Episodio 3 ジュスト高山右近の国替え(Takatsuki)

1

 いよいよ七月も最後の日になった。その日は水曜日だった。

 間もなく午後三時の九時課の時間なので、私は神学校セミナリヨから司祭館へ向かう渡り廊下を歩いている時だった。

 どうも足元がふらついている気がした私は一瞬めまいがしたのかなと思ったが、ともに歩いているヴィセンテ兄が、顔をひきつらせて天井や壁などきょろきょろとしている。そのうちカタカタと柱がきしむ音がして扉や窓も湧くも激しく音を建てていた。

「パードレ! 地震です!」

 ヴィセンテ兄が日本語で叫んで、その場にうずくまった。

 たしかに、足元が激しく揺れている。だが、このまま建物が倒れてしまうのではないかと言うほどでもなく、しばらくしゃがみこんでいるうちに揺れは収まった。

「長かったですね。結構大きかったし」

 私の耳には、ヴィセンテ兄のそんなのんきそうな言葉は入っていなかった。そのまま一目散に廊下を走って、神学校セミナリヨの方へ引き返した。

 教室に入ると、学生たちは平然と机の前に座っていた。

「皆さん、大丈夫ですか? けがとかはありませんか?」

 私がゆっくりと尋ねると、学生たちは皆笑っていた。

「まあ、確かに大きかったですけれど」

 年長のパウロが、笑みさ浮かべていた。

「地震なんて珍しいことではありませんから」

 彼らをこんなに落ち着かせているのは、やはり信仰心なのか。それに引き換え、私は嵐のガリラヤの海の小舟の上でパニコ(パニック)になって騒いでいた使徒たちの姿そのままだったような気がして少し恥ずかしくなった。

「用心に越したことはりません」

 私はまるでそんな自分を繕うかのようにゆっくりと言うと、教室から出た。

 確かにこの国は、地震が多いことは聞いている。私が来てからも、たびたび小さな地震ならあった。

 初めてのときは長崎で、私はなにしろ地震など遭遇したことがないので驚いていたが、周りにいる人たちはまたかという感じで気にもしていなかった。「こんなの地震のうちには入らない」とも言われてしまった。だが、今日のような少し大きめの地震は、初めて経験するものだった。

 その後で、フルラネッティ師の指示で教会や神学校セミナリヨの中を点検したが、別に損傷箇所はなかった。お城の方からもすぐにダリオが心配して駆けつけてきてくれたが、特に問題はないと伝えた。

 私は生まれてこの方、ローマでも地震を経験したことはなかった。イタリア半島は、エウローパの中でも地震が多い地域である。だが、多いとはいっても地震が全くない他のエウローパの国々に比べたらであり、日本の地震の多さに比べたらほとんどないと言ってもよかった。しかもイタリア半島で地震が起こる地域はローマから遠いところなので、ローマで大きな地震が起こったという話も聞かないし、記録もない。

 私が生まれる少し前にトスカーナで死傷者が出るほどのかなり大規模な地震があって、その時ばかりはローマもかなり揺れたそうだが、なにしろ私の生まれる前のことなのでよくは知らない。

 そんなことがあってその翌日からは八月となり、次の日曜日に羽柴殿の行列が高槻のそばの街道を通過していったとの情報があった。

 どうも都を目指しているらしい。

 ただ、多くの軍勢をひきつれてという感じではなく、戦争とは関係のないような行列だったと、それを見てきた領民たちは我われに告げてくれた。


 やがて、ダリオから衝撃の事実を聞いたのと、都の教会のカリオン師からの手紙が届いたのはほぼ同時だった。

 この週の火曜日は主のご変容の祝日だった。羽柴殿の行列が都に向かったのが日曜日の週日のミサの後だったから、ちょうど二日たっている。

 主のご変容の祝日の当日は、昨夜からの雨が午前中は本降りとなっていた。雨が全く降らずに人々が困った去年と違い、今年の雨の多さはこれまた異常だと、それでも教会に来ている信徒のうちでも特に農民は喜びの声を挙げていた。

 この日、平日であり、そして本降りの雨にもかかわらず教会堂には多くの領民の信徒クリスティアーノが押し寄せて、入りきれないほどだった。

 司式はフルラネッティ師である。

 私は高槻の領民たちとともにミサにあずかりながら、最初はまだ悶々としていた。この国の将来を案じ、預かっている神学校セミナリヨの学生たちの将来を案じ、自分の無力さに打ちひしがれていた。

 だが、フルラネッティ師がミサの中で朗読する「福音書」に、光明を見た気がした。

 この日は主のご変容のミサだから、当然朗読箇所はキリストが伝承ではタボル山といわれている高い山で神々しい姿にご変容され、ペトロとヤコブがそれを目撃する場面で、今年は「マタイ伝」の該当箇所が朗読された。

 主のご変容に驚くペトロとヤコブに、天から『天主デウス』のみ声が響くのである。

「これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり。汝ら之に聞け」

 そうなのだ。やはり、キリスト者としては総ての行いはキリストのみ声のままに行うべきなのである。

 いくら十字架像に問いかけても、そこには沈黙があるだけだ。それでは怠けの罪となる。み声は与えられた『聖書』のいたるところに『天主ディオ』のメッサージョ(メッセージ)が込められているのである。

 「之に聞け」……『聖書』は聖務日課と毎日のミサでそれを読まない日はない。だが、これまでどれだけ己を無にしてみ声を「聞いて」いたか、そこに込められたメッサージョ(メッセージ)を汲み取ろうとしたか……『天主ディオ』は必要としている者に必要なだけ、その智慧と力と勇気を与えてくださる。それはどんな困難にも打ち勝つ力なのである。

「これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり。汝ら之に聞け」……ペトロはその手紙の中で、「我らも彼と偕に聖なる山に在りしとき、天よりづる此の声を聞けり。斯くて我らがてる預言の言葉は堅うせられたり。汝等この言葉を暗き処に輝く灯火ともしびとして、夜明け、明星の汝らの心の中に出づるまで顧みるは善し」と言っている。

 そんなことで勇気が出てきたミサであった。

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