Capitolo 8 フィリピーネとの黒い糸(Filo nero con Filippine)

Episodio 1 尾張の戦争と大坂炎上(Takatsuki)

1

 新しい年、1584年を迎えた。

「新年、明けましておめでとうございます」

 その新しい年の第一日に、私たちの教会を訪ねて来てくれた領主ジュストは、ポルトガル語でそう言った。

 我われは正月はさほど重視しておらず、むしろ元日は『天主ディオ』の御母聖マリアの祭日だ。

 そして、六日後の主のご公現の祝日までまだ続いているナターレ(クリスマス)の期間の中だ。

 だが、この国ではかなり盛大に正月を祝うことを我われは知っている。だからローマ帝国時代以来の伝統である聖マリアの祭日のミサを終え、場をあらためて司祭館の広間でフルラネッティ師、フランチェスコ師、そして私はジュストのあいさつを受け入れた。

 ジュストの方も我われに合わせて、新年を祝ってくれている。なぜなら今日の元旦は、この国ではまだ十一月二十九日でしかないからだ。我われは基本的に主日のミサを行う関係や、教会暦の祭日などの関係で我われの故国での暦を使ってはいるが、この国で暮らす以上この国の暦をも尊重しなければならないことも百も承知で、布教区長のオルガンティーノ師もそれを強調していた。

 ジュストと会うのは一週間ぶりだ。あの大坂の新しい教会の献堂式とナターレ(クリスマス)を大坂でともに過ごしている。だが、ジュストにしてみれば、久しぶりに自らの領地にある居城の高槻に戻ってきたのだ。

 今彼は、ほとんどを大坂の屋敷で暮らしている。

「大坂は、どうですか?」

 フルラネッティ師が聞いた。新しい教会ができてからわずか一週間、それで果たしてどのような動きがあったのか、私とても関心がある。

「確実に流れが変わってきたと、肌で実感できます」

 ジュストはそう言った。

「大坂では、連日未信者がキリストの教えを求めて教会を訪れ、オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノ自らが説法に明け暮れる毎日です。教会を訪ねて来る人たちは特に最近大坂に新しく屋敷を建てた大名や武士が多く、羽柴様の側近の方たちも数多く教会に通い始めています」

「ほう、それは」

 フルラネッティ師は目を細めた。今や大坂は新しい城が建築中であるのと並行して新しい街づくりも進められ、多くの殿たちトノスが大坂に新しい屋敷を建てている。ジュストもその中の一人だ。

「高槻でも同じです」

 フルラネッティ師も言った。

「教会はこれまで主に信徒クリスタンの祈りの場であり、『天主デウス』に接する場でもありましたけれど、高槻でも今年になってからどんどん新しい人びとが教会を訪ねてくるようになりました。お父上のダリオから聞いているかもしれませんが」

「そういう人たちにこちらでも、フルラネッティ神父パードレ・フルラネッティ修道士イルマンたちが熱弁をふるっていますよ」

 フランチェスコ師もそう言って笑った。フルラネッティ師は少し照れたような笑みを見せ、言葉を続けた。

「本当の意味での福音宣教が始まったといった感じですね。未信者は次から次へとやってくる。庶民ばかりではなく、明らかに身分が高さそうな殿やその子息、貴人なども乗り物に乗ってやってきます。中には、何度も通う人も相当数出てきて、日曜のミサはこれまで以上の人々の参列者です」

 もっとも私はこれまでほとんど神学校セミナリヨに籠もりきりだったので、あるいは今までもこの風潮はあったのに気がつかなかっただけかもしれない。

 こうしてジュストは高槻にはほんの少し滞在しただけで、すぐに大坂の屋敷へと帰っていった。


 この会話を聞いたのを機に、ほとんど神学校セミナリヨに籠もりきって学生たちだけを相手にしていた私は、少しは教会の方にも関心を向けることにした。

 確かに、以前とは空気が変わってきている。たくさんの未信者が教えを請うて教会の門を叩く。大坂もそうだというし、ここもそうなのだ。

 だから、

「都もそうなのだろうか」

 と、私は日本人修道士のヴィセンテ兄に聞いてみた。

「どうでしょうか。都はまだまだ保守的ですから」

「確かに、テラ神社ジンジャの力が強い」

 それだけに、なかなか改宗を人びとは思い立たないのだろう。日本の民衆は我われの国の領民と教会との結びつき以上に、寺との結びつきが強いことを私は感じている。

 一人の人がキリストと出会い、教会の門を叩いて入門しようとしても、寺とのしがらみを断ち切ることは容易ではないことも、私はこれまでの日本での経験上知っていた。

 だから、新しく移住してきた人が多い大坂や、領主のジュストの力で寺の勢力が弱くなっているこの高槻だからこそ教会を訪れて来る人も多いのかもしれない。

「ところがこの高槻では、最近は寺の僧も来るのです」

「え?」

 私は驚いて、ヴィセンテ兄を見た。

「ただ、昔のように論争をして我われを打ち負かそうというよな僧たちではなく、純粋にキリストの教えを請いたいと言ってくるのですよ」

「よく知っていましたね」

 ヴィセンテ兄も私と同様、神学校セミナリヨに籠もっているとばかり思っていたからだ。

「それが、そういう僧侶の方たちが来ると、同宿が私を呼びに来ます。フルラネッティ神父様パードレ・フルラネッティが、僧侶たちの対応は私にまる投げですから」

 苦笑気味にヴィセンテ兄は笑った。

「それでも時には日本人ではなく異国のバテレンと話したいという人もいまして、それでフルラネッティ神父様パードレ・フルラネッティにふりますと、あの方はまあそれでもご自身で熱弁をふるわれます」

 今度は本当に、ヴィセンテ兄は笑った。

 私は考えていた。

 やはり日本での福音宣教のカギは、いかに在来宗教である寺や神社のいわゆる我われでいう聖職者に当たるような人たちを改宗させるかも大事なのではないかと。

 今まではどちらかというと、殿たちを対象に福音宣教をしていた。その方向を寺社に向けるとなると、よほど相手のことや相手の教えに精通していなければできない。

 そういった点では都のロレンソ兄がいちばん適任だったが、そろそろ日本人の修道士にまる投げではなく我われ司祭もそれに対応できるほどにならなければならない。

 それは日本人の聖職者養成と同じくらいに重要なことだと私は思った。日本の寺社の僧や神官と対等に渡り合えるのはオルガンティーノ師くらいだけれど、師も今は大坂である。


 ちょうどそんな折、二月も半ばを過ぎた頃にオルガンティーノ師が巡回で高槻を訪れてきた。

 三月になればすぐに灰の水曜日ジョルノ・デレ・ツェネリとなって、四旬節クアレージマに入る。その前にオルガンティーノ師は都布教区の全教会を回りたいのだろう。

 いい機会なので、私は思っていたことをオルガンティーノ師に告げた。日本の宗教界の人々を福音化する重要性と、そのために日本の既存の各宗教について学びたいということである。

「そのことは私も以前から重視してきたことだよ」

 オルガンティーノ師は大賛成のようだった。

「私も安土にいた頃に仏教各宗派については一通り学んだ。でも、安土では思うように学べなかった。高槻でもそうだろう。やはりそのためには、都がいちばんだ。ロレンソ兄イルマン・ロレンソもいるし」

「やはりそうでしょうね」

 うなずきながらも私は顔を曇らせていた。

「いっそのこと、都の教会に戻りますか?」

 私はすぐに返事ができなかった。そんな私の様子を見て、オルガンティーノ師は高らかに笑った。

「やはりそうでしょうな。あなたは神学校セミナリヨから離れられない」

 図星だ。ほんの短い間だけならまだしも、神学校セミナリヨの学生たちと離れてずっと都に住むことは私にはできない。もっとも、上長であるオルガンティーノ師から命じられたら話は別だが。

「まあ、焦ることはないでしょう。そのうち機会はあります」

 なぜか自信たっぷりに言うオルガンティーノ師だった。

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