難しい。
もっとも、例え倒せても、その知識を正しく俺が拾い上げられるかもわからないが。
怪魚のデーモンのように馴染むまでに時間がかかる類のものかもしれないからだ。
「はッ、先の心配をしても仕方がな――ッ!!」
強烈な殺意が瘴気を揺らす。
長櫃を開き、中を確認する隙を伺っていたのか。
「狼……いや、犬!? いや、犬でもねぇな!! なんだこいつら!! ッ――!?」
耳にきぃん、とした音が響く。うるせぇ! 俺を見つけ、三頭が一塊となって突っ込んできた宝石頭の犬のデーモンの頭が強く振動していた。
音に反応し、殺意が空間に広がっていく。壁越しにガシャガシャという騎士デーモンどもの走る音が聞こえる。
それは先のような探す動きではない。明確な移動。
――俺の位置が
未来の脅威を考えている暇ではなかった。俺へと飛びかからんとする宝石犬の宝石頭が砕けたように上下に広がった。そこに現れるのは人間の肉ぐらいならば容易く
「珍しいものを見た気分だッ! いい気分じゃねぇがなぁッ!!」
叫びながら辺境に生きる英雄たちの魂で+9にまで強化されたハルバードを一振りすれば、頭部だけ宝石の犬のデーモンの身体が、三体ともまとめて砕け散って地面に散らばる。
「はッ、いまさら犬型のデーモンに遅れを取る俺ではないぞ」
だが……巨大な宝石頭の犬だと? 鳴き声もおかしかった。
固有種か。宝石頭のデーモンどもは、どの伝承にも聞いたことがない異形だ。
「……魚だの蟲人だの植物だのと、ここに現れるデーモンどもは珍しい類であってもなくはなかった。だが、宝石頭……?」
デーモンどもは悪意の塊で、人の理解の外の住人だ。
だがしかし、奴らはあれで合理の塊でもある。土地の影響や捧げられた歪な悪意、人間へ与える恐怖の形、それらを練り上げて自らや配下の身体を作り上げる。
人に恐怖と不快感を与える。それを念頭にして奴らが肉体を形成する以上、そこに意味がないなんてことはないのだ。
この宝石頭になんの意味が? 驚くことは驚くが、慣れれば少し眩しい程度の視覚効果しかないというのに。
強烈な違和感が、やはりこの会場には漂っている。
「……っと、考え込んでる暇はないな」
地面に落ちた銀貨を拾い、俺は建物の壁に沿って、夜気の瘴気で凍えるこの領域を駆ける。
すぐに騎士のデーモンどもが来るぞ。この夜会、貴族の催しを原型としているようで、それに伴って護衛の質も見ればわかる程度に良い。
(おそらく騎士のデーモンはとてつもなく高貴な身分の者の近衛……あ? いや、そうか。そうなるのか?)
頭に浮かぶのは、統率者の存在だ。
護衛の質や、この領域が原型としている物語から考えて、この領域には四騎士とは別に、夜会の主催者たるデーモンがいる。
それはボスではない。夜会の主はエリザの物語の登場人物ではあるが、端役であり、ただの
(ただ、そいつはボスじゃねぇから、殺さなくてもいいんだが……)
極論、この場のデーモンの一体も殺さずとも、ボスデーモンだけ殺せれば俺の目的は果たせるが……。
立ち止まる。
迷い迷って夜会会場への正面入口へとたどり着いてしまった。
もっとも、そこは騎士と宝石頭で溢れていて、そこから溢れた連中が俺が様子を伺うこの場所に歩いてくるところだが。
――
近衛は雑魚ではない。
大陸の王城に滞在していたときのことだ。
近衛は王都の置き石などという呼び方がされ、貴族どもから馬鹿にされているのを見たが、そんなことはない。
戦闘経験の少なさは置いておいても、優れた武具を与えられ、食事の質で基礎的な能力を底上げされ、また良質な師によって豊富な鍛錬を積んだ彼らは、良い身分に据え置かれていることから性根がいくらか腐っていても、辺境人の俺をして、一人ひとりが
ただ、現代でもそれなりを維持できている近衛が、4000年前の大陸の近衛であるならば……。
先の考えが頭をよぎる。
デーモンを一体も殺さずとも、ボスさえ殺せば俺の目的は達成できる?
ハルバードの柄を強く握った。
(それじゃつまらねぇんだよな)
駆け出す。騎士と宝石頭のデーモンのコンビがそこにはいる。
「とりあえず、お前らから死ね」
正面から突っ込むのは自殺行為だが、それでもうまくやれば突破できるかもしれなかった。
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