3

 それが九月二十七日の木曜日だった。それからひと月ほど、私は教会でゆっくりとしながら、狭い所に押し込められている形になっている神学校セミナリヨの学生たちを相手にいろいろと勉学の話をしながら日々を過ごした。

 山に囲まれた都もすっかり涼しくなって、凌ぎやすくなっていった。ただ、周りの山々の木々が色づくにはまだ少し間があるようだった。


 三七殿はあれから一度も顔を見せていない。そんななだかんだでちょうど約一カ月後の十月二十八日の日曜日、日曜の主日のミサにあずかっていたドン・小西殿ドン・ジョアキムが、ミサの後でオルガンティーノ師のもとへまた何らかの情報を持っているような顔でやってきた。

「いやもう、昨日からまた北野あたりは大騒ぎどすわ」

 北野とは我われの教会よりもずっと北の方だと聞いてはいる。

「そこの大徳寺で上様のご葬儀や。ボンさんたちがもう仰山ぎょうさん

 オルガンティーノ師が、

「大徳寺?」

 と、聞き返したので、ちょうどその場に居合わせた私も「え?」となった。

 大徳寺といえば、ひと月前に羽柴筑前殿が信長殿の法要をやったという寺ではなっかっただろうか? 前日に信長殿の妹御やその夫の柴田殿、そして三七殿などが妙心寺で開いた法要とは別個に羽柴筑前殿が勝手に催したと、三七殿はかなり怒っている様子だった。

「葬儀は前に、この近くの本能寺屋敷の跡地で執り行われたのではないのですか?」

 オルガンティーノ師の問いに、ジョアキムも少し考え込んでいた。

「確かに。でもあんなしょぼいんとちゃいます。今度は本当にかなり盛大に葬儀は執り行わっとるちゅうことですわ」

「今度はどなたが?」

「へえ、羽柴筑前様どす」

「三七殿は?」

「なんでも上様のご血縁のご親族は、どなたも参列してへんとのことどす。息子さんがたをはじめお市様も、柴田様もその姿はないと…」

「それもおかしな話だし、百箇日の法要のあとに一カ月後に葬儀というのもおかしな話です」

 私とオルガンティーノ師は互いに顔を見合わせていた。

「ま、よろしかったら十五日に大々的な葬列が都大路練り歩くいいますさけ、話の種にでもご覧になったらよろしゅおまんな」

 十五日というと……という感じで、日本のカレンダリオの日付を我われのカレンダリオでいうならと指折り数えると、それは三十一日、つまり今度の水曜日だった。


 その水曜日は、よく晴れていた。と、いっても、ここ数日都はずっと晴れの日が続いている。ただ、晴れてはいても、さすがに翌日からは十一月とあって風は時折冷ややかに感じられた。周りの山々もほんの少し色づき始めている。

 そんな中、オルガンティーノ師とカリオン師とともに、私もドン・ジョアキムが言っていた大徳寺の信長殿の葬儀を見に出かけることにした。

 もちろん寺の中にまで入るつもりはないし、まずは入れないだろうが、今日は葬列があるということで道端でも十分見物ができるはずだ。

 そう思って行ったが、大徳寺が近づくにつれてどんどん人が増えていき、しまいには歩くのさえ困難なほどになった。本来なら教会から大徳寺までは約一時間ほどかかるはずだが、その手前、あと十五分ほどで着くだろうというあたりで我われはもう前には進めない状態になった。

 ここが、葬列の通る沿道であるようだ。その道の両側にはずっと北の方から大ぜいの民衆が詰めかけている。その中には牛が引く車もあった。貴人の車だ。

 我われがその民衆の中に入ると、少しだけ周りの人が場所を開いてくれた。それは好意というより、我われの顔立ちが珍しかったので、好奇心から顔を見るために少し場を譲ったという形だ。

 さすがにあのヤスフェの時ほどではなかったけれど、都の人たちにとって我われエウローパ人はまだ珍しいようだ。

 またおびただしい数なのは庶民だけでなく、道を警護する鎧を着た武士サムライもまた数えきれないほどで、それが人の壁を作って、庶民たちはその後ろから覗き見するという形だった。

 もはや、都中の人々がここに集まったのではないかと思われるくらいの人の山の中を、北の方から行列がゆっくりと近づいてきた。

 この辺りは民家も少なく空いている土地が多いので、人々もこれだけ集まれたのだろう。その人だかりの一番南の端は広大な敷地を持つであろうと思われる寺で、その大きな門には白い布が張られていた。

「あの寺は?」

 オルガンティーノ師が見物人の一人のお横に聞くと、男はオルガンティーノ師の顔を見てたいそう驚いていた。しかも、その顔が日本語で尋ねてきたので余計に驚いたようである。

 だから、

「あ、あれは寺とちゃうて、あれこそが火葬場どす」

 という答えが帰ってくるまで、だいぶ間があった。つまりこの門の中が火葬場である蓮台野で、北の大徳寺からゆっくり下って来ている葬列の終着点だろう。

 しばらく待つと、一様におびただしい数の旗を挙げた葬列は、かなり我われに近いところまで進んできた。ここで道を折れ曲がって、火葬場の門の中に消えていくはずだ。そのための警護の武士サムライたちの列がそれを示していた。まずは馬に乗った身分の高そうな武士サムライたちが数十人。皆頭にはかぶり物をかぶって、黒っぽい服を着ている。さらには徒歩で、多くの道具を担いだものたちも百人くらい入る。それがゆっくりと目の前で道を俺曲がり、やがて大きな屋根が行列の真ん中に見えて近づいてきた。

 それが近づくにつれて、人々はどよめきの声を挙げた。我われとて例外ではなかった。その屋根は人の力で担がれて進んでおり、担いでいるのは皆身分の高さそうな殿だった。台には金や赤、黒で装飾された手すりが付き、柱も見事な金であった。その屋根の下には棺桶と思われるものが乗っていたが、それが見た完全に金で装飾された目も見張るようなきらびやかなものだった。

 だが、あの棺桶の中に信長殿の遺体があり得ないことは、あの本能寺屋敷の事件をつぶさに知るわれわれには分かり切ったことだ。だったら、あの棺桶の中はどうなっているのだろうと思ったが、とりあえずそのきらびやかさに呆気にとられて我われは三人とも黙って見ていた。

 その直後に、私は見覚えのある顔を見た。信長殿の刀を高らかに持ち上げて歩く小柄な殿はあの姫路の城で見た気さくで陽気な羽柴筑前殿に間違いなかった。もちろん、この時は神妙な顔をしている。はっきりいってもうその顔は忘れかけていたのだが、今ここに鮮明に記憶に甦った。

 しかし、あの姫路で見たときよりは心なしか堂々としていて、信長殿の一家来という存在を遥かに上回る貫禄を備えているようにも感じた。

 そしてその後も次から次へと葬列の参列者の列は続き、その数はざっと三千人もいるのではないかと思われた。人だけではなくおびただしい供え物、花なども人々に抱えられて進んだ。さらには僧侶たちの列となる。こっちはもう三千人などと数を数える気にもならないほどの果てしない行進だった。

「もう、帰りましょう」

 オルガンティーノ師に促されて、私もカリオン師もまた人をかき分けてその場を離れた。

 たしかに、この行列がはけるまでいてこの見物人たちが解散となったら、それこそ身動きが取れなくなるであろうほどの混乱になることは間違いない。

 ため息をつきながら帰る道すがら、私はあることに気づいていた。いくら人が多くても信長殿のお子である三七殿がそんなに棺桶から離れて歩くはずはない。その三七殿の姿はどこにもなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る