Episodio 4 フスタ船(Shimonoseki~Hirado~Nagasaki)
1
翌日の火曜日、ドン・シメオンやジュストの言葉通り二万の軍勢はまたおびただしい数の船に乗って、下関を出港して行った。
この船は小西殿ドン・アゴスティーノの艦隊だ。これまで陸路で来た関白殿下の軍勢も、さすがにここからはいくら狭い海峡だからといっても船に乗らなければ渡ることはできない。なにしろ二万の軍勢が分散して乗りこむのだから、出港までかなりの時間がかかった。
その中に自ら総大将となっている関白殿下もいたはずだけど、司祭館の窓からはわからなかった。
そして出港した軍船たちは海峡の対岸へ軍勢を運ぶのではなく、そのまま右手の外海の方へと進んで行った。恐らく次の目的地まで海路で行くのだろう。
そしてその二日後の夕刻になって、一層の巨大な船が港に接岸した。
司祭館の中は沸きだった。
「やっと来られたか」
フロイス師はため息をついていた。皆があたふたとしている。言われなくても準管区長のコエリョ師が到着したのだということは分かった。
私はあの顔を思い出して少し憂鬱になって、何気に縁側から外を見ていた。そして着眼したばかりの船を見て驚いた。
それは日本の船ではなかった。明らかにポルトガルの船だ。だが、ナウ船ではない。さすがにそのような大型の船ではないが、他の日本の軍船などに比べたらはるかに大きい。
あれはフスタ船だと、私はすぐ分かった。ナウ船より小型で、帆船であって櫓をこぐこともできる。その点が日本の船と同じだ。かなり速度も出て、実際は戦争で使われることも多いいわば軍船なのだ。
あのような船でマカオから定期便がくるとは考えにくい。遠距離の航海には向かない。あのような船がなぜ日本にあるのか。購入したのか、あるいは日本で建造したのか……、そしてどうしてあのような軍船でコエリョ師はここに来たのか……。
あれこれ考えているうちに、玄関からコエリョ師と何人かの修道士が入ってきた。
フロイス師が早速コエリョ師を出迎えた。そして言いにくそうに、
「実は」
とまで言っただけで、コエリョ師はそれを手で制した。
「聞いている。間に合わなかったんだね。出港に手間取って、それで平戸に寄ったらまたそこで長居してしまって。で、この近くの
「ああ、堺奉行のドン・ジョアキムだね。彼なら私は昔からよく知っているけれど、息子はよく知らない」
フロイス師が言った。聞いていた私はドン・アゴスティーノがここ二、三年の間に洗礼を受けたことを言おうかと思ったが、二人の会話に入るのは虫が好かないから黙っていた。
「それで、そのドン・アゴスティーノから、関白殿下がすでに筑前という所に出陣したと聞いてね。無駄足だったよ。関白殿下はわざわざ私をここまで呼び付けておいて、さっさと行ってしまうとはな」
おかしなことを言うなと、私は思った。別に関白殿下はコエリョ師を呼び付けてはいない。それにこの間のジュストの言葉ではないが、関白殿下は、戦をしに来たのであってコエリョ師に会いに来たわけではない。でも、もちろんそんなことを口に出して言ったりはしないし、言えるわけもない。
「ドン・アゴスティーノが言うには、関白殿下は肥後という所を通るからそこで自分を待っていてほしいとのことだ」
「たしかにジュストも同じようなことを言っていた」
「それで小倉から引き返そうかとも思ったけれど、
「置き去りにされて帰られたら、たまったものではない」
少しだけ苦笑をフロイス師は漏らした。
「
そしてコエリョ師は、初めて私を見た。
「おや?
私はずっとさっきからここに同席している。今さら白々しいと思ったけれど、一通りのあいさつはした。
「なんでも、関白殿下の奥方からの返礼の品をわざわざ届けに来てくれたのですよ」
フロイス師がそう説明した。コニージョ師はにこりともせず、じろりと私を見た。
「そうですか。それはご苦労だったね。いつ、大坂に帰るのですか?」
たしかに、私の用向きは終わったのだから、これで大坂に帰るのが自然だろう。だが、それは表向きの用件で、ここまで来た真の目的は別にある。私はここで大坂に帰ったらここまで来た意味はない。
「いえ、この戦争が終わるまで長崎にいよとの、布教区長
「そうですか」
私は息をのんだ。もしここでコエリョ師が、「いや、不要だ。大坂に戻れ」と言ったら、私はそれに従わなくてはならない。私の直接の上長はオルガンティーノ師だが、準管区長のコエリョ師はさらにその上の立場である。だったらここで待つよりも、直接長崎へ行ってしまったらよかったのではないかという気もした。
だが、コエリョ師は言った。
「分かりました。いっしょに長崎へ来るといいでしょう」
私は心の中で胸をなでおろした。
翌日の五月七日の木曜日は主の昇天の祭日だった。
だから、長崎へ向けて出発する日だけれも、祭日のミサが挙げられた。一般信徒のいないこの司祭館でのミサは、祭日のミサとはいえ平日のミサと変わらなかった。
復活したイエズス様は四十日間使徒たちとともにいて、使徒たちの目の前で天に挙げられた。私はこれからまた長崎へ行こうとしている。
イエズス様は使徒たちとともにおられた時、使徒たちが
教会はもう、自らを頼るしかなくなった。今の我われ聖職者もそうである。イエズス様の時代の使徒たちのようにはいかない。
この日のミサは、私にとっても転機かもしれなかった。
いい意味で、独り立ちしないといけないのである。
そんな決意とともに、翌日の朝、コエリョ師についてフロイス師、ディアス師、マリン師、そしてロケ兄とともに、私もコエリョ師が乗ってきたフスタ船に乗り込んだ。
日本の船と違うのは、日本の船が櫓で進むときは帆も帆柱も降ろしてしまうが、この船は併用できる。
私は一歩船内に入ったとき、そこはナウ船同様エウローパの空気が満ちていて、胸が熱くなった。忘れかけていた望郷の思いが再燃した。
だがそんな感傷も束の間、私の目に入ったのは船に装備された大砲だった。まさしく戦争のための軍船だ。
なぜこのような軍船を修道会が所持しているのか……いや、まさかとは思うがコエリョ師個人の所有なのか……しかしコエリョ師が準管区長である以上、その境界線はあいまいだ。
私はあまり話したくはないが、思い切ってコエリョ師に聞いた。
「この船は長崎で造ったのですか? ポルトガルの商館の人たちに頼んで?」
ポルトガル商館には大工も、船大工も日本に来ている。
だが、コエリョ師はひと言った。
「買った」
「え?」
それ以上私が何か聞こうとするのを、フロイス師が間に入って止めた。そしてフロイスしが代わりに言った。
「準管区長が平戸のイスパニアの商館を通して、フィリピーナスのイスパニア人から買ったのです。あくまで移動の便宜を図るために」
そしてコエリョ師もフロイス師も、船の中へと行ってしまった。
平戸のイスパニア商館?……そのような存在は初耳だったので、私はただ首をかしげていた。
今やポルトガルとスパーニャは実質上一つの国で、昔と違って自由に交易ができる。日本やマカオからスパーニャの勢力範囲であるフィリピーネに行くことはできなかったけれど、今は自由だ。
でも、そんな理屈以上に、コエリョ師がやはりフィリピーネのスパーニャ人勢力とつながりがあるということがなんだかまずい状況なのではないかと、あらためてひしひしと感じるようになった。
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