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 この年の復活祭パスクアは四月十九日だった。今年は都布教区の主だった教会、すなわち都の教会、高槻教会、そして新しい大坂教会と、それぞれの教会で盛大に復活祭パスクアを祝おうということになった。

 ジュストは昨年以来ずっと大坂に新築した屋敷に住んでいて、毎日大坂城に出仕しては羽柴殿の身近に仕えているということだった。

 そんなジュストが四旬節に入ると、ひょっこりとり自らの領地の高槻に戻ってきた。

「やはり聖なる期間ですから、自らの居城でもある高槻で主の御苦難をしのびたいと思い、暇を頂いてきました」

 戻るとすぐに教会を訪れて来たジュストは、我われにそのように話していた。

 我われの間では、ジュストが復活祭パスクアに大坂と高槻のどちらの教会のミサに参列するのかということが話題となっていた。

 ただこの分だと、このまま高槻にいてくれそうだ。。去年は出陣中で復活祭パスクアのミサに与れなかったジュストだけに、今年はこれまで通りに高槻で過ごしてくれるだろうと思って、昔のように毎朝教会を訪れては祈りを紗挙げているジュストをつかまえて、フルラネッティ師が聞いてみた。

「もちろん、こちらで過ごします」

 はっきりとジュストは言ったので、我われも安心した。


 四旬節の真っ最中に、例年通り高槻の城は満開の桜の花に埋もれた。

 そんな桜もすっかり散って、桜の木々にも花の代わりにも緑の葉が生い茂るようになり、復活祭パスクアも近付いてきた。

 そんな頃、夕刻であるにもかかわらず、ジュストが教会を訪ねてきた。何だか重要な話があるとのことで、私も神学校セミナリヨから棟続きの教会へと渡った。

「非常に残念なことでありますが、今年も復活祭パスクアのミサにはあずかれそうもありません」

 ジュストは悲痛な顔つきだった。

 その語るところによるとこの日突然、大坂の羽柴殿よりジュストに出陣命令が下ったというのだ。

「とにかく兵を率いてまずは都まで進軍せよとのことでございます」

「どういうことですか?」

 フルラネッティ師の問いに対して、ジュストが語った内容は以下の通りだった。

 信長殿の次男であり、三七殿の同じ歳の兄で、かつて茶筅チャセン殿と称していた御本所ゴホンジョ殿は伊勢イセという国の長島城に居住していたが、信長殿の幼馴染みでもある遺臣のイケ殿の仲介で、あの三河守ミカワノカミとわれわれが呼んでいた徳川殿と同盟を結ぶに至っていた。

 すでに早くから御本所殿は織田家の家督は三法師殿が継ぐという清洲での会議の決定事項を無視して、実質上織田家の相続人として振る舞っていた。そして徳川殿もそのように御本所殿と接していた。

 そしてその御本所殿が羽柴殿と内通していた三人の家来ケライを切り殺したという情報が大坂にも伝わり、羽柴殿は激怒。ついに羽柴殿は徳川殿と御本所殿に宣戦を布告したという。

 さらには織田家の重臣の池殿が羽柴殿の側に寝返って犬山イヌヤマというしろを占拠、それを受けて徳川殿も動き、犬山や清洲の城とも近い小牧山城に入ったという。

 そして羽柴側に着いている森という殿、あの信長殿の側近であった森乱丸の父だが、その殿と徳川殿との間ですでに戦争は始まっており、森殿は討ち死にしたということだった。

「羽柴様は今月の二十一日にも大坂を出陣して、御本所様討伐の軍を伊勢へと推し進めるようです。もちろん、このことは他言無用でお願いします」

 我われは他言しようにもできない。

「それで、羽柴殿の出陣の先鋒隊を私が命じられたということでしょう」

「いかに信徒クリスタンであってもジュストは殿トノでありますから、戦争をしなければならない。それは殿トノとしての宿命でしょう。いつ出発でうか?」

 ジュストはそれまで伏せていた顔を上げて、フルラネッティ師を見た。

「三日後です」

 この日は水曜日だったので三日後といえば土曜日、つまり枝の主日の前日だ。

「分かりました。ジュストも無事に戻れるように、我われで祈りましょう」

 フルラネッティ師は優しく言ってから、ジュストを励ますように微笑んだ。

 そうしてジュストは軍勢をひきつれて、高槻をあとにした。その軍勢も高槻の領民であり、そのほとんどが信徒クリスティアーニのはずだった。


 結局、ジュストは今年も聖週間や復活祭パスクアのミサに参列できなかったことになる。

 復活祭パスクアは多くの領民をジュストが兵士として連れて行ってしまったとはいえ例年通り、いやこれまで以上の盛況であった。

 信徒クリスティアーニの数は年々増えている。全員が御聖堂おみどうに入るのが不可能になっていることは、もう毎年のことだった。

 ただ、今年は土曜日深夜の復活徹夜祭の間中大風が吹いており、翌日の復活祭パスクアのミサでは雨が降り始めて、御聖堂おみどうに入りきれない会衆たちは皆、雨よけの帽子であるカサをかぶり藁で作った雨具であるミノを着ての参列となって難儀していた。

 今年になってから雨が降った日など数えるほどしかなかったのに、よりによって復活祭パスクアの日だけが雨だったのである。これも何か『天主ディオ』にお考えがあってのことだろうと、我われ司祭は思っていた。

 思えば三年前、私が初めて日本に来て迎えた復活祭パスクアはこの高槻でであったし、あの時はヴァリニャーノ師もいてその盛大さに大いに感動していたものだったが、あの時はまだそれでも参列者は御聖堂に入りきれていたのである。

 それを考えると、今昔の感があった。

 さらに、この三年で日本国内の情勢も大いに変わった。日本はこんなにもころころと情勢が変わる国なのか、あるいはちょうど時代の変わり目に私はこの国に来てしまったのか、まだよく分からない。


 そうして、復活祭パスクアも終わり、また晴天の日が続いた。

 二、三日たって、羽柴殿が大坂を出陣する日を迎えた。大軍は高槻の城には寄らなかったが、すぐそばの川沿いの街道を進んでいったようだ。

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