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思い切ったように。パシオ師は言った。
「その手紙の内容とは……フィリピーナスのイスパニア総督府より日本へ、兵隊や弾薬、大砲、兵たちの食料を満載した三、四艘のフラガータ船を、大艦隊とともに派遣してほしいと」
「なんですと!」
声を挙げたのはオルガンティーノ師だけではなかった。フランチェスコ師も、フルラネッティ師も、そして私も、一様に目を吊り上げた。フラガータ船といえばかなり大型の帆船で、戦争にも使用される。しかも、その船を旗艦とする艦隊を派遣せよというのだ。
「それで、
オルガンティーノ師の声も上ずっていた。
「その艦隊で日本の
「ばかな!」
誰もがしばらく言葉を失っていた。場に沈黙が流れた。オルガンティーノ師の顔が青ざめているのが、私にもはっきりと分かった。
「そ、その手紙はもう……」
「はい。日本の商人の船ですでにマニラへ」
「ああ」
オルガンティーノ師は頭を抱えた。
「手紙を送ったということは
目を伏せて首を小刻みに横に振っているオルガンティーノ師のそばで、私の頭の中にはヴァリニャーノ師の顔が浮かんでいた。
今回のコエリョ師の行為は、ヴァリニャーノ師が厳に戒めていたことだ。もし、ヴァリニャーノ師の知るところとなったら、ヴァリニャーノ師は烈火のごとく怒るであろう。
武力でもって脅して改宗を迫るというやり方は、あのインカの地で行われたおぞましい地獄図を再現することになる。そう、ヴァリニャーノ師から頂いたあの本、「Brevísima relación de la destr ucción de las Indias(インディアスの破壊についての簡潔な報告)」の通りにだ。
私もまた激しく首を横に振った。
「いったい
そう言ったオルガンティーノ師も興奮していた。
「それで、その手紙の続きには、こうあったそうです。もし日本全土の殿が
私は夏なのに、全身に寒気を感じ、震えが止まらなかった。今すぐにでも、ヴァリニャーノ師に戻ってきてほしいと思った。
セスペデス師が顔を挙げた。
「もしかして
「分からない。とにかく、あの人がやろうとしていることは分からない。しかし彼は、準管区長なのだ」
イエズス会の鉄の掟である、上長には絶対服従というのは。だから、本来ならばここで我われが準管区長の行動を非難することも許されないことなのだ。
だが今回のことは、もしイエズス会総長の代行者である
「とにかく、成り行きを見守るしかないだろう」
そう言ってオルガンティーノ師は、悲壮な顔で一同を見渡した。
「マニラのイスバニア総督の方も、どう出るか分からないし」
「あのう」
セスペデス師がオルガンティーノ師を見た。
「イスパニア人の私が言うのもなんですが、おそらく今のマニラの総督府には、そんな要求に応じる余裕はないと思いますよ」
「そうであることを祈ろう」
「
私は目を伏せたまま、ぼそっと言った。
「あのときあなたが準管区長を引き受けて下さったらよかった」
そう、確かにヴァリニャーノ師は、一同はオルガンティーノ師を準管区長に推したのだ。だが、オルガンティーノ師が頑なに辞退したので、仕方なくコエリョ師が準管区長になったのだ。
今さらこんなことを言っても仕方ないことは、私にも分かっている。オルガンティーノ師は何も答えず、ただ困った顔をしていた。でも、言わずにはいられなかった。だから、小声の早口のイタリア語で一気に言った。
「
そんな私の言葉を、オルガンティーノ師は手で遮った。
「まあ、今はそれは言わないように」
オルガンティーノ師も、この時だけはイタリア語だった。
「今はどんどん羽柴殿の家来に
まあ、そういう考え方もできると、私は口をつぐんだ。
その場はそれで散会となった。
その後、私は衝撃を胸に秘めつつも高槻に帰り、
安土にいた頃はまだ少年だったような学生も、もういっぱしの青年になって後輩たちの面倒を見ている。もうそろそろこの何人かは卒業させて、修道士としてイエズス会に入会させるか、あるいは豊後府内の
だが、安土以来ずっと苦楽を共にしてきた彼らと別れるのも寂しくはあった。
もちろん、育ち盛りの男の子である。決して終始大人しく落ち着いているわけではない。悪意のないいたずらも多かったし、授業中も騒がしくなることもあった。だが、彼らの目は一途だった。純粋だった。何かを真剣に求めている。
それだけなら、喜ばしいことだ。日本の将来は彼らの肩にあるなどと、きれいごとを言って済ませることもできる。
「こうなってほしい」という型を彼らに押し付けるのではなく、一人ひとりの個性を尊重して伸ばしてあげたい。これがイエズス会の教育の在り方だ。
だが、事態はひっ迫している。世界が大きく動き出しており、その波が日本をも襲おうとしている。今やポルトガルとスパーニャの均衡という安定は崩れた。
きな臭いにおいが漂ってきているし、しかもそれが我がイエズス会の内部、というか日本のイエズス会の頂上からも来ているのだからやりきれない。
さらにつらいのは、彼ら学生がまだそうのようなことを全く知らないということだ。
私は、彼らにこの心の中の葛藤や焦りを悟られないようにと、努めて明るく振る舞って彼らと接した。だから、彼らといる時は楽しかった。
だが夜に自分の部屋に戻ると、また悲しさと寂しさがこみ上げてくる。だから私は、ひたすら『
とにかく私にできること、それはたとえどのような事態になろうとも彼らを守ること、そしてこの日本を守ることだと思った。それは私だけではなく、オルガンティーノ師をはじめ少なくともこの都布教区にいる司祭たちの共通の願いだと私は信じていた。
そんな毎日が続くうちに、すぐに神学校は夏休みになった。
郷里が近いものは一時帰郷も許され、遠いものはそのまま神学校に残った。
四国での戦争は、まだ続いているようだ。
ダリオが教会に来るたびに、その息子のジュストから得た情報を提供してくれる。だが、羽柴殿は結局四国には渡らず岸和田にいて、四国の軍を指揮する指示を飛ばしているだけのようだった。
私はある日、
遠くまでよく見える。遥か彼方にはうっすらと山南が横たわっている。南の方には山はなく、大地の向こうは海だ。
だが海の向こうの四国では、長崎では、フィリピーノでは、そしてシーナ大陸では……いったいこれから何が起きようとして、そしてどのような人々の思惑が飛び交っているのか……。
それを考えるには、ここから見る景色はあまりにも変わらなさすぎる。いつもと同じのどかな風景がそこにはある。そんな景色を見ながら私には祈るほかは何もできない。
景色がのどかなだけに、余計にそれが歯がゆくもあった。
その頃、悲しい出来事があった。
私とともに安土から
かねてから病弱で、寝込んでいることも多かったアルメイダ兄であるが、ある日容体が急変して天国へと召されてしまったのである。アルメイダといえば、私とともにマカオから日本に来たあの老齢のアルメイダ師も天に召されたが、アルメイダ師よりもこのアルメイダ兄は遥かに若く、まだ二十八歳であった。
その衝撃と悲哀が癒えぬまま、去年と違ってある程度まとまった雨の降った梅雨も終わって本格的な夏となり、毎日が暑さでうだるようになった。
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