第43話
「ふぅ〜〜、疲れたーー!」
私服に着替え、机に突っ伏す影ひとつ。女子のように長い髪、女子のような華奢な線、アイドル顔負けの美少女、のように見える叶恵である。非常に残念である。
時刻は午前十一時半。
ここまで来たらもう客引きは良いからのんびり楽しんでねと、橋ノ井からの仕事終了の宣言。同じく客引きに回っていた和之も同様のようで、叶恵の横では雫が足をパタパタさせて和之を待っていた。
「そういや樫屋さん」
そんな犬耳尻尾が幻視で来てしまいそうな雫に、叶恵がふと声をかける。
「はい、なんでしょう?」
和之と一緒にまた回れるのが楽しみなのか、花のような笑顔で首を傾げる雫。なるほどこれは可愛すぎて一部男子がどうしようもないと血涙を流すのも納得できようものである。
ちなみに叶恵の心は揺れない。当然である。そもそもが恋愛しない主義な上、話している相手が親友の彼女とくれば、いかに可愛かろうと叶恵は揺るがないのである。
「いやぁ、そっちのシフトは大丈夫なのかなー、と。確か調理班の方だろ?和之から聞いた」
時間は大丈夫かと、本来心配する意味の無いはずの叶恵がそれを聞いてきたため、雫はクスリと笑みを深める。
「大丈夫です。そっちは倉持さんや金木さんがやってくれると……あっ、倉持さんと金木さんは私のお友達で……」
「くくっ、いや、それ位はわかるから。問題なし。ちょっと気になっただけだ……っと、ほら、仕事終わりの旦那さんが来たぞ」
「だん……っ!ちょっと叶恵さん!止めてくださいよ……」
ちょうど入ってきた和之を見た叶恵がからかい半分に言う。これまた当然だが、しつこく言ったりはしないし、あくまでも冗談と受け取れる範囲である。
それでも刺激が大きかったのか顔を赤く染めあげた雫は、俯きながらも入り口でキョトンとしている和之の元へ。
「雫さん?なんで顔が赤っ………!」
抱き着いた。
「んっ!?」
それを眺めていた叶恵も固まる。
「お、」
((お?))
「おかえりなさいっ、あなた」
さて、状況の説明である。
叶恵→固まって傍観。
雫→ボム兵爆発一歩手前ながらも笑顔で素晴らしい爆弾発言。
そして和之は、
「……………………………………っ!っ!!」
アウト。
最早赤を通り越して紅色である。爆発ではなく暴発したらしく、まさかのあなた呼びに完全にフリーズ。正確には口だけパクパクしているが、どちらにせよ、キャパオーバーには違いない。
「………はっ!こ、コーヒー、ブラックコーヒー飲まねぇと……死ぬ。糖分過多で死ねる。コーヒー、コーヒー」
いち早く復帰したかと思われた叶恵はどうやら壊れた模様。コーヒーを求めて彷徨い、自分のカバンから本当にブラックコーヒーを取り出すと、グイッと一息に飲み干す。
「っぷはぁっ!……ふぅ、落ち着いたぁ」
ゼーハーゼーハー言いながら座り込み、ようやく再起動し始めた二人を眺める。片手に缶コーヒー用の百二十円を握りしめて。
「ね、ねぇ、雫さん?」
「ふあ、ひゃい!?」
「あの、その〜、なんで、今の呼び方を?いやっ、嬉しいんだけどねっ?その、唐突だったというか……」
「えっと、それは、その、叶恵さんが……和之さんを見て旦那さんが来たぞって……」
「…………か〜な〜え〜?」
未だにボム兵状態の雫が説明をし、半眼で叶恵を睨む和之である。無論、それが冗談で言ったことだとはわかっているものの、雫が真に受けてしまった以上は冗談では無いのである。
「いやぁ、まさかそこまでしっかり真に受けるとは思ってなくてさ……ま、そこまで考えてくれてるってことがわかったと一つ手を打ってくれないだろうかお願いします」
誤魔化しているのか謝っているのかはっきりしない。
が、正直叶恵はダダ甘な二人を見れて内心ニタニタしたくて仕方がないのである。役得である。
「はぁ〜」
「え、ちょっ!マジなため息は止めて!なんか辛いっ」
ある種の自爆である。馬鹿である。
例えるなら……そう、某赤帽子の配管工がキラキラ光って飛び跳ねてる最中に溝に落ちてフェードアウトする程度には馬鹿である。
「いや、だってさ……」
「ん?」
半眼のジト目で和之が叶恵を睨み続ける。
悪意や害意と言うよりは呆れが強く見える。
「叶恵、昨日こっそり来てたよね」
「………………………………さて、客引きの続きを」
「その格好で?ふふふふふ、流石に僕でもその格好は客引きようじゃないって分かるよ?」
そそくさと横を通り抜けようとする叶恵の肩をがっちり掴む和之である。流石は超人イケメン、叶恵がバタバタもがこうと気にも留めず、揺るがずに笑顔で拳に力を込める。
「ぐぬぬ……この野郎……あれはなぁ!俺半分被害者だからな!お前は今日の朝のカオス知らねぇから言えんだよ!」
せめてもの抵抗として喚く叶恵。
傍から見れば騒ぐ妹を呆れを含んだ笑顔で押しとどめている兄、という構図に見えるだろう。
「あははっ朝のことなら王小路さんから聞いたよ?叶恵が暴走したことも含めて」
「はぁっ!?」
「いやー、久しぶりに見たかったなぁ、叶恵のブチ切……」
「か、和之さん!」
さぁトドメだと言わんばかりに口を開いた和之にたまらず声をかける雫。絶妙なタイミングである。
「んっ、と……言い過ぎちゃったかな。ごめんね、雫さん。じゃあ行こっか。
「はいっ!」
「おーい、本音と建前が逆だぞーお幸せにー」
笑顔で二人が立ち去るのを軽くツッコミを入れつつ見送る叶恵。余計な一言を入れたがために直後に「叶恵?」と釘を刺されたものの、本人からすれば二人が仲良さそうなので良し、といった具合のため、ただの眼福(コーヒー必須)。
「………うし!……コーヒー飲みに行くか」
しばらく机に突っ伏しグダグダした後、とりあえずは口の甘さを誤魔化そうとコーヒーを買いに行くためにセットの裏から出る扉を……
「あっ!伊吹乃さん!います……かっ!?」
「あでっ!」
あでっとはなんぞや。
それはそれとして、衝突である。額と額で、それはもうゴチンッと、いい音を鳴らし、お互いに額を抑える。叶恵に至っては軽くたんこぶができてしまっている。
「っつー……おう、すまねぇな。どうした春来」
額を抑え、プルプルして蹲っている春来に手を伸ばす叶恵。なんということでしょう。既に額は治っています……ということも無く、なぜ持っていたのか分からない保冷剤を片手で額に当てている。
「うぅ……ありがとうございます」
叶恵に手を引かれて立ち上がる。例のセイレーン衣装は脱いだのか、春来もまた私服である。
とは言っても、シャツはクラスTシャツで、前には胸元にクラスだけプリントされており、背中の部分にムンクの叫びの絵が描かれている、中々にシュールなものである。
そこに下は制服のスカートのため、私服とは言い難いか。
何はともあれ、どこから取り出したのか二つ目の保冷剤を春来に手渡した叶恵は、コーヒーを諦めてもう一度椅子に座りに行こうとする。
そんな叶恵の腕を春来が掴む。
「あ、待って下さい」
「ん?」
さっき自分でどうしたと聞きながらそのまま戻ろうとするというただの酷い奴である。
「あの……」
そして途端に俯きモジモジしだす春来聖女様。非常にいじらしく、叶恵は思わずその頭に手を伸ばす。
「……へ?あ、あの……伊吹乃さん?」
「…………あっ、悪い。なんか、つい」
中途半端に伸ばされた手を少しの間眺めていた春来は、突如、その掌に自分の頭を押し付ける。
「はっ!?おいっ!」
唐突すぎて体が動かない叶恵である。
「ん〜〜!」
対する春来は叶恵の手に頭を押し付けながらグリグリと首を横に振る。
(は〜、温かい……落ち着きます……)
…………。
(ちょっと待ってやばいから、本当にやばいから!めっちゃ髪の毛サラサラなんだが!?しかもなんか柔らかいし……ってそうじゃないんだよ!ダメダメダメダメ、これはダメだ。落ち着け、大丈夫。こないだの膝枕に比べりゃなんの問題もねぇ!)
……………………………。
(うぅ〜、でもずっとこうやってるのも疲れますし、そろそろ……っ!)
そろそろ止めようとして春来が首辺りから力を抜いた途端、
「首、大丈夫か?ずっと横に振ってたけど」
叶恵が手を動かす。額に保冷剤を当てていなければ完璧だっただろう笑みを添えて。
「ひぁ…………」
ボム兵警報発令。ボム兵警報発令。ダダ甘な空気に耐性の無い方は、至急、避難をお願いします。繰り返します。ダダ甘な空気に耐性の無い方は、至急、避難をお願いします。
(むぅー、やられっぱなしは嫌です!)
顔を赤くしながら頭を撫でられている春来はまたもや突然、抱き着いた。
「うあっ!?」
「ふぇ!?ひゃっ!」
そして片手で額に保冷剤を、もう片手で春来の頭を撫でていた叶恵は突然の抱きつきに対応できず、後ろに向かって倒れる。抱き着いた春来も一緒に。
結果どうなるか。
ガタンッ!
「っつ〜〜〜〜〜っ!」
近くにあった机の角に腰がクリーンヒット。かなりの痛みに悶えそうになるも、どうにか耐えつつ床へと倒れ込む。
ただ、必然的に春来が叶恵に覆い被さった状態になるわけで……
「「…………………」」
目と鼻の先にあるお互いの顔。どちらも恥ずかしさやらなんやらで真っ赤。しかも春来は叶恵の胸元に飛びついたために上目遣い。さらに追い討ちをかけるように緊張感で息が上がっている。
「「………………………………」」
長い沈黙。
(……………………………………………………………………………………………………………)
叶恵に至っては脳まで停止。
(どうしようどうしようどうしようどうしよう!?近いっ、近いです!カナちゃ……叶恵さんの顔が近いです!はぁ〜、綺麗です。可愛いですかっこいいです。でも……うぅぅぅぅ)
互いに上昇し続ける心拍数。周りに誰もいないという状況。見つめ合う二対の目。この上なく完成されたシチュエーション。しかし、
「………はっ………っ、大丈夫か?」
叶恵が意識を戻すことで終わりを迎える。
「は、はい」
「そうか、なら良かった。立てるか?ちょっと、体勢的に俺、起き上がれなくて」
「あ、ああっ!すいません!すぐに立ちます!」
まだこのままでいたい春来は、名残惜しそうに立ち上がり、叶恵に手を伸ばす。
「すいません、伊吹乃さんこそ、大丈夫ですか?」
「おう……って、これじゃさっきと逆だな」
苦笑いしながらその手を掴んで立ち上がる叶恵に、「そうですね」と同じく苦笑いの春来。
だがお互い心臓は痛いほどに高鳴ったままである。
そこに春来が切り込む。
「あのっ」
「………なんだ?」
なんとも微妙に変な返しをする叶恵。だがしかし、春来は春来で今から言うことへの緊張感で指摘する余裕などは皆無である。
果たしてその口から出てくる言葉は……
「一緒に、回りませんか?」
……この一言のために、一悶着が起こることを、二人はまだ知らない。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
まさかの過去最高文字数です(笑)。
そして次回、叶恵と春来が一緒に星祭巡りです。
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