Episodio 11 メランコリア(Hakata)
1
その日の夜である。
ついに私はコエリョ師やフロイス師とぶつかった。
事の起こりはこうである。
船室のいすに座って、コエリョ師の方から今日の昼間ジュストが帰るとき船の外で延々とジュストと何を話していたのかと問い詰めてきた。
私はもちろん、それまでジュストが話した内容をコエリョ師には告げていなかったし、この時もそのすべてをコエリョ師たちに告げるつもりはなかった。
ただ、ジュストはフスタ船を関白殿下に献上することを勧めたが、その理由がフスタ船が軍船であることに対する関白殿下の懸念を解消するためであったことだけを告げた。
「懸念? 関白殿下は両手挙げて我われを歓迎してくれているではないか」
コエリョ師が苦笑して言う。
「いえ、ジュストが言うには関白殿下のそのような疑念は、悪魔が我われの福音宣教を阻害するため大いに利用するところとなるということです」
「ジュストが何を言おうとも、彼は
コエリョ師は、ますます薄ら笑いを浮かべていた。
その時フロイス師が小声でコエリョ師に囁いた。
「まさかジュストはあのことを察しているのではないでしょうね」
私はその言葉を聞き逃さなかった。
「あのこと?」
私は少しきつい口調で訪ねた。二人の司祭は苦い顔をして互いに顔を見合わせていたが、やがてフロイス師が私を見た。
「あなたはこちら側の人間だと信じているから話すけれど、間もなくフィリピーナスのイスパニア総督はシーナを、そしてこの日本を軍事的に占領するつもりです」
「ちょっと待ってください!」
私の背中に、冷たいものがさーっと走った。「イスパニアは日本と交易を始めようとしている」……程度のことを話し始めたのかと最初は楽観的だった私は、まずは自分の耳を疑った。
スパーニャのチーナに対する野望は、前にもどこかで耳に挟んだことがあったような気がする。しかし、この日本への手出しはあってはならない最悪の
「でも、戦争とか政治とか、イエズス会は関係ないですよね。我われは総長の命じるままに、福音を述べ伝えればいいはずですよね」
まだ私の口から出る言葉は、希望的観測であった。だが、それはすぐに打ち砕かれることになる。
「私がイスパニア総督と確認した方法は」
コエリョ師が口を開いた。
「関白殿下は明国を攻略するため近々朝鮮を攻めようとしている。そのことは大坂でも、あの八代でも何度も我われに話していたろう。それを利用する。朝鮮に関白殿下が出陣するときはイスパニアは軍事的援助を惜しまない。その実、イスパニアは援助するというのは名目で、日本の軍事力を利用して一気にシーナを占領し、イスパニア領とする。同時に、手薄になっている日本国内をフィリピーナスからイスパニアの大軍団が襲う。これで“ひとつ
「ちょっと待ってください。あなたは聖職者でしょう? 司祭でしょう? イエズス会の準管区長でしょう? いつからイスパニア総督の軍事顧問になったのですか?」
コエリョ師は、またもや薄ら笑いを浮かべた。
「まあ、聞きたまえ。フィリピーナスのイスパニア総督の方でも、まともに戦ったのでは勝ち目はないことは感じている。なにしろ日本の
「そこでもっと効率的な方法を考えなければならない」
フロイス師に言われるまでもなく、私もうすうす感づき始めた。あの本だ……と私は思った。
かつてスパーニャ人の司祭が書いたあの本……ヴァリニャーノ師からもらったあの本にはインカの国々でスパーニャ人がどれだけ残虐なことをしたかという記録が書かれていた。
残念ながらその本は大坂においてきてしまっているが、内容は頭に入っている。『インディアスの破壊についての簡潔な報告』というタイトルの本だ。私は安土にいた頃に、それを読んだ。
だが、あの頃は、あのインカ原住民に対する残虐非道なふるまいはスパーニャ人によって行われたのであり、イエズス会とつながりの深いポルトガルとは無縁の話だと心のどこかで安心していた。
イエズス会はローマ教皇やイエズス会総長だけでなく、ポルトガル国王の信任をも受けて、はるばる日本まで福音宣教に来ている。ポルトガル国王はそのような残酷な侵略を考えるお方ではないと、心の中のどこかで安心していた。
だが、時代は変わった。
今やポルトガル王はスパーニャ王が兼ねている。つまり、スパーニャとポルトガルは同じ王を頂く同盟国……だが実質上は一つの国である。もう、ポルトガルはないのだ。スパーニャはもうどこに行くにも誰にも遠慮はいらない。
そのスパーニャが日本にコンキスタドーレスを送ろうとしている。
そしてさっきフロイス師が言った「効率的方法」……それは例の『インディアスの破壊に云々……』という本には、もうしっかり描かれていた。
暴力的侵略をする前に文化的侵略をする、それが完成していれば後からの武力的侵略は容易に、あるいは暴力を使うことなく侵略できる場合もある。スパーニャ人がインカでやったことがそれだ。
「君も聞いただろう?」
また、フロイス師が言う。
「八代で関白殿下は言っただろ。今一向宗のいちばん上の上人をつれてきていて、そのものを薩摩に派遣して布教させ、薩摩の領民をことごとく一向宗にしてしまうって。一向宗の門徒になった領民は、もう領主のいうことを聞かなくなる」
「それだよ」
コエリョ師も言葉を継ぐ。
「我われがやろうといていることを、関白殿下はもうすでにやったのだ」
そう、たしかにインカにおいてはスパーニャはそれをやった。まずは文化的侵略をする。その道具がキリスト教だったのだ。キリストを信じればカスティーリャ国王に服従したことになる。受け入れないものは……死。これがコンキスタドーレスのやり方だった。
「あなたがはそんなことのために福音宣教をしているのですか!」
「あなた方じゃない、君もだよ。君もコンキスタドーレスの一人だ」
つまり、私が侵略者だって? スパーニャの日本征服のお先棒を担いでいたのか……? いや、担がせられていたのか……?
嘘だ……信じたくない。いや、信じない!
「幸い、九州や都などもうかなりの数の
コエリョ師は、まじめにそんなことを言っているのだろうか。ニタッと笑って、「もちろん冗談だ。君は騙された!」と大笑いをしてくれないだろうか……私はそんなことを願ったが、そのよな気配は全くなかった。
「私の方からも聞きます」
もはや「聞いてもいいですか」などと言う聞き方はしたくなかった。
「平戸で
コエリョ師が私を睨む
「売る人がいるから買う、買う人がいるから売る。これが商売の基本だよ。前にも言っただろ」
「いったいあの日本人の奴隷はどういう人たちなのですか」
「キリストを受け入れなかった異教徒だ。異教徒は地獄に落ちるべきだ」
あのゴアで聞いた異端審問所の理論だ。──「悪魔を崇拝する者たちは永遠にこの地上から滅ぼしてしまおうというのが『
「キリストを受け入れないものは地獄に落ちるべき」……この今のコエリョ師の言葉で、私は「やはり」と思うことがあった。
大村の領内で洗礼を受けていない領民は一人もいないとドン・バルトロメウは自慢げに言っていたが、キリスト教への改宗を拒んだ者たちの末路があの奴隷だったのだ。
いや、奴隷だったらまだいいかもしれない。もっと残酷な拷問や処刑で信徒でない領民を抹殺したので、たしかにそうなると総ての領民が信徒になったということになる。
大村で我われを襲った、奴隷から解放されたものたちもそのようなことを言っていた。
つまり、かつてインカで行われた残虐はこれから日本でも起こりうる可能性がある――どころの騒ぎではない。実はもう、始まっていたのだ。
日本が危ない。オルガンティーノ師が「私の嫁」とまで言ってこよなく愛している日本……その気持ちは私とて同じだ……その日本が、今危ない!
私は手が震えるのを隠しきれなかった。歯が鳴る。自分ではわからないが、おそらく顔は真っ赤になっていただろう。
「では聞くが」
今度はフロイス師が私に聞いた。
「あなたは何をしにこの国に来たのですか?」
前にも、長崎で侵略者呼ばわりされた時にヴァリニャーノ師に相談したら、ヴァリニャーノ師が私に同じことを聞いてきた。だから私はその時の答えと同じことを答えた。
「福音宣教です」
あの時ヴァリニャーノ師は「それ以上でもそれ以下でもない。それだけを考えていればいい」と言ってくれた。
フロイス師も、
「じゃあ、これからもそれをやりたまえ、この日本で」
と言った。
「我われの会の創始者の
その私の言葉に対し、コエリョ師は言った。
「正しくは『私の意図するところは、異教の地を悉く征服することである』ではないのかね?」
もはや私は、この目の前のに司祭とこれ以上会話を続けることに何の価値も見出さなかった。
私は席を立った。
コエリョ師は私に福音宣教をこれからも続けよと言った。だが彼が意味する福音宣教は、侵略のお先棒の文化的侵略に専念せよという意味にほかならない。
冗談じゃない!
「私はもう、あなた方を話をすることは何もない」
私はそこだけイタリア語で叫ぶと、そのまま自分があてがわれていた個室の船室に入った。
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