012


 下水道から地上へと戻ってくる。いや、ここも地下といえば地下なのだが、下から上へと戻ったという意味で地上という言葉を使う。

 そして流石に嗅覚もその頃には復帰しているのだが、自分がものすごく臭いことがわかり、顔を歪めるしかない。

「猫が良い物持ってるといいんだが……」

 下半身は汚水と穢れでどろどろだ。オーラを込めて瘴気を飛ばすが、どうしても染み付いてしまっているものまでは抜けない。

 脱いでしまいたいが、しまう場所が見当たらない。袋があるが、こんなもの袋に入れたくない。猫のところまでの辛抱と覚悟を決めて、べちゃべちゃの服のまま進んでいく。

 神殿を戻っていく。道中にもどきは見つからない。地下一階ならそこまで時間は経っていないのか。それとも既に数日経過していてリリーが排除しているのか。

 結局もどきには一度も遭遇することなく遺跡前広場へと辿り着く。

「にゃにゃおかえ……近寄るにゃ!」

「いきなり酷いな。このヘドロを取り除く方法何か知らないか?」

「手を広げるにゃ! 走るにゃ! 追いかけるにゃ! にゃにゃにゃにゃにゃにゃ!!」

 俺を見るなり逃げ出した猫。それを全速力で追いかける俺。

「キースはくさいにゃ! 近寄るにゃぁあああああ! 追いかけるにゃぁあああああ!」

「わはははははははははは!!」

 にゃんにゃにゃんにゃとかけ出す猫を俺は全力で追い掛け回す。

 別に離れて話せばいいだけなのだが逃げると追いかけたくなるのは辺境人の本能である。

「……何をやっているんだお前たちは」

 そんなアホな遣り取りは探索を終えたであろうリリーが戻ってくるまで続いたのだった。



「これが浄化石にゃ……。ホントは50ギュリシアにゃけど、今回だけ特別にタダで譲ってやるにゃ」

 さっさと俺の身体から悪臭を消したいのか、猫がペイと聖言の刻まれた石を投げてくる。

「それを砕けば身体から汚物が消えるにゃ」

「どこまで消えるんだ? 持っている道具も効果があるのか?」

「袋に入っているもの以外はすっきり綺麗にできるにゃよ。ちゃんと使用者が汚れと認識しているものを浄化するにゃ。だから紙に書かれた文字とかが消えることはないにゃ。安心するにゃ」

「すごいな。そんなものまで売ってるのか、ミー様は」

「うにゃうにゃ。褒めるにゃ褒めるにゃ。いろいろ売ってるにゃよ」

 リリーが糞猫さんに様付けしていることに驚きつつ、袋から下水で使用した武器や道具を取り出していく。

 そうして石を素手でえいやと砕いた。

 きらきらとした光が身体と道具にまとわりつき、ヘドロが消滅し、臭いも消えていく。同時に俺も体内にオーラを循環させてまだ多少こびりついていた瘴気を消していく。

「猫、聖域のスクロール売ってくれ。それと砥石と布と武具用の油を頼む」

 ヘドロが消えてようやく落ち着いたので、下水で稼いできたなけなしのギュリシアを放り投げるとにゃにゃとようやく近づいてきた猫がスクロールと砥石を渡してくる。

 道具を買ったのは、整備をするためである。地上で食料や水、探索道具を買ったためにそちらには手が回らなかったのだ。というかもどきを倒した金で猫から買おうと思って買っていなかったのだ。

 さて、整備である。

 武具は使ったら手入れを行わないとならない。でないと武具の寿命が短くなるし、いざというときに壊れる可能性が高まるからだ。

 もどきから手に入れる使い捨ての剣ならともかく、黒鉄の剣と聖なるメイスは長く使う予定の武具だ。こうやって安全な場所があるなら、きちんと整備しておかなければならない。

「リリー。先に整備を済ませるがいいか?」

「ああ、探索の成果を共有しようかと思ったが、そういうことなら私はミー様と話しているよ」

 俺はリリーに断りを入れると地面に布を敷き、武具と道具を並べる。

 まずは剣だ。布で大雑把に汚れを落とす。そして砥石に水を付けて研ぐ。そして整備用の油を塗り、布で拭く。デーモンから手に入れた武具だが、こいつは既にただの剣だ。聖なるメイスと同じく生前の持ち物なのだろう。だから、こうやって整備をしないと使い物にならなくなる。

 メイスも汚れを落とす。砥石はもちろん使わない。ただ頭の部分が金属なので錆があるかないかだけ確認し、整備油を塗り、布で拭く。

 もちろん剣とメイス、両方の柄もしっかりと確認をする。巻いてある滑り止めが緩んでいないか。乱暴とはいわないが、それなりに荒く扱ってしまっているので、亀裂などがないかも確認していく。

 デーモンと戦う上で武具の有無は大事だ。中には素手で戦う物好きもいるが、やはりデーモンとの戦いは武具あってのものである。

 武具も辺境人はドワーフ製のものを特に好むのだが、あれは高い。正規の兵士になれば軍から一つ支給されると聞くが、ソレ以外で手に入れるにはどうしてもドワーフ族とのコネが必要になる。もちろん俺にはコネも金もない。

 ただ、この剣やメイスは高位の騎士や司祭が使った品なためか、デーモンから手に入れた品にしてはかなり良い品に思える。使い心地もオーラの乗りも刻まれた聖言も、俺が扱ったことのある武具の中でも最上位に入ると思われるのだ。

(というか、ドワーフ製か。これ?)

 時代がいつかわからないが、辺境の文明ならドワーフとの関係はいつだって密接だ。辺境の歴史はデーモンとの闘争の歴史なのだから、基本的に偉い人間の武具はドワーフ製である。

「キース、整備は終ったかい?」

 待っていたのか、メイスをまじまじと眺めている俺をじぃっと見つめてくるリリー。綺麗な顔をした大陸人の顔が意外にも近すぎる距離にあることにどぎまぎする。

「ああ、いや、待ってくれ。おい、猫。こいつの鑑定を頼む」

 まだやることは残っている。戦利品の確認だ。下水で手に入れた指輪と瓶を取り出し、猫の前へ置く俺。にゃん、と返答した猫はじろじろと確認をし始める。

「にゃー。ただの耐性指輪と毒薬にゃね。指輪の耐性は、病にゃ。ウィルス、じゃにゃくて、病毒を扱うデーモンから受ける異常を防ぐ効果のある指輪にゃ。ただし完全無効ってわけじゃにゃいにゃ。耐性を与える程度だから攻撃を受けすぎればもちろん病に陥るにゃ」

 ほぅ、と指輪を指にはめてみる。

「にゃにゃ、そっちの手はベルセルクをはめてるから、別の手にした方がいいにゃ。指輪同士の効果が干渉しあってわやくちゃになるにゃ」

 言われて別の手につける俺。これで鼠とゴキブリは怖くなくなるわけだ。もちろん攻撃は受けないようにするのが吉だが、そこまで神経を使わなくてもよくなった。

「毒薬は、鼠毒の猛毒薬にゃね。武器にでも塗って斬りつければデーモンでも身体を侵される猛毒にゃよ」

「なるほど。わかった。気をつけて使おう」

 袋に瓶を収める俺。そうしてようやくリリーの方を向く。

「情報共有がしたいんだっけな。地下の様子が聞きたいのか?」

 ああ、と頷くリリー。ここが安全地帯だからか、鎧を脱ぎ、シャツ姿である。さらに鎧櫃に背を預け、楽な姿勢を取っている。その手元は剣の整備をしていたのか、レイピアに油を塗っているところだった。

「ん、ああ、気にしなくていい。整備なんて話しながらでもできる」

 俺の視線に軽く応えるリリー。それは武具を軽視しているというより、武具の質に自信を持っているようだった。いや、集団生活の多い騎士団はそういうものなのかもしれない。

 辺境人は基本的に武具の手入れの際はみんな無言だから少し調子が狂う。いや、辺境人は武具の手入れが楽しいから邪魔されたくないというのもあるけれど。

「そうか。俺も飯を済ませちまうかな。食いながらで悪いな」

 ただそういうスタンスなら俺も気にはしない。あと、食事を食える時に食っちまいたかった。下水じゃ結局何も食えなかったしな。

 袋から地上で買った葡萄酒とパンとベーコンを取り出しナイフで分厚く切ると食べ始める俺。その様子を見ながらリリーが話し始める。

「それで、地下には何があったんだ?」

「下水道だ。出てくるデーモンは鼠にゴキブリ。あともどきが少々だな。鼠もゴキブリも多少でかくなっている。おそらく攻撃を受ければ病毒を受けると思われるが、受けてないからわからない。しかし不潔な環境だからな。体調の悪化は覚悟した方がいいだろう。薬の備えはあるか?」

「ないが、そういう敵がいるとわかったならミー様から仕入れるとするよ。それで私の方だが3日かけて地上の調査が終わったところだ」

 3日……。3日か。下水には半日程度しかいなかったが、日数の経過に少しだけ心の奥が冷える。

(あまり時間をかけると時間の流れに取り残されかねないな……)

「神殿の意匠やミー様の話とも照合してわかったんだが、おそらくここは4000年前に消失した善神様全てを祀る善神大神殿だ。キースは知っているか?」

「……いや、俺はそういうのはさっぱりだな。それがわかると何か良いことがあるのか?」

「君なぁ。神殿で何があったかがわかれば、地下を攻略する上で役に立つんだぞ」

 そうなのか? と猫に問えば、ぺしぺしと尻尾を地面で叩いてにゃにゃにゃと頷いた。

「そりゃそうにゃ。ダンジョンに現れる地形や敵は核となってるボスの記憶が主にゃから、いろいろと予想ができるようになるにゃよ」

 はー、と感心する俺。

「だがそれをどうやって調べるんだ? 4000年前だろ? 記録なんて残ってないんじゃ」

「ああ、いや。そのことなんだが、ここが善神大神殿であることと、キースから聞いたデーモン化した神官の名前からだいたいわかったんだ。たぶん、ここは泣き虫姫エリザの心象ダンジョンだろう」

「……泣き虫姫エリザ? って、あの、泣き虫姫?」

 辺境に伝わる童話の? 昔話のあれか?

 俺のそんなぽかんとした顔にリリーは神妙な顔をして頷くのだった。

「泣き虫姫の童話は辺境人である君の方が詳しいだろう。そう、表16編裏16編からなる泣き虫姫の童話。あれは実話なんだよ。キース」

 しかし、リリーのその言葉は頭にはなかなか入ってこない。

 ただ、下水道ですら感じなかった吐き気が、うっすらと喉の奥に湧いてくるのを俺は感じていた。

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