061
『Woo……ooo……』
「ぐ……おぉ……おぉぉおおおおお!!」
手の先に震えが伝わる。弱所を貫き続ける槍。それにオーラを流し続ける。
腹に、肩に、矢が突き刺さり続ける。頭にも。マスクが弾かれ、顔が露出する。
力なく顔の下がる月狼。しかし、奴が最後に振り絞った力によってぶちぶちぶちと肩口から右腕が引きちぎられる。
「ああああああああああああッッッッ!!」
喪失――痛みはない――しかし戦士として片腕は辛い。
しかし、目の前のデーモンを滅ぼすことが先決だ。
左の腕に握った槍をぐっと強く握り、ベルセルクを開放する。どくん、と瞬間だけ強く心臓が鼓動を刻む。
『Wo……o……』
弱所に力強いオーラを流された月狼が悲しそうな唸りと共に消滅する。
「あとは、お前だ……!」
痛みは感じない。もはやそういう領域ではない。俺の命脈は尽きている。
故に、薬の効果がなくとも痛みなど感じなかっただろう。
発動していた龍眼が消失する。ベルセルクの効果を失い、力が抜けていく俺では龍眼を維持することができなくなったからだ。
それでも、俺は立っていた。
もはや意地だった。身体から魂が抜けかけていても、デーモンを滅ぼすまで死に切れない。ソーマがどうとか。死にたくないとか。そういう些末事などどうでもいい。
ただ奴を滅ぼさなければ。戦士の本能として、デーモンを滅ぼさなければ。堪らないのだ。
「はぁッ……はぁッ……はぁッ……」
どくどくと右肩から血液が漏れ出ている。筋肉に力を入れ止血。月狼の牙から病毒が入ってくる危険もあったが、このような時を想定して病耐性の指輪をつけている。即座に感染する危険がないなら、俺が死ぬまでの間に無事なら問題はない。
しかし、ここに至るまでに俺は血を流しすぎていた。
(目が……見えない……)
傷つきすぎたのだ。闇しか見えない。ふらつき、それでもなんとか立っているが、どうにもならないほどに目から光が失われていた。
(だが……構わんッ!!)
それでも狩人の位置はわかった。殺意は感じている。いままで狙われ続けていたこと。ベルセルクは失ったがマスクが外れていること。要因は重なっている。
これが幸いした。露出した皮膚の感覚で
歩き出す。歩き出し、異常に疑問が漏れる。
「あ? 攻撃しない、のか……?」
奴はなぜか弓による追撃もせず、俺を待っている。
「な……ぜ……いや、いい。……構わない……」
もはや何もせずとも死ぬと思っているのだろうか? 元は辺境人のくせに、辺境人を舐めたものだ。
よろよろと足を引きずり、歩きながら袋から水溶エーテルを取り出す。
(ああ……参ったな……)
片手では蓋は開けられない。諦めて口に突っ込み、瓶ごとバリバリと噛み砕いた。瓶が口や喉に刺さるが構うものか。内容物たる液化したエーテルにより体内の魔力を回復する。神秘の篭った薬の効果だろう、ほんのすこしだけ体力が癒される。
――これで龍眼が使える。
先の狼との戦いで魔力の多くが失われていた。盾による集魔では時間が足りない。
俺はもう死ぬ。狩人を殺さなければすぐにでも。
命が身体から漏れ出している。
(『龍眼』……)
龍の瞳による弱所の露出。
奴の位置はなんとなくわかるとはいえ、正確に全てを把握しているわけではない。方角はわかっても、龍の目によって捕捉しなければ、きちんと辿りつけない。
弱所の露出も必要だった。奴が死ぬまでこの世にしがみつくつもりではあるが、俺が武具を振るうにも、回数が少ないことに越したことはない。
尤も俺は狩人に痛撃を与えたことはなかったが、この点だけはあまり心配していなかった。
月狼のデーモンを撃破したこと。
デーモン化しているとはいえ、長年の相棒を潰されれば如何にデーモン化しているとはいえ、精神に動揺がある。
あの庭師の兄弟がそうだったように。
如何なデーモンとはいえ、いや、違う。デーモン化しているからこそ、元にした人格の影響を濃く受ける。
ならば、半身ともいえる猟犬を失った狩人は、その精神に綻びが出ていてもおかしくはない。
それにきっと。彼らは一つのデーモンなのだと。
庭師の兄弟がそうであったように、繋がりの深いものが一つのデーモンと化していたのだと思えば、半身を喪失したが故に、今の狩人の状態は説明ができる。
奴は……人であった頃の人格を取り戻したのだ。
故に。
『……なぜこんなことになったのか……なってしまったのか……』
「あ?」
ずるずると、矢で射たれれば一撃で殺される状態のまま、俺は奴の元へと歩いて行く。
『……私は……騎士になりたかった……』
一歩、二歩、と龍眼によって微かに見えるぼんやりとしたデーモンの輪郭へ、俺は向かっていく。
『……姫様……を……お守りしなければならなかった……』
あの庭師と同じように、強固なデーモンとしての精神が揺らいだために、人としての人格を取り戻したのか。
声を頼りに、龍眼を頼りに、俺は狩人へと一歩一歩近づいていく。
『私は……騎士に……騎士なのだと……姫様が……』
口に穢れた血が溢れている。狼を殺す時に射たれた毒矢によって、俺の中身は腐れてしまったのだろう。
それでも、肺と心の臓だけが無事であればいい。
もはやオーラを生成することすら困難なまま、俺はショーテルの柄に手を掛ける。
『だから、私は……どのようなお姿になろうとも……姫の敵を……』
一歩、力を振り絞って踏み込む。もはや腐れ切った内臓やガタついた身体では剄力を循環させることもできない。
純然とした筋力と、残りわずかなオーラを頼りに俺は狩人に斬りかかる。
同時に、ずぶりと腹に奴の振るった山刀が突き刺さる。
もはやこの程度の傷、気にしない。
「ふッ……」
微かな呼吸。小さく力を取り入れ、身体に染み付いた動きのまま、袈裟懸けに切り裂いた狩人を足で蹴り飛ばし、距離が離れたところを更に踏み込んで更に斬り上げる。
(どんなに弱っても……身体に染み付いた動きは……俺を助けてくれるんだな……)
歩くことさえも困難だったというのに。何千何万と振るってきたデーモンを滅ぼす型。
爺に教わった。武の形。
それだけは力強く。それだけを力強く。
敵の、ぼんやりとした弱所が、俺が痛撃を与えたが為にはっきりとわかる。
しかし、敵は俺以上に正気をはっきりと失っていた。
『……ああ……今日も森に姫様が来るのだな……』
狩人は山刀を一度振るったきりだ。
(だら……しねぇ……ぞ……)
与えた攻撃で、更に人格を取り戻したのか。
狩人の輪郭はどこかに向けて手を伸ばす。まるでそれは誰かの頭を撫でるような――
『……姫様を……お迎え……しなければな……』
しかし、奴の妄想に俺が付き合う義理はない。残り僅かなオーラの全てをショーテルに注ぎ――
『……ああ、お前も……姫様が好きなのだな……』
踏み込み。刃を一身に突き出す。
えぐり込むように、俺のショーテルが、無抵抗の狩人の弱所を貫く――
『……ああ、今日も行こう……お前の背に、姫様を乗せ……て……』
オーラを流し込み、そして、デーモンは消える。
「……後味の、悪いッ……」
ショーテルを持つ腕が辛い。もはや剣を支える力もないのだ。地面に真正面から倒れこみ、狩人が消えた位置を探る。
ソーマがあるはずだ――
――それは、見てはならぬものだった。
見れば狂う。
触れれば壊れる。
知れば死ぬ。
森中のデーモン。それこそ神話の時代から存在する一つ目鬼。人類を脅かしてきた影の獣の群れ。悪心すらも悪神に捧げた狂信者。彼らは狂ったように大挙して神殿を目指した。
多くの狩人が犠牲になった。彼らを止めることは不可能だと思われた。
しかし、彼らは皆死んだ。
誰によって?
「あ……ああ……」
傍らでは愛狼が狂って死んでいる。生き残った仲間達も、それが出現した瞬間に、自ら頭を打ち砕いて死んだ。
黒の森の狩人。その中でも随一の腕を誇り、姫を守ると胸に誓った英雄たる彼だけが、その場で生きているいきものだった。
空に、巨大な、
それが何かは、見ているのに、わからない。何がいるのか、理解できない。
脳が理解を放棄している。心が判別を拒んでいる。魂が知ることを拒絶している。
「そんな……馬鹿な……」
言いながら彼は悟る。
わからずとも、知れずとも、因果を辿ることはできる。
強大な存在の顕現には、それ相応の生け贄が必要となる。
「この森が……この森はその為に……そんな……だから、なのか!!」
森の中のデーモン全てが、その為に、暴走した。
彼らは
どうしてなのか。なぜこの時なのか。狩人の視点ではそれは見えない。
しかしやらなければならないことはわかっている。
「守らなければ……姫を……」
弓を手に、神殿の方角を見る。
神殿の人々は森の異変に気づいていない。あちらでも起きてはならない何かが起こっているのだ。
数多の神々を奉じる善神大神殿を覆う結界に、あってはならない巨大な綻びができていた。
あれでは下位のデーモンであろうと入り放題になる。
「何が……起きている……」
動かなければならない。
知らせねばならない。
幸いにも大陸から訪れた王が、強力な戦士たちを連れて来ている。
あれに対抗できるかは別として、対処を行えるのは彼らしかいない。
故に、あそこにいる人々に、森で起こったこの異常を伝えなければと狩人は駆け出そうとし。
『
――死んだ。
――死。
デーモンが齎した記憶が死を孕んでいた。
人格を取り戻した狩人が
死の塊が俺を奈落へと引きずり込もうとする。
だから、死ぬ前に俺の意識が復帰したことは、奇跡と言って良かった。
「こッんな……ばッ……馬ッ、鹿な……こと、がぁッ……」
記憶を見たことで、精神が死に引きずり込まれている。
身体が弱っていることも含めても、俺の臓腑が腐り落ちていることを含めても、血を流して続けていたことを含めても、こんな馬鹿なことがあっていいはずがない。
――記憶の言葉で、俺の心の臓が止まっている。
正気に戻り、精神を取り戻し、死の縁ぎりぎりから、顔だけを動かし、地面に転がっていた瓶を口に咥える。
もはや秒の猶予もない。死に片足を漬け込んでいる。故に……俺は……これがソーマだと信じ、噛み砕く。
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