076


 神殿前広場。戻ってきた俺は猫から浄化石を買って身体を清めた。

 水でもよかったが、鎧や服、身体の各所にこびり着いた毒沼のヘドロを落とすならこちらの方がいいだろう。

 汚れを落としたら鎧と下衣を脱ぎ、毒沼で皮膚に付着した吸血蛭や毒蟲などをナイフで落としていく。傷口には血止めの軟膏を塗り、念のため解毒薬を服用した。

「よう、大分籠もってたか? 結構な間下に潜ってたみたいだが」

 一息ついたところで神殿からヴァンが出てくる。灰髪の美形の半吸血鬼は俺の様子を見ながら首を傾げた。

「どうした? 随分と心を乱してるようだな。オーラが落ち着いていないぞ」

 む、と言われて俺は自身を確認する。オーラの乱れは精神の乱れだ。

 乱れたオーラでデーモンの攻撃を受ければ如何なオーラを纏おうともそれはほつれ、砕け、壊れていくだろう。

 座禅を組み、息を吐く。要は心の問題だ。少しの時間を掛けて、リリーについての問題を棚上げする。気にしないわけにもいかないが、心を占めてしまっていたその状態をなんとか片付けてしまう。

 切り替えなければならない。

 俺のオーラが多少はマシになったからだろう。ヴァンがそれで、と話を始める。

「塔についてエリエリーズに聞いた。困ってるそうだな。気になって俺も入ってみたがあの環境は普通の戦士ではいくらか面倒だろう」

「ヴァンでもそう思うか。それで、何か俺にもとれる対策はないか?」

 エリエリーズが加工を行い、猫に預け、俺が先ほど浄化石を買うついでに猫から受け取ったヤマの指輪を俺は手の中で転がした。

 新たな聖言の刻まれたソレ。使い方は預かっていた猫がエリエリーズに教えられていたので猫からそれは教わった。

 指輪には新しい炎の魔術が刻まれているらしい。魔力を使えばそれを発動できるようだ。もちろん選択的に以前の炎も使えるようになっている。

 エリエリーズに感謝を。

 新しい力に少しの期待はあるが、塔に挑むにはこれだけでは足りないだろう。

「そうだな。おめーならまぁ、こいつを使えば雑魚どもはなんとかなるだろう」

 ヴァンがコートの中から取り出した金属製の筒を地面に置く。つるりとした銀色のソレは手のひらに収まる程度の大きさで、武器か何かには見えない。

「銃の弾か?」

 弾にしては少し大きいが、俺の知らないものでヴァンが使うものといえばそういったものだろう。期待を込めて問えばヴァンはいいやと首を振った。

「これ自体が道具なのさ。こいつにはピンが突き刺さってるだろう? そいつを抜いてデーモンどもに投げつければ奴らに良く効く音と光を吐き出し、奴らを戸惑わせる。どうだすごいだろ? 神殿の最先端だ」

 音響手榴弾っつーんだがな。ヴァンがそう言いながら、コートの内側よりその音響手榴弾とやらが20ほど入った箱を取り出してみせた。

「死魚に効くことは試してわかってる。で、こいつを譲ってやってもいいが」

「いいが?」

「デーモンにも効くこいつを作る火薬と術式はなかなか高価でなぁ。流石にタダとはいかねぇわけよ。だからこいつをくれてやる代わりに、お前が潜ってた間に俺が神殿で見つけた道具は俺が貰う。それでいいか?」

 今回の対価はこういったもんだが、とヴァンが取り出したのは水薬やいくつかのよくわからない道具ばかりだ。中には小さな盾や剣などもある。

 全て俺が取りこぼした道具のようだ。それの一つ一つが恐らくは貴重なものなのだろうが、俺はそれでいいと頷いた。

「オーケー。それじゃそいつはもってけ。お前がそれを使い切る頃には新しい音響手榴弾を上から補充しておく。道具以外にもギュリシアと交換してやるから安心して使ってこい」

「おう。助かる」

「塔に関しては俺からはこんなもんか? あとはお前の努力次第でどうにでもなるだろう。……――で、よぉ。探索して思ったが、これほど不快な領域は久しぶりだったぜ」

 話したかったのだろう。俺の話を聞いてくれとヴァンは顔をしかめながら各階層の感想を話していく。それは俺が思っていたのと同じ不快さだ。

 ヴァンは厨房まで降りたらしく、故に、あの吊るされた哀れな人々も見たらしい。

「どうにもやりきれねぇな」

「厨房か。道化のデーモンはいたか?」

 あれは恐らく敵対した俺の前にはもう姿を現さないだろう。しかしヴァンは違う。奴と出会っていないヴァンならば、とりあえず姿は見せるはずだ。

 問いかければヴァンはするりと首を振った。

「……――見つから・・・・なかった・・・・

「そうか。あれも恐らくは滅ぼさなければならない筈なんだが……どうにかして追い詰める方法を考えなくてはな」

「あ、ああ。いや、それより塔についてなんだが」

「塔? 塔か。まだ何かあるのか?」

 期待を込めてヴァンを見ればいや、とヴァンは口篭りかけ。

「ああ、そうだそうだ。あの領域についてだがな。苦労してるだろ?」

「水のような瘴気のことか。あれはな……どうにも苦手だ」

「あれはここでは異質だな。エリザの話にも海についての記述はない。だからあそこはあからさまにおかしい。んで、俺もどういうことかと思ったんだがよ。思い当たることがあった。あれは階層の主の影響だ」

「階層の主? ……どういうことだ?」

 ダンジョンについては俺もそこまで詳しいわけではない。しかしヴァンは何か知っているらしく。もったいぶりながらも説明をしてくれる。

「ありゃデーモン化した主の元の属性が環境に反映されてるんだよ。地下に潜るほど破壊神の影響力は大きくなるってのは知ってるか? ――おう、知ってるみたいだな。つまり離れれば破壊神の影響力は小さくなる。影響力が小さくなりゃデーモン化の際に、そいつが相応の力の持ち主なら、エリザの物語に完全に染まりきることなく、元の人物の属性が大きく表出することになる」

「元の人物の属性。水? 死魚? 海……。海!?」

 思い当たったみたいだなとヴァンがにやりと嗤う。俺は額を抑えた。

「チルド9の王家は主神であるゼウレの血を引くが、他の血を引いてないわけじゃねぇ。例えば月の女神。例えば火の男神。王家の歴史には様々な神々が関わってる。そんで、主神ゼウレの次程度にでけぇ神格の神も当然血を贈ってる。海に、魚。わかるだろ? そいつは――」

 絶望した気分で、震える声で、冷や汗に塗れながら、俺はヴァンの言葉を引き継ぎ、その名を口にする。


「――海洋神ポスルドン」


「この場所で崩壊の時に何があったか知らねぇが、王家がまとめて消えたってことは、ここに血族がまとめていたんだろうよ。んで、デーモン化か。笑えねぇ話だな。おいキース。残ったエリザの物語は何があった?」

「塔って時点で予想はできてる。あの五人の中のどれか……。いや、違う。二人だ。ここまででかい存在感ってことはあの二人しかない」

「時計塔の女と男。エリザを見守る女と、エリザを害する狂った男か」

 女は裏の物語に関してエリザに忠告をする存在。だが男についてはエリザの話でも謎が多かった。塔に狂った男が幽閉されており、彼はデーモンと通ずるわけではないが、エリザを殺そうとしてくるのだ。

 死神の暗喩とも言われていたが、こうして物語の真実と相対した以上、そこにはモデルがいるはずなのだ。

『男よ男。なぜ私を害するのかしら? 暗黒神? 破壊神? それとも貴方はただの死神かしら?』

『少女よ。私はお前の未来が哀れでならない。狂った王の狂った治世。如何な大陸が繁栄しようとも人には触れてはならぬ領域がある』

 俺のエリザの物語にヴァンが続きを被せてくる。そうして吐き捨てるようにして呟いた。

「実際、こうなっちまえば悪役の言葉として捨て置くわけにもいかねぇぞ」

「破壊神の影響から逃れ、海洋神ポスルドンの神格を色濃く領域に反映させられるほどの者か……」

 それは一体誰だ? 神話は諳んじれる程度には覚えているがチルド9の歴史はそこまで教えてもらえていない。何しろ断絶により記録が消失している。

 大陸史上最高の隆盛を極め、そして突如滅んだ偉大なる王の帝国。

 彼の王は様々な人材を集めたと聞く。中では名さえ残らぬような者までもいたらしい。しかし、デーモン化してなお破壊神の支配を覆すほどに、強い神格を持った男が無名であるはずがないのだ。

 強い力は記憶され、記録される。

 この相手の情報が喉から手が出るほど欲しい。

 相手がわかればその戦法も多少はわかってくる。剣や槍が得意なのか、魔導に通じているのか。神の奇跡を扱うのか。

 嗚呼ああ、相手の強さが規格外ならば、防具を選ぶ程度の自由は絶対に欲しいぞ。

 これほどの相手に無策は死ににいくようなものだ。

「幽閉だからな。逆に記録なんざ残ってないのかもな。王国の闇って奴だよ」

 俺の苦悩を慰めるようにヴァンが言う。

「光が強ければ闇もまた濃くなるってか? 泣けてくるぞおい」

「落ち込むな。辺境の戦士だろ? 当たって砕けるにしても相打ち程度には持ち込んでくるだろ? ケヘッ」

 笑われ、俺は腕を組む。死ぬ気で掛かれば殺せるか?

「相手を見なけりゃな。まぁ意地でも食らいついてみせるが……」

 表の章に登場する人物も残り少なくなってきている。エリザの物語で彼の男が見せた振る舞いを思い出しながら俺は小さく呟いた。

「王族殺しか……。まさか俺がデーモン化したとはいえ王族を害するようになるとは……」

「キースよう。ゼウレに愛されるってのもいろいろとしんどいもんだなぁ」

 俺のつぶやきにヴァンは同情するように肩を竦めるのだった。


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