ダベンポート 神殿都市セントラル(1)

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 山脈断ちのオーロラ。帝王チルディ1世に仕える偉大なる四騎士の一人は困った顔でエリザに言いました。

「我が愛剣がどこかに消えてしまってね。探しているんだ」

「わかったわ。私が探してあげる!」

 エリザは微笑んで騎士の悩みを引き受けました。

 もちろん彼女には自信があります。

 辺境の厳しき神殿の生活で、彼女は失せ物を探す星の奇跡を司祭様より教わっています。

「さぁさ星神。道標の神。月の光を発する巨剣、ムーンライトの在り処はどこに?」

 導くように城を照らす星の光。

 その道筋は王城チルディ9の地下牢獄へと続いております。

「おかしいね。私はそんなところに行った覚えはないんだが」

「わかったわ! これはデーモンの仕業よ!」

 辺境では多くの困りごとはだいたいデーモンのせいでした。

 手慣れたエリザは、私に任せて、と地下への道を駆け出します。

 そんな姫君を大剣の騎士は困ったように追いかけるのでした。


       ―――泣き虫姫エリザ 白の部 第九編『大剣の騎士と冷たき月光』



 耳に鍛冶の、甲高い鉄を叩く音が届く。

(神殿前広場か……)

 転移は成功した。死なずに済んだ。だが……。

 目は開いたままだった。ただし、月の明かりにも似た斬撃を至近距離で直視した影響が出ている。

 視界がぼやけたように見えなくなっていた。

 ただし、ぼやけた視界でも物の輪郭程度はわかる。

 聖域に転移したが、ここは一応ダンジョンの前だ。警戒しながら周囲に目をやった。

(傍に誰かいる)

 襲っては来ない。危険ではない、と思うが……。

 小柄な身長の誰かがいる。他に誰かいる、のか? 2人? 3人? 駄目だ。ぼやけて何もわからん。回復するまで目は捨てる。

 瞼を閉じた。気配と呼吸音で聞き分けよう。

「はい。聖なる祝福を与えました。これで大丈夫ですよ。懐かしき妹。星神の愛した娘」

「……あり、がとうございます。エリノーラお姉さま」

「礼は結構です。懐かしい夢のような妹。よくぞその欠陥だらけの呪法でそこまで再生することができましたね」

「運によるところです。それで、その、私はあとどれぐらい?」

「さてはて、明日か、明後日か、それとも一年後か、もしかしたら永遠かもしれません」

「そう、ですか……」

 沈黙。

 さて、このぐらいだろうか? 目を開く。光で潰された視力は回復した。目を開けば4人の人間がいた。


 『聖撃の聖女』エリノーラ・D・リトルロック。

 聖女エリノーラ付きのいつもの枢機卿猊下。

 『斥力の聖女』カウス・C・アウストラリス

 下男テイラー。

 

 下男は倒れている。どす黒い瘴気の汚染は聖域にいるせいか抑えられている。

(だがこの規模の汚染だからな。こいつはただの大陸人だ。もはや目覚めることはないだろう……)

 テイラーはもう生命が保てるかも怪しい。

 だが、これほど汚染された大陸人だ。地上に出せば辺境人の嗅覚に引っかかって殺されるだろう。

 2人の聖女はテイラーには目も向けない。枢機卿は2人の聖女を見ている。

 彼らのうちの誰かが助けるとでも言えば、恐らく助かる生命だろうが……。期待はできないな。

(つーかそもそも俺は他人の心配をしてる場合じゃない)

 とにかく、生き残れた。息を吐いた。

(あれは勝てんな……)

 飛ぶ斬撃は厄介だったがそれよりも注目すべきは剣の振りだ。ひと目で理解したわかった。あの一刀にどれだけの技術が込められていたか、デーモンを褒めるのは屈辱だが、元となった人物が人物だ。

 『山脈断ちのオーロラ』。四騎士の一人。万のデーモンと戦い抜いた偉大なる騎士。

 あれこそまさしく神技だ。振り、狙い、全てが完璧。

 逃げる準備をしていてなお、殺されると思わされたあの一刀。

 ちりちりと背筋に寒気を与えてきたあの威圧。

 あれが俺に向かって剣を振るったあの時、俺は斬られたと思った。勝てないと思わされた。

(だが、勝たねばならない。あれを打倒しなければ破壊神を殺すなどただの夢想だ)

 ふと気づく。奇妙に静かだった。疑問に思い、2人の聖女に目を向けた。2人が俺を見ていた。格別に美しい顔が並んでいる。ここにデーモンはいない。不敬だろうと思い俺は兜を脱ぐ。面頬を取り出して顔を隠そうとすれば「キース、なぜわざわざ面頬を? 無礼ですよ」と冷たい声で聖女エリノーラに言われた。

 リリーの皮膚は張り付いたままだ。醜面故お目汚しになる、と言おうかと思ったが抗弁するのかと怒られるだけかもしれない。

(……というか、怒ってるのか?)

 数千年ぶりの再会だろうに、聖女カウスもどこか気まずそうだった。俺にどうにか機嫌をとるように、との視線を向けてくる。

(無茶を言うな)

 枢機卿が口を開く。

「セントラル卿。ひとまず鎧を脱いでは如何か? せっかく戻ってきたのだ。そのままでは心休まらぬであろう。そこの、む、倒れておるのか」

 テイラーになにかさせようとしたのか、初めて目を向けた枢機卿が汚物でも見るようにテイラーを見る。

 その目で理解する。この人たちは、恐らくテイラーのためには働かないだろう。

 二度と元の偽聖女の意思を復活させたくないのだろう。聖女カウスは頭痛を堪えるようにテイラーから目を逸らした。

 仕方なし、と俺は聖女様たちに向けて跪こうとした身体を押し留め、テイラーへと向かう。

 俺に浄化の奇跡は使えないが聖水ならあるのだ。

(あまり褒められた使い方ではないが……)

 こんなことの為に持たされたものではないことは俺が一番理解している。袋から浄化特化の聖水を取り出せば、枢機卿が咎めるようになにかを言おうとしたところで聖女エリノーラが「いいのです」と止めた。

 驚いたように俺は聖女エリノーラを見る。

「どうぞ。続けなさい」

 聖女エリノーラはなんでもない顔で俺を見ている。

「その、怒らない、のですか?」

 この聖水は聖女エリノーラが作ったものだ。それをこんな塵芥のような大陸人を助けるために使う。気を悪くして当然だと思う。だが聖女エリノーラはなんでもない顔をしていた。気を悪くした様子もない。否、むしろ、微笑んでいる。俺の行動を好ましく思っている? 大陸人である下男テイラーを助けることが、この聖女様の御心に沿う?

カルマの調整でしょう? キースは大したものです。カルマの悪化は瘴気が深くなればなるほど魂への圧力として影響を持ちますからね。面倒でも善行はできうる限り積んでおいた方がいい。エルフ、聖女、ヤマの眷属への助力、他者の所持品の返還、キース、貴方は正しいことをしていますよ」

 その言葉に心はない。機能を語っているような感触。

 やはりこの聖女様は、聖女・・なのだ。神なる視点を持っていると思わされる。

「あー、聖女エリノーラ。私はそういう意味で助けているのではありません」

 反論するのは恐ろしい。だが、言いたかった。俺は、ただ、単純に。

 テイラーの口に聖水を含ませ、服を脱がせると瘴気に汚染された箇所を聖水を含ませた布で拭っていく。

「この大陸人。せっかく地上に戻れたのだから、ここで死ななくてもいいんじゃないか、と思っただけです」

 この土の下には、死が溢れていた。

 死者しかいなかった。

 俺がダンジョンで誰かを助けるのは結局のところ、それが理由だ。

 時折この世界で生きているのは自分だけという勘違いをしてしまいそうになる。

 時折自分もまるで死者の一人になってしまったような感慨に耽ることがある。

 生者と会えた瞬間の、溢れる安堵に勝る喜びはない。

 面倒でも俺が困っている生者を助けるのはそのためだ。

 俺の心の天秤は、このダンジョンの中では最初から水平ではないのだ。

 自分が生者だと、人なのだと、そう思うためだけの……。

「ええ、その人らしさ。重要なことですよキース。忘れてはなりません。泣き姫の呪歌の通りになさい。大賢者マリーンの言葉に従うのは業腹でしょうが、あの罪人がわざわざ仕掛け道ダンジョンの攻略法を遺したからには、それが一番なのでしょう」

(どう、いう……?)

 ぽかんと、俺や枢機卿、聖女カウスが聖女エリノーラを見つめる。

「エリノーラお姉さまは、ここを?」

「いえ、私は知りませんでしたよ。辺境を狙う脅威はたくさんありますからね。わざわざ龍の守る穴蔵を調べようとは思いませんでした。ここを知ったのはキースが攻略を始めてからですよ」

 それに、と聖女エリノーラは苦笑した。

「私がここを早期に知ったなら、全ては破綻していたでしょうね。恐らく辺境・・は敗北したでしょう」

「聖女様、何を物騒な」

 枢機卿の言葉に聖女エリノーラは含みのある視線で俺を見る。

「キース。貴方に会えて私はよかった。この長き生の退屈は、貴方の活躍の痛快さでだいぶ慰められました」

「聖女様、あまりそのような……」

「いいではないですか。あまりに長く生き続けるとここがおかしくなってきますからね。神の寿命に、人の感性を与えられた以上は仕方がないことですが」

 死んでお父様ゼウレのお傍にいけるお前が羨ましいと聖女エリノーラは枢機卿を睨む。

「今回、貴方に会いに来たのはその為です。私は常に・・キースを見ていますが、直接会いたかった」

 当初の機嫌の悪さはどこにいったのか。嬉しそうに立ち上がる聖女エリノーラ。枢機卿がため息を吐きながらその傍らに立つ。

「ただ、もう少し頻繁に帰ってきなさい。貴方の妻が寂しがっていましたよ」

 転移の奇跡で去っていくその姿を見送りながら俺はあっけにとられ――


 ――『キース。忠実なる私の信徒。デーモンと化したかつての私の信徒オーロラを滅ぼしなさい。早急に』


 直後の月神アルトロの神託に、頭を抱えるのだった。


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