188
その日は珍しい悪夢を見た。
「どうした? キース」
裸体を寝具で隠した
中庭で待ち構えていた息子と娘の頭を撫で、服を着ろと文句を言ってくる女官どもを無視しながら俺は夢の内容を思い出す。
それは幼い日の記憶だ。
両親の最期。村の宿屋に俺を置いて、少し先の村へ農具を売ってくると両親は荷物を背負って出ていった。
訃報が届いたのはその少しあとだ。
予定の時間になっても二人が帰ってこず、先の村からも両親は来ていないと連絡があり、俺の扱いに困った宿の主人が村の人間と一緒に探しに行き、山越えの途中で父親と母親の聖印を見つけた。
死体は残っていなかった。聖印を除いた遺品もだ。
そして残された聖印は死体のない両親がアンデッドにならないよう、霊を慰めるための祝福に使われた。
払う金のない俺は宿を追い出された。行くあてはなかった。行商人である両親の親類縁者を俺は知らない。あの二人はそのあたりのことは話さなかった。何か事情があったのかもしれない。わからない。
行く宛はなかった。だが今ならばきっと神殿に行っただろう。司祭様はあれで慈悲深い。事情を聞けば神殿の孤児院に送ってくれただろう。
(信仰はないから、それなりに知恵がついたら追い出されたかもしれないが、それでも生きることはできたはずだ)
頼りになる庇護者もなく、空腹だった俺は狩人のイオニダス爺さんの目を盗んで山へと入り、土を食っては吐き出し、食えない果実を食っては吐き出し、キノコを食って毒にあたって死にかけた。
死にかけの俺。霞む視界。絶望だけが俺の心を支配し、神を呪い、どうしてこんな目にあうのかと喚き散らす俺を。
「童よ。その甲高い声は我が耳に響く。森番のイオニダスは何をしておるのか」
――爺が見つけたのだ。
◇◆◇◆◇
議場でオーキッドは頭を抱えていた。
「おい、山で作業員がそれなりに死んでいるぞ」「原因究明のために騎士を派遣しただろう? 報告は?」「下手人は相当ずる賢く強いデーモンのようですぞ」「特徴は、弓の名手、辺境人の耐性を貫く毒矢の使い手、森番の目からも逃れる隠蔽の技術持ち、狼のデーモンを連れていたとの報告も」「複数人で行けば必ず隠れ、少数の達人では返り討ちに遭うと?」「森番のイオニダスが言うには、4000年の昔から山に潜むデーモンであるとか」「軍で山岳兵の経験もあるエルフを向かわせてみたが翌日死体が吊るされた」
都市開発は進んでいる。農地改革も順調だ。
帰還の間だけキースから貸し与えられたチコメッコの神器を祭具として増幅の呪術を用いることにも成功し、肥沃の神の神殿の建設や神殿本部に対して司祭の派遣も要請できた。
吟遊詩人や芸人の一座に頼み、腹一杯食べられる、農地を与えるという噂を流し、流民や貧した各地の村々から移住者も流れ込んできている。
同時に潜り込んでくる悪神の信徒も巡回の騎士たちを増強し、また侠客の頭目たちを懐柔することで防ぐことに成功した。
最近はどうしてか今まで頑なだった商人ギルドの人間たちが良心的な価格で商品流通に協力してくれるようにもなり、大商人たちが都市に邸宅を建てたいとの要請もあって、景気もよくなっている。
順調だと思われたこのときに、都市で使う材木を切り出していた山で作業員の死亡が相次ぐようになった。
(これで怯えてくれればまだいいんだがな……)
人が死んだ程度では怯むことのない辺境人たちは次々と
襲撃されたのは腕自慢ばかりだったからか死者は少ないものの、強力な毒で作られた毒矢は被害者の心身を参らせていた。
「それで貴公らはどうするつもりだ? 材木に貯蓄はあるがこのままでは足りなくなるぞ」
オーキッドは円卓に座る議員たちへ横柄な女領主の態度で問いかけた。
適化薬を飲んで神秘への耐性を得ただけの大陸人であるオーキッドからすれば、彼らの方が生物としては上位者なので平身低頭してもいいのだが性根が蛮人である彼らに舐められると健全な都市運営ができなくなる。
主人の留守を預かる横柄な女主人。それがこの場でのオーキッドの演ずるべき役割だった。
「どうする? 儂が行くか?」「お主が行ったら誰が都市の巡回警備をする? 最近はアレがきとるじゃろ」「闇火神の眷属だろう。大物だぞ。いいな。何人も死ぬぞ。名の上げがいがある!」
(そっちもそっちで頭が痛いというのに……)
大陸なら滅亡しかねない神敵の名を獲物のように語る楽しげな声にオーキッドは頭を抱えたくなる。
そんなオーキッドにセントラル村の元村長から声がかかった。
「では儂の息子を行かせましょう」
「貴公の息子……帰ってきてたのか?」
「聖衣とハルバード持ち。軍で部隊長格のデーモンも殺している。自慢の息子です」
ふむ、と都市拡大の成果としてゼウレから授かった
任命書だ。村長が根回しを行ったのかすでにできている。
(狸め。最初からこの流れだったな?)
辺境人にもこのような輩がいる。夫のような辺境人ばかりだと思っていたオーキッドは最初は面食らったものの、今は慣れた。
「ふん。では貴公の息子に命じよう。あとで執務室に呼ぶように。この任命書をくれてやるからな」
「ありがたき幸せ」
わははがははという声。オーキッドは薄暗い目で議員たちを眺める。
誰も彼もが強力無比な戦士にして、権謀術数を操る狸どもである。
(もっとも、こいつらはまだマシだ。もっと怖いのは)
――聖女たち。
長き時を生きる女狐ども。神の地上の代弁者。我が愛すべき夫を翻弄する化物ども。
◇◆◇◆◇
手土産片手に山に入る道の脇に作られた狩人小屋を覗けば、弓の手入れをしている老人がいる。
イオニダスの爺さんだ。
「む。これはこれは領主どの」
「やめてくれ。名ばかりの領主だぜ? 功績は全部妻のもんだ」
ひひひ、そうかいそうかいキース坊やとイオニダスの爺さんは嗄れた声で言う。
「オーキッドの嬢ちゃんの功績か。確かに。よく働く賢い嫁を貰ったなキース坊や」
とはいえ、歳だけ重ねた魔物どもの相手は可哀そうじゃのと楽しげな爺さんに俺は呆れるしかない。
「わかってんならアンタからもなんとか言ってやれ」
「なに、敵の方が歳も食っとるし、悪辣で厄介じゃてな。まだ優しい爺婆で慣らしておいた方がええ」
ふん、と俺は鼻を鳴らすと、月の神の神器たる月光雪酒で満たした酒壺を狩人にして森番の爺さんに差し入れし、森に入っていいか問うた。
「いいが。今は少し危険じゃぞ? 村の拡張で人が増えたせいか、森に潜むデーモンどもも活発化しておる。毎日狩り殺してはおるが、悪神の信徒も入り込んでおるしの」
「村じゃなくて都市だろうが」
「儂にとっては村じゃ。今も昔もな」
そうかい、と頑固な爺さんに俺は肩を竦める。
「夜には都市に戻る」
「了解した。領主どの。あんたに森と秘術の神リヴェルの加護があらんことを」
「あんたにもな。森番イオニダス」
そうして、幼き頃に一度だけ無断で踏み入った山へ俺は入るのだった。
◇◆◇◆◇
「オーキッド領主代理殿。入ります」
「君は?」
脇に立っていた文官にサインをした書類を渡したオーキッドは眼の前に立つ男を見た。
あの村長には似ても似つかぬ美形の偉丈夫だった。立ち振舞いにも隙がなく、女たちが騒ぎそうな美男であった。
「元村長の息子です。名をヴェインといいます。軍では部隊を率いたこともあります。どうかお見知りおきを」
「そうか。任命書は用意してある。持っていくがいい」
「ありがたく承ります」
「ああ。うまくやってくれ。一端の戦士を心配するのもなんだが、無理なら逃げてきたまえ」
そう言えばくすり、とヴェインに微笑まれオーキッドは不快そうに「なんだ? なにかおかしかったかね?」と問う。
「いえ、貴女のような人が
「我が夫にしてこの都市の領主を侮辱するつもりなら貴公に厳罰を与えねばならないが?」
「いえ、本当に意外だと思っただけです。失礼しました」
頭を下げて執務室を出ていこうとするヴェインに向かってオーキッドはふと思ったことを聞く。
「そうだ。夫は君から見てどうだった?」
今まで誰にも聞いたことはなかった。それを聞いたのは、今朝の
「どう、とは? 具体的に」
ヴェインは薄っすらと笑っている。微笑むようなそれはあの元村長の男に似ていた。他人を見透かすのに慣れている目。対応を間違えれば弱みを握られるなとオーキッドは思う。
もっともヴェインのそれは聖女たちに比べれば、こうしてオーキッドに見透かしていることを見抜かれている時点で青臭い。
「そうだな。正直な感想を言ってくれればいい。夫はどうにも村人たちからそれほどよく思われていなかったらしく、誰も良くは言わないのだ」
「それはまぁ
「贄? なんだ? 物騒だなおい」
「鉄の爺さん……ああ、キースの育て親のことです。本名は私も知りません。村人からは鉄の人とか鉄爺とか言われていた老人がいたんですよ。キースは彼への贄と……私の父は」
だから深く関わるなと言われていましてね、とヴェインは言う。
「何者なんだ? その鉄の人とは」
村については調べてある。その地下に隠されたものを除けば、セントラル村自体は辺境によくある村でしかない。
発展性がある土地にあるものの周辺に潜む敵の強大さやノウハウがないために発展できなかった村で、それをオーキッドは大陸の農耕技術やエルフ、侠客、神殿の協力を受けて発展させてきた。
周辺の問題は根深いものも多く、森や山に潜む魔や地元の化物などもおり、それらを退治したり和解したり懐柔したりと随分と手を焼いてきていた。
鉄の人は死んでいるためか、そんなオーキッドも聞いたことのない話だった。
「さぁ? おそらく父もよくは知りません。鉄の人は正体を探られるのを嫌がっていました。……そうですね。彼については寿命の長い
(寿命の長いエルフしか正体を知らない? どんな化物だ。それにあの納屋……あれは、結局なんなんだ? 姉はダンジョンだと手紙に書いていた。だが夫はもっとおぞましいものだと、エリザの物語、神聖帝国の闇が詰まった触れてはならぬものだと……。そして贄だと? なんのための? 封印を守っていたのか? ならばなぜ鉄の人は死んだ?)
「領主代行殿?」
「いや、なんでもない」
「そうですか。話を戻しますが、キースについては、そうですね。あいつが、いえ、
ヴェインは「私を含め」と自分を指さしながら。
「辺境人の男は命をかっこよく捨てたい癖みたいなものがあるのですが、それにも限度があります。ですが彼の心には生い立ちや育ちの影響もあり、柱となるものがなかった。だから自分の命に重みを持っていない。だから武人としても弱い。弱かった。今はわかりませんがね」
今はどうだろう、とオーキッドは考え、キースの武は強いが、やはり命に対する執着は薄いのだろうなと思った。
「
私があのキースと言ったのはそういう意味です、とヴェインはそこまで言ってから「戦士がくだらないことを語りすぎましたね」と自嘲するように笑った。
「いや、参考になった。ありがとう」
「そうですか。よかったです。ではデーモンを狩ってきます」
探索も含めて数日かかります、とヴェインが去っていく。
ヴェインの言葉はオーキッドに納得を与えていた。
(……私は、そうだ……)
先日キースが地下でドワーフの長老と酒盛りをして帰ってこなかった。
戻ってきたキースを見てオーキッドが泣いたのは、そのときにキースがオーキッドに何も言わず戦いに赴いたからだと、ダンジョンに潜ったからだと思ってしまったからだ。
(私もキースを信じきれていない。私の聖衣が聖女の血や姉の亡霊に劣るのはきっとそのせいだ)
「オーキッド様? こちら、次の決済書類ですが」
沈黙するオーキッドに控えていた文官が書類を差し出してくる。
「君、今日は夫に手料理を振る舞うからな。少し作業ペースを早めるぞ」
ええ!? という文官にオーキッドは羽ペンを手にとって、さぁどうしよう、と考える。
夫はなんでも美味しそうに食べるが、何が好きだろうか。
それを考えるのは、少し楽しかった。
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