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四月に入るとすぐに聖週間となる。
高槻の教会はその準備で慌ただしかった。だが、今年も城主のジュストは、自分の領地である高槻で
そうしてなんとか枝の主日も終えた。
そして、またいつもの市内総出の大行進が行われるであろうと思われる。
戦争の知らせは、そんな時だった。もちろん、その知らせをもたらしたのは城主の代行であるダリオで、あまり公にしないようにとひそかにジュストから知らせがあったようでる。
思えばちょうど一年前、といっても四月十一日が
その頃に例の御本所殿および徳川殿との戦争が始まった。そして根来や雑賀衆という紀伊の寺の勢力に大坂が襲われたのも
しかもダリオの話では、今回の敵はその雑賀衆と根来衆だという。それは予想通りのことだったが、いよいよ始まるのかという感じだ。
羽柴殿から見れば、自分が別の戦争で留守中に大坂を攻め、一つ間違えればせっかく建築中の大坂城もすべて灰燼に帰すその一歩手前まで行った危ない状況だった。その雑賀や根来を放置するわけにもいかないだろう。
だが、御本所殿・徳川殿との戦争の間はそれどころではなかった。それが一応
その話を聞き、雑賀というのは一向宗門徒とも関係があることを思い出した。阿弥陀仏を信仰する一向宗についてはある程度その教義の内容を聞いたことがある。だがもうひとつの根来衆の本拠地の根来寺については一向宗ではなく、真言宗という宗派だということだ。
「真言宗とは、どんな宗派ですか」
私は
「弘法大師という人が広めた教えで、今日本ではいちばん信者が多いのではないでしょうか」
簡単な答えしか返ってこなかった。仏教は、私の知る範囲では一向宗、禅に加えて真言宗というのがあるということが、この戦争によって知識に加わった。
他に、かつてロレンソ兄が論破したという日蓮宗というのもあるはずだ。そして、
私は都にいた時に感じたように、もっともっとそれらについて学びたいと思った。オルガンティーノ師もそれを勧めてくれている。
だが、そう思うだけでいたずらに年月が流れていってしまっているというのも、実情だった。
いずれにせよ、聖週間にジュストはまたもや武器を持って戦わなくてはならないのが、
そしてダリオの話では、同じような経う遇なのはジュストだけではないようだった。
果たして、聖金曜日に羽柴殿の甥のまだ十七歳の孫七郎を先鋒とする三万の軍が大坂から南の、その対
ジュストといいドン・アゴスティーノといい、またそのほか多数の羽柴殿の
それとはよそに、高槻での
そしてこの日、おびただしい数の領民が洗礼を受けた。今や領主のジュストが教えを広めているという段階ではなく、信徒が信徒を呼び、福音の波はどんどん高槻領内の隅々にまで広がっていた。
領内にあった仏教の寺は相次いで僧が他国へ逃れたり、また僧自身が僧をやめて洗礼を受けた例も少なくはなく、長崎のように
紀州との戦争は、約一ヵ月間続いた。その終結は
そんな頃、何カ月ぶりかに大坂からジュストが戻ってきた。今度もそんなに長い滞在ではないという。
そしてすぐに教会を訪ねて来たジュストの口から、今回の戦争の全容が我われに語られた。
「あれは三月の末、バテレン様方の暦では四月に入っておりましたが、いわゆる聖土曜日の日でした」
ジュストの話によると、
「今回は苦戦いたしました。なにしろ相手は鉄砲の数では群を抜いております。最初の千石堀の戦いも激しい撃ち合いで、当方にもおびただしい数の戦死者が出ました」
話すジュストも、聞く我われも悲痛な顔つきにならざるを得なかった。
「雑賀占領後は、羽柴様は高野山と交渉、一時は高野山全山焼き討ちも辞さない勢いでしたが、高野山の方が折れて降伏致したので、信長様の比叡山での戦に続く高野山焼き討ちとはならずに済みました」
比叡山も高野山も、聞くところによるとちょうど八百年ほど前にほぼ時期を同じくして建てられた巨大な寺で、片や天台宗の、片や真言宗という仏教の大きな宗派の最上級の寺であるそうだ。
それぞれを建立した二人の僧は今では共に
いわば日本の仏教の二大勢力の、仏教徒にとっては二大聖地である。
その話を聞いて私は心のどこかで、そのような由緒ある場所が焼かれずに済んでよかったと思ってしまったのも事実だ。
ジュストや、そして聞いていたフルラネッティ師やフランチェスコ師がどう思ったかは分からない。ただ、もしこの場にコエリョ師やフロイス師がいたら、悪魔崇拝の根拠地が焼かれたことに、この上ない喜びを隠すことなく表明したであろう。
だが、都で道三ベルリオール先生から釘を刺されていた私は、それを喜ぶというような気持ちにはなれなかったのである。
「そうそう、その雑賀に陣を敷いていた時に、羽柴様のおそばにいた私もバテレン・セスペデス様にお会いしましたよ。仏教徒はよく“地獄で仏”という言い方をしますけれど、あの時の私にとってはそんな感じでした」
「地獄に仏」とは我われがいう「必要の時に真の友に会う」という諺に似たような言葉だろう。
「あの、大坂の教会の件ですね」
フルラネッティ師が穏やかにそう言った。セスペデス師が雑賀の陣中に羽柴殿に会いに行かれたのは、我われもオルガンティーノ師からの手紙で軽く知ってはいた。
雑賀では羽柴殿は大きな立派な寺院を降伏させたが、あまりにも優れた建築で焼いてしまうのはもったいないので、大坂の教会や司祭館の建築に必要ならば使ってほしいとその木材を大量に雑賀から大坂の教会まで運ばせたという。
羽柴殿が直接大坂の教会に寄贈したという形ではなく、教会の建築に役立てよとジュストに下賜したそうで、羽柴殿はジュストをまるで教会の司祭団の一人であるかのように扱っていることを物語っていた。
そして羽柴殿にその御礼を言うために、オルガンティーノそはセスペデス師とロレンソ兄を雑賀まで派遣したということだそうだ。
かつてオルガンティーノ師が例の道三ベルシオール先生の洗礼のため大坂を留守にするので、その代わりに都から大坂に派遣されていたセスペデス師だが、布教区長オルガンティーノ師の命でセスペデス師はそのまま大坂に留め置かれた。いずれ小豆島に教会をというドン・アゴスティーノの要請もあり、その時に備えるという意味もあった。
いずれセスペデス師から、雑賀の様子を詳しく聞くことができる日も来よう。
こうして五月上旬には雑賀衆の最後の残党が立てこもっていた太田城を羽柴殿は得意の水攻めで攻撃して陥落させ、この紀州での一連の戦争は終わりを告げたという次第であったそうだ。
「でもバテレン様方、うれしいお知らせもあります」
ジュストの顔は輝いた。実は彼がこれから何を告げようとしているのか、我われはそれもオルガンティーノ師からの手紙であらかた知ってはいたが、あえてジュストから初めて聞くふりをした。
「今、大坂はちょうど安泰した時にあります。まだまだ天下は総てが羽柴様のものとなったわけではなく、あちこちにまだ合戦の火種は残っておりますが、とりあえずはという状況でございます。全く『
「二百人!」
フルラネッティ師が、思わず叫び声をあげたほどだった。
「紀州との
「それにしてもすごい」
「たとえばどのような方が?」
気になった私は聞いてみた。
「まずは羽柴様の
「あの、ウママワリシューとは?」
「はい、グラルデ・ヘアとでもいいましょうか」
ジュストはポルトガル語に直してくれた。つまりは
「その頭である牧村
「ドン・レオンですね」
フルラネッティ師が口をはさんだ。
「大坂で受洗されたと、
「はい。そしてその蒲生殿のお導きで羽柴様のすぐそばに仕える軍師、黒田
「おお」
私は声をあげた。
「播磨の方ですよね」
「さようです」
私がロレンソ兄と播磨の室津に今のドン・アゴスティーノを訪ねて行った時に立ち寄った姫路の城で、私はその人に会っている。
当時の姫路の城は羽柴殿の城だったけれど、本来はその黒田殿の城だと言っていた。私は黒田殿の住む西の丸に泊めていただき、ロレンソ兄とともに夜通しキリストの教えについて黒田殿に語ったものである。黒田殿はかなり熱心に耳を傾けていた。今回の受洗は自然のなりゆきだろうが、やはり『
「その方はドン・シメオンですね。この方のことも聞いています。実はドン・レオンよりも前に、ジュスト、あなたが熱心に宣教をしていたお蔭だということですが」
「いや、そんな」
やはり、フルラネッティ師は知っていた。ジュストは照れて笑っていた。
「黒田殿は洗礼を受けるとすぐに羽柴様の御命令で淡路島に参られました」
「淡路島?」
それまで黙って聞いていたフランチェスコ師が首をかしげた。
「はい。いよいよ四国との戦も始まるようです」
かつて信長殿が、三七殿を総大将に、四国の長宗我部殿を討つべく軍を派遣しようとした。その出陣の矢先に例の本能寺屋敷の事件が起こったので、長宗我部殿との戦争は一時お預けになっていたはずである。それが今になってまた再燃焼しているようだ。
その話はそれまでとなって、武士たちの洗礼についてほかにもジュストの口から何人もの羽柴殿の側近ともいえる家来たちの名前が出た。みなそれそれ前後して洗礼を受け、それでその数は合わせて二百人ほどになったということだ。
「しかしこの高槻でも、今年になってからすでに合わせて千人は受洗されていますね。この調子だと、今年中には三千人ほどにもなりますよ」
「
私はたしなめるように、それでいて笑いながらフルラネッティ師を見た。
「数を競ってもしょうがないですね。商人の売り上げではないのですから」
言われたフルラネッティ師も笑った。
「確かに。ただ私が言いたかったのは、この大坂でのニ百人よりも高槻での千人という数は、あくまで高槻がジュストの領国であるから、ジュストの力だと言いたかったのですよ、皆、領民たちですから」
それが言い訳ではなく本心であろうことは私には分かっていたので、笑っただけで終わりにした。
そうしてジュストは今月末の二十七日・木曜日の主の御昇天の祝日までのそのまましばらく高槻にいるかと思ったが、また足早に大坂に戻って行った。
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