Episodio 2 1587年の復活祭(Ohzaka)

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 それから半月ほど、お城の方は何の動きもなかった。

 私はこれまでと変わらず、神学校セミナリヨで学生たちと平穏な日常を過ごしていた。

 ドン・アゴスティーノの海軍とともに一度は出陣したジュストも戻ってきて、教会に顔を出した。

 その時もたらされた情報によると、まずは関白殿下の弟君の美濃守殿を総大将とした第一陣が九州に向けて出陣し、十九人の殿たちがそれぞれの部隊を率いる編成だそうだ。

 すでに下関にいる黒田殿ドン・シメオンもこれと合流する手はずだという。時期はまだ分からないが、さらに半月はかかりそうだということだ。

 そしてジュストや蒲生殿ドン・レオン含む編成軍を率いての関白殿下直々の出陣は、まださらにそのあと二十日後かひと月後になりそうだとのことだった。

 そうなると、関白殿下の出陣は四月になってからかもしれず、どうやら私はこの大坂で聖週間と復活祭バスクアを迎えることができそうだった。今年の復活祭バスクアは三月の最後の日曜日、二十九日だった。


 ドン・ジュストが話していた美濃守殿の率いる第一団の軍勢が出陣したのは、その三月の十八日、復活祭バスクアの約十日前で、その次の週が聖週間となる頃だった。

 もうすっかり春めいて、大坂の町が桜の花で塗りつぶされるのももうすぐだということだ。

 近頃はすっかり春めいて暖かくなってきていたがこの日はまるで冬に逆戻りしたかのような寒さで、朝には霜が降りたほどだった。ただ天気はよく、雲ひとつない青空だ。

 軍勢は教会の真下の天満橋を渡って大淀の向こうへと行軍する。軍全体が橋を渡り終わるまで相当の時間がかかった。教会からはその様子が間近に見降ろせて、我われは司祭館の二階の窓からずっとそれを見ていた。恐らく数万の軍勢だろう。

 今回の出陣に先立って三月になってからすぐに、まだ洗礼を受けるには至っていないけれど教会に出入りし、我われの説教を何度となく聞いていた宇喜多八郎という若い殿が先鋒として何万かの兵を率いて大坂から出陣していた。

 関白殿下の出陣は四月になってからになりそうだったが、そのお蔭で聖週間にはドン・アゴスティーノ→ドン・シメオンは仕方ないとしてそれ以外の主だった信徒クリスティアーノの殿はまだ大坂にいて、ミサに参列することができた。

 ナターレ(クリスマス)もそうだったが、今年の聖週間は心なしか私には今までになく盛大に感じられた。

 

 聖木曜日にはお城の方からの多数の信徒クリスティアーニが押し寄せ、また大坂の市民もあふれてまたもや聖堂には入りきらない状況になった。

 御聖堂おみどうの障子もすべて外して柱だけにして、庭からもミサに参列できるようにした。

 いつもは朝に行われるミサも、この日は夕刻からになる。

 まずは私の司式だった。

 聖書ビブリアの朗読は「旧約」が出エジプトの過越の祭りの起源となった下り、書簡は聖体制定の下りでキリストの御体おんからだと御血を通しての新しい契約の意義、私が読む福音書エヴァンゲリウムは最後の晩餐でイエズス様が使徒たちの足を洗ったくだりである。

 朗読はラテン語なので日本人の信徒クリスティーノには全く分からないはずだ。福音書はまず、ユダに悪魔が入ってキリストを裏切る決心をさせたところから始まる。

 そこはかねてから私が気になっていた個所であった。今日読んだ「ヨハネ伝」にはないのだが、イエズス様は最後の晩餐が始まる前にユダに向かって「あなたのなすべきことをしなさい」と言いつけ、その晩餐の席から離れている。ユダはその足で、イエズス様を通報しにユダヤ人の祭司たちの元へ走るのである。

 今はそれについて考えている余裕はない。ミサを進めなければならない。だから福音書エヴァンゲリウムを読み進め、イエズス様が使徒たちの足を洗う下座の姿を示されたところでは、かつてこのミサの洗足式でヴァリニャーノ師がジュストの足を洗った遠い日のことを思い出したりしていた。

 私が日本に来て初めての聖週間で、あの時は高槻で迎えた。あれからもう六年か七年はたっただろう。

 またもやそんな感傷にも今は浸っている暇もない。いつものことだが朗読の後の説教では、普通は自由に自分の考えたことを話していいのだが、日本の教会ではまず朗読箇所を日本語で説明してあげねばならない。

 エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民がエジプトを逃げ出して祖先の地に戻る旅の始まりで、イスラエルの民であるしるしである子羊の血を門前に塗ることで『天主ディオ』が起こされた疫病はイスラエルの民の家を過ぎ越していったという話である。

 そしてキリストの最後の晩餐でパンがキリストの御聖体となり葡萄酒がキリストの御血となる儀式を最後の晩餐でキリスト自ら定め、それを記念したミサが現在で主行われている話をかいつまんで話した。

 日本の信徒クリスティアーニがどこまで理解したか、また私のつたない日本語でどこまで通じたか、やはりかつてヴァリニャーノ師が提唱していたように聖書の日本語訳が急がれるが、一向に完成する気配はない。

 そして聖体拝領も終わると、祭壇の上の飾りも布もすべて取り外され、ろうそくは消され、御聖体は私がお供をして皆で行列を作り、御聖堂の外に造られた聖体安置所へとゆっくりと行進する。

 今年は特に大がかりに、きらびやかにするわけにはいかないけれど人の目を引く聖体安置所が設けられていた。

 

 翌日の金曜日は年間で一日だけ、ミサがない日である。

 典礼はある。ミサがないというのは、ミサの根幹であるパンと葡萄酒が御聖体となる儀式がないということだ。

 式典は、午後三時ごろから始まる。この日は祭壇の上に布も掛けず、また一切のろうそくもともさない。暗くなってからだと、祭壇の上が何も見えなくなってしまうので、まだ明るいうちに典礼は始まる。実はそのような物理的な理由のほかに、古代イスラエルでは金曜日の日没から安息日になってしまうので、イエズス様の十字架もまたその埋葬も日没までには終えなくてはならず、急いで執り行われたことにも由来する。

 この日はオルガンティーノ師の司式だった。昨夜同様多くの信徒クリスティアーニが押し寄せ、参列した。

 今日の福音書エヴァンゲリウムは長い。エルサレムのオリーブ山のゲッセマニの園でのイエズス様の逮捕、祭司長カヤパの尋問からローマ総督ポンショ・ピラトの裁判、十字架の道行、そしてイエズス様の絶命まで「ヨハネ伝」で朗読される。

 日本人の信徒クリスティアーニはその長い朗読を全く分からないラテン語で聞かされるのだからかなりの苦痛かもしれないのに、皆厳粛な面立ちで理解不能の言語の朗読に耳を傾けている。

 当然そのあとの説教でオルガンティーノ師がその内容を日本語で告げるのだが、あまりに長いので全部を伝えるわけにはいかず、ほぼかいつまんでという形になった。

 ラテン語で読まれた時は、私にとっては幼い頃から毎年何十回と聞かされた朗読だけにもう光景が浮かぶが、逆に日本語での解説は新鮮に聞こえる。そしてその御受難の道行きの場面で、昨年秋に処刑された堺のルカスのことを思い出さずにはいられなかった。

 もちろん私はその処刑の場に居合わせたわけではないが、あとから聞いた話だとこのイエズス様の御受難の道行きにルカスは我が身を重ねて、むしろ無上の喜びに満ちていたという。

 そして私がオルガンティーノ師の、時には人びとの笑いを導く魅力的な日本語の話を聞きながら、昨夜と同様にイスカリオテのユダに思いを馳せていた。

 福音書エヴァンゲリウムでは悪魔が入ったとされるユダ。でもイエズス様はすでにユダの行動を知っておられた。

「あなたは、あなたのなすべきことをなせ」

 どうにも不思議な言葉であり、不思議な場面である。ユダの真意は何だったのか? そしてもう五年も前に起きたあの事件……主君を殺して今や逆族の汚名を着ている明智日向……そんな、もう忘れかけていた名前が不意に私の脳裏によみがえったりした。

 典礼は十字架の崇敬と聖体拝領で、まだ明るいうちに終わる。

 毎年毎年繰り返して行われる儀式であるけれど、感じ方は毎年違う。だが、今年はなぜか特別な感じがして仕方なかった。

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