086
「糞、身体が重い!!」
等価交換の術式。
価値相応の物品を神に捧げる事で他者の支配権を得る、商業神が持つ権能の一つだ。
水中をとてつもない速度で突っ込んでくる偽物の硬貨を盾で弾きながら――死魚と違い追尾性を与えられた偽硬貨たちは盾をすり抜けガツンガツンと鎧に直撃する――内部への衝撃に耐えつつ――思考する。
(徐々に支配の奇跡の影響は薄れているが、まさか
貨幣による魂の支配。
効果だけを聞けば有用に思われる奇跡だ。
しかし、こんなもの普通は使われない。まともな商人なら絶対に
なぜなら善良な辺境人の魂を強制的に支配することは死後のヤマの裁判で不利に働くからだ。双方の合意でもなければ如何なる理由があろうと許されることではない。
故に、支配契約については書式を用意し、双方の同意、または魂の穢れた罪人相手に行われるのが通常。
俺は重い身体を動かし、
(持久戦はまずい。短期で決着を着けなければッ!!)
ほッほッほッと巫山戯た嗤い声を上げる石像は俺から逃げるように身体を動かすと袋の中の偽硬貨をばら撒きながら壁を蹴るように上方へと移動しつつ、再びの等価交換の術式を行う。
「ぐぅッ!!」
マスクの内側に呻きが満ちる。
懐より取り出したナイフにオーラを込めて投げつけるもボスデーモン相手ではあの程度のナイフなんの牽制にもなりやしない。
俺の微かな抵抗など全く気にもしない石像による術式が完成し、俺の身体に再びの負荷がかかる。
(ぐ……ぐぉおお!! 俺が、俺の出自を悔しく思うなど、初めてだぞコラぁ!!)
こうして俺は容易くハメられる等価交換だが、もしこの場にリリーがいたならば、この術式にリリーは掛からなかっただろう。
なぜならリリーは貴族だからだ。
出自だ。全ては出自が問題だった。いや、正確に言うならば身分か。
貴族、騎士。所謂上位の階位を持つ貴種には、商人の扱う等価交換の術式は通用しない。
商人より偉い貴族や騎士は商人の金では動かせない。
「ぐッ、らぁッ!!」
疲労にも似たずっしりとした重みを全身に感じながら俺はマスクの中で吼える。
貴族は掛からぬ等価交換の術式。しかし俺のような農民であるなら別だ。俺の身分が奴隷でなく、正当なる国家の民である以上は魂を売り飛ばす術式に最低限は抗うことはできるが、それ以上はどうにも難しい。
全ては身分が問題だった。商人のデーモンである奴の『鑑定』は俺の価値を正確に計り、金で動かせる身分だと看破している。
術式に対して俺の性格は考慮されない。
俺自身が金で動くまいと思っていても、術式は俺を逃さない。
最も、合意のない契約術式だ。合意のない術式難易度はかなり増す。故に、恐らくは両者の合意がなくとも契約できてしまう詐欺のような術式を織り交ぜているに間違いはないのだろうが。術式知識の不足している俺にはそれの特定はできない。
(合意と効果から見て恐らくは『身体を動かすな』程度の労働契約の一種だろうが)
この辺りは学識の問題だ。商人のデーモンの奇跡の術式を見破れればそれを破棄させる術式も作れたのかもしれないが……。
(無理か。そもそも俺はそういった術式の作れる術士じゃあない)
俺の武器は魔術や奇跡ではなく、肉体だ。
だから、こうやってハメられたなら、知能で抗うことを考える前に、肉体の技術で打破するしかない。
(しかしッ……)
まるで小キノコデーモンのような、商人の石像の身軽さに内心舌を巻く。
上方を舞う石像デーモンの身体の各種からは噴流のように瘴気が吹き出し、水中での動きを加速させている。
その攻撃は貨幣を奇跡で飛ばすだけにも見えるが、俺が相手に近づけない以上はそれだけでも十分な脅威だ。
(強い。強いな)
強力な術式や武具を持っているわけではない。ただの商人の奇跡だけでここまで追い込まれている。取り巻きのいない石像デーモンのボスというものはここまで厄介か。
俺の心から商人という相手に対する侮りは消え、当初の楽観などは消し飛んでいた。
(下手を打てばここで死ぬ……)
水中である以上はソーマを飲むことは難しいだろう。
(最も、無理とは言わないが)
相手がソーマの使用を許してくれるかが問題であるし、この後を考えればソーマには出来る限り手を付けたくはない。
(そんな甘えが許される相手ではない、けどな)
偽硬貨の攻撃を盾とメイスで捌きつつ、捌ききれなかった硬貨の打撃で脳をくらくらとさせながら唸る。
まずは倒せる算段をつけなければならない。しかし今の俺の身体では接近は困難だ。
ふくよかな肉体を石の貫頭衣で覆った造形の富裕なる商人の石像は、身体の各所より噴流のような瘴気を出しながら、その身体に見合わぬ素早さで俺から離れつつ、袋より銃弾のごとき硬貨を発射してくる。
(こいつは、どうだ?)
懐より取り出したクロスボウで石像に狙いをつけ、撃つ。飛び出した太矢は見事命中するが、像を多少欠けさせる程度で通用している気配はない。
(クロスボウじゃ、そりゃそうだろうな)
唸る。どうする……? 俺はどうすれば勝てる……?
水中での戦闘、多少は慣れてきたが、この重い身体ではあのような変則的な機動にはついていけない。
(直接の打撃は諦める)
勝機はやはり――
――俺はメイスを袋に叩き込むと炎のロングソードを手に、気合を込めて偽硬貨を断ち斬った。
真っ二つになった硬貨は水中を漂うように流れていくと、瘴気の物質化は解消され、消えていく。
(火力が足らんな)
炎のロングソードにオーラを込め、込められた英霊達の魂に力の増強を願う。
じゅう、と水のような瘴気に触れ続ける炎剣から瘴気を蒸発させる音が響いた。
(偉大なる戦士たちよ。少し荒っぽいが頼むぜ)
俺の心の願いに応えるように、炎剣の出力が上がる。同時に代償として普段よりも多くのオーラが肉体より消費される。
俺は盾を袋に叩きこむと、両手で炎剣を握り、マスクの中でふぅと息を吐く。
巨大な盾ではこの自由自在にこの水中を泳ぐ偽硬貨を防ぐことはできない。
同時に、盾を捨て、炎剣を両手で操ることで、この重い身体でも集中して硬貨を斬れるようにする。
(偽硬貨の一撃一撃は、耐えられないほどではない……そして、俺が勝利するには)
ふッ、と迫り来る偽硬貨を三枚纏めて切り裂きつつ、剣を動かしたことでふわりと動いた身体の勢いを利用し、再びの斬撃。右脇に突っ込んできていた偽硬貨を剣で弾いた所で
これらの動きは足の動きも重要だ。微妙に浮いてしまっている為に陸の上での歩法はあてにならないが、ここに来るまでに水中での動き方は習得している。大きすぎず、小さすぎず、疲労を最小限にして最小の動きで偽硬貨の動きに対応していく。
炎剣を片手に離脱する直前に背後から来ていた偽硬貨に対応。先の動きで俺は反転している。俺の正面に来ていた偽硬貨にオーラを込めた掌底を叩き込み、偽硬貨の金属としての面ではなく、瘴気としての面から粉砕。片手に持った炎剣で掌底で破壊した後から続いてきていた偽硬貨に対して突きのラッシュ。
そんな、俺のささやかな抵抗に、にたり、と頭上を泳ぐ石像のデーモンが嘲笑った気配。
『ほっほー!! 見よ! この煌めきを! 聞け! この心地よき音色を! 汝に与えよう! 我が富の濁流を!!』
石像の広げた袋から溢れる濁流がごとき瘴気の気配。次々と生成される偽硬貨が、奴の唱える奇跡によって弾丸となって襲来する。
(これは……! ちぃ、物量攻撃かッ!!)
俺へと突っ込んでくる偽硬貨を炎剣で次々と破壊していくものの、その攻勢が途切れなくなる。まるで死魚の群れのごとく次々と偽硬貨が牙を剥いてくる。
(これが
正面からの攻撃に対応するも、左右後方と上方から少量ながらも油断できぬ速度で突っ込んでくる偽硬貨の気配。
スゥ、とマスクの中で呼吸をしながら正面の偽硬貨を
(ぐ、ぬ、ぐぅ!! 腕、腕が攣りそうだなぁおい!!)
ラッシュラッシュラッシュだ。片手で剣を操りながら突っ込んでくる硬貨の濁流を次々と破壊しつつ、同時に減らしたけれども未だ数の残っていた後背の硬貨を片手の掌底で破壊していく。
(うぉおおおおおおおおおおおおおお!!)
呼吸が厳しいマスク故に叫べないが心中だけで気合を入れつつ捌ききれ――きれ――きれねぇよ。
(できるかこんなもん!!)
片手の掌底では流石に真正面から来るもの以外は捌けない。同時に炎剣の片手捌きでは重圧のかかっている俺の身体であれだけの大量の偽硬貨を破壊することは不可能だ。破壊しそこねた偽硬貨をガツンガツンと身に受けながら俺は罵りの叫びを内心のみで上げる。
それでも気張って破壊できるだけ破壊し、隙を見てその場から離脱する。
俺を追いかけてくる偽硬貨を精一杯の魔力で『赤壁』を生み出して一瞬の足止め。この水中では威力の下がる炎の奇跡だが足止め程度にはなったようでメッキ部分を破壊された偽硬貨が硬貨としての価値を失い床へと落ちていく。
呼吸。袋より取り出すのは『集魔』の木盾だ。死魚と違い偽硬貨であればナイトシールドでなくとも防げるだろうし、『赤壁』が有用だとわかったなら『集魔』の聖言は十分に期待ができる。
背後を取られないように壁を背にしながら俺は小さく息を吸い、頭上の石像を見上げる。
ボスである以上、その身に抱える瘴気は相当なものだろうが、先の一戦で結構な量の偽硬貨を破壊できた。補填には相当な量の瘴気を消費するだろう。
くく、とマスクの中で俺は嗤う。
(
そうして、袋を振り上げた奴が再びの硬貨を生み出しつつ、戦いは続いていく。
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