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翌日の聖土曜日も、朝のミサはない。この日は昼ごろから曇り始めていて、どうも雲行きが怪しかった。
復活徹夜祭は日没後から始まる。古代イスラエルでは日没から新しい一日が始まったので、日が沈んだらすでに土曜日ではなく、
まずは司祭館の方に設けられた聖体安置所の方へ司祭や修道士、学生、そして信徒たち《クリスティアーニ》は集まる。皆、手に小さなろうそくを持っている。
聖体安置所の前での厳かな祈りがあり、そのあとオルガンティーノ師が庭で火を焚く。オルガンティーノ師の持つ大きな十字架を先頭に私が御聖体の持ち、ヴィセンテ兄が大きな復活のろうそくを持って聖堂の方へとゆっくり行進する。
その時に皆、オルガンティーノ師が焚いた火からそれぞれろうそくに点火し、そのろうそくを手にともに列をなして聖堂へと向かう。先頭の
今日も多くの
会衆か持つろうそくの明かりに照らされ、今日はセスペデス師の司式で典礼は始まった。まずは私が復活の
「Exsúltet iam angélica turba cælórum~」
で始まる、結構長い曲である。
まずはモーセの出エジプトで、追ってくるエジプトの群衆から逃げるためにモーセが海を二つに割った場面だ。
それと書簡、そして
こうして夜を徹しての祈りが続けられたが、夜半過ぎくらいからものすごい音量で雨が降ってきた。もし、式典が始まる前の光の行列の時にこんな雨だったらだいなしになるところだったが、そこはちゃんと『
そして翌日の復活の主日は夜中の大雨が嘘のように、朝から快晴だった。
今日は昨日までにまして多くの市民の
時間的には普段の主日のミサと同じ時間帯に
教会の鐘が高らかに鳴り響き、厳かに、だが華やかに喜びの祭儀は始まった。
約千五百年前のこの日の朝早くから忙しく駆け回っていたマグダレナのマリアがイエズス様を埋葬した墓が空であるのを見て、知らせを受けたペトロともう一人の弟子はイエズス様が死に打ち勝って復活したことを知るのである。
そのことを語る「ヨハネ伝」の朗読の後、司式のオルガンティーノ師が日本語でその内容を会衆に告げた。
「皆さん、ここで一つ忘れないでほしいのは、イエズス様の復活は『
会衆たちは、今日は神妙に聞いていた。
「そして皆さん、今日は皆さんが受けた洗礼の意味をもう一度確認しましょう。ますはキリストの十字架と復活を受け入れたこと、その信仰がゆるぎないものかどうかです。使徒たちもイエズス様が復活されたという知らせを聞いても、なかなか信じませんでした。人間って、どうしても自分の目で見たことしか信じないものですよね。でも皆さんは、千五百年も前の出来事だから見ることはできない、それでも信じていく必要があるのです。『見ずして信ずるものは幸いなり』とイエズス様も仰せになっています」
何人かの
「キリストの十字架の死と復活は、すべての人類の罪の許しとなる素晴らしい良き知らせなのです。皆さんはその知らせを述べ伝える、一人でも多くの人に伝える使命があります。今日のミサは皆さんをその使命のために、世の人々の間に派遣するためのミサでもあります。行きましょう、主の平和のうちに」
そして祈りは続き、かなりの時間をかけての聖体拝領となった。
それからはそれぞれが用意した
それが始まると、その行列を見るために多くの大坂の市民が押し寄せて、城下はものすごい騒ぎとなった。
私はそれを見て、日本に来て初めて見た
あの時はヴァリニャーノ師もいて、まるでローマに帰ってきたみたいだとヴァリニャーノ師はしきりに感嘆していた。
今日の行進も、数としては引けを取らないだろう。だが、都でもそうだったがここ大坂でも、行進は大阪という巨大な都市の一画で行われているにすぎない感がある。丘の上の教会よりもはるかに高いところから、巨大な天守閣は冷たい顔で無言のまま行進を見下ろしている。
そしてそのお城の周りには、今日の
私は、なぜかため息が出てしまった。まるでローマのようだというのは、幻想にすぎないような気がしたからだ。
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