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翌日は主日のミサがあり、教会の
殿であるジュストもその父のダリオも領民と肩を並べて供にミサに参列していた。
午後はそのジュストに招かれて城に上がり、あらためて
そして翌月曜日、つまり九月二十四日に、私はオルガンティーノ師やロレンソ兄とともに都に戻ることになった。
だがその前夜、私はオルガンティーノ師から都の布教区長としての命を受けた。それは、とりあえずは都に戻るけれど、この高槻の
もちろん私にとってそれは大歓迎で、『
オルガンティーノ師と離れ離れになってしまうのは寂しいが、私は胸が躍るのを禁じ得なかった。
そして久しぶりの都に帰り着き、カリオン師に労いとともに迎え入れられた。カリオン師からは、今の長崎の様子をいろいろと聞かれたが、
「いえ、何も変わっていないですよ」
と、私は笑いながら答えておいた。
たしかに風景はなんら変わっていなかった。だが、この都がわずか半年前とでは状況が大変わりしているのと同様、九州も殿たちの均衡が破れてまずい状況になっているのだが、そのことはとりあえず触れずにいた。
そしてかつて高槻にいたセスペデス師は、今はこの都の教会付となっていた。フランチェスコ師と交代する形だ。
「まあ、しばらくはゆっくり休むといい」
オルガンティーノ師も笑ってそう言ってくれた。例のポルトガルとスパーニャの件は、カリオン師とセスペデス師がスパーニャ人なので、折を見て自分から話すとオルガンティーノ師は言ってくれた。
ただ、私はカリオン師には知らせておかなければならない重大事項があった。カリオン師と私はともにマカオで叙階をうけ、同じ船で日本に来た。その同じ叙階仲間であるミゲル・ヴァス師の帰天については、すぐにカリオン師の耳に入れた。カリオン師も驚きとともに、かなり悲しんでいた。あの時叙階をうけた六人のうち、ミゲル・ヴァス師が最初の帰天となってしまった。
その三日後、つまり水曜日にはいつもの情報源である
「いやあ、大勢の人が北の方に行かはるさけ、なんやろと思いまして聞いてみましたらな」
いつもの通り集会所の縁側に腰掛けてドン・ジョアキムが語り始めた。
「妙心寺で信長様の百箇日法要だそうで」
「ヒャッカニチ・ホーヨー?」
さすがに日本通のオルガンティーノ師も知らないようだった。
「亡くならはった方の供養を、亡くなって百日目にするんどす」
「葬式ですか?」
と、カリオン師が聞いた。
「いや、葬式なら、信長殿がなくなってすぐに本能寺屋敷の跡地で行われたではないですか」
それには私がそう答えた。たしかにあの日は一日中、仏教の僧侶の読む「
「いえいえ、葬儀やのうてあくまで法要どす。仏教ではなくなった後、何日目、何日目と決められた日付にその法要いうんをやるんどす」
私とオルガンティーノ師は顔を見合わせた。そして、オルガンティーノ師が二人の共通の疑問をドン・ジョアキムに向けた。
「その法要は、だれが主催ですか?」
そのような重要な法要だから、その主催者が信長殿の跡継ぎであるということを内外に誇示するものとなるはずだ。
「お
妹が主催ならあり得ることだけれど、後継者とか跡継ぎとかとは関係のない話だ。
「でも、その妹さんはご結婚されていますか?」
このような質問をするということは、オルガンティーノ師にとっても信長殿の妹御という存在は初耳だったのだろう。
「前に
柴田修理といえば、あの清洲での会議の時の三七殿の話に盛んに名前が出ていた柴田権六殿のことだろう。かつては織田家の家来の中では一番上の人だった。結婚はその清洲での会議よりも後の話らしい。三七殿とも結構仲良くしている人のはずだ。
翌日、その三七殿が何人かの供をつれて教会を訪ねてきた。
久しぶりに見るこの貴人の姿は、前よりも野性味が増したように感じられた。
教会の集会場の広場ではこれまでと同様に、あくまでオルガンティーノ師をはじめ我われ司祭を上に座らせて、三七殿は下座の位置にいた。
「ご無沙汰しております。実はここのところ三法師の後見としてずっと岐阜におりまして、なかなか都に出てくることもできずに失礼いたしました」
そう言って三七殿は頭を下げるので、オルガンティーノ師は苦笑して我われの方を振り返り、
「かえってこちらが恐縮してしまうね」
と早口で小声のポルトガル語で言った。三七殿のこの言い方だと、私が
「このたびは父の百箇日の法要が営まれまして、それに参列するためにようやく上洛の機会がありましたので、こちらにも参らせていただきました」
やはり昨日ジョアキムが言っていた
「わざわざそのために、岐阜から来られたのですか?」
オルガンティーノ師の問いかけに、三七殿は大きくうなずいた。
「法要の施主が我が叔母上でありますから、私が顔を出さないわけにはまいりません。でも、今や織田家当主である三法師はまだ幼少で都への長旅はいろいろと難儀なので岐阜に置いてきましたゆえ、その後見役である私が三法師の名代として参列したというそういう意味合いもあるのでござる」
そこで、セスペデス師が身を乗り出した。
「岐阜は、今はどんな様子ですか? 岐阜の南蛮寺は?」
やはりかつてご自身が在住した土地である。気になるのだろう。
「町全体は落ち着いています。でも、南蛮寺はまだ破壊されたそのままですね。もう少し天下が落ち着いたら、頃合いを見てなんとか南蛮寺が再興できるように取り計らいましょう」
オルガンティーノ師もセスペデス師も顔を輝かせた。これは頼もしい言葉だった。やはりこの殿に早く洗礼を受けてもらって、さらには天下人になっていただけたら福音宣教も一気に進むであろうと思われる。そんな希望をもたらしてくれるお人だった。
「私としても早くそうしたいのです。もはや私がキリシタンとなることをためらう必要はありません。でも、岐阜在住の身ではこの都の南蛮寺に通って洗礼を受けるというのは現在では実質上非常に厳しい。だから岐阜の南蛮寺を再興して、バテレン様を派遣して頂けたらすぐにでも洗礼を受けられるでしょう。そして、どうか三法師にも洗礼を授けていただきたい」
三七殿は前にもそのようなことを言っていた。すでに三歳ということでは幼児洗礼としては遅いかもしれないがまだ間に合う。そのためには、父親代わりの三七殿が先に洗礼を受けないとまずい。
「まあ、父の百箇日も終わりましたし、ぼちぼち取り組みましょう」
「法要には皆さんご参列で?」
「はい。特に柴田修理殿はお聞き及びかと思いますが我が叔母上を娶りましたので、叔母上とともに施主としておられました。私にとっては義理の叔父上となられたわけです。ただ……、」
そこで三七殿は少し顔を曇らせた。
「天下を合議で決めると約した四家臣のうち、羽柴筑前殿が全く姿を見せなかったのです」
その時、
「ごめん!」
と、教会の門の方で声がした。同宿が何人かで応対に出たが、その声はこちらにも筒抜けだ。
「それがし、織田三七様の家臣、幸田彦右衛門と申すもの。こちらに我が殿はおいでになりますか」
「おお! 参れ!」
やりとりが聞こえていた三七殿は、大声でその家来を呼んだ。集会所の庭さきにその家臣はかがむと、三七殿も立って縁の方に行き、幸田と名乗った家臣を見下ろした。年の頃は三七殿とほとんど同じという感じだった。
「実は、羽柴筑前殿が本日、上様の百箇日の法要を大々的に行っておりまする」
「父上の百箇日の法要? それなら、昨日叔母上が妙心寺であんなに盛大に行ったではないか。羽柴筑前はそれに参列しなかったばかりか、今日別に同じ法要をやるとはどういう料簡だ?」
ものすごい剣幕で知らせに来ただけの家来を怒鳴りつけているので、その家来が気の毒になってしまった。それにしても、こんなに激昂した三七殿を見るのは、我われ誰もが初めてだった。
「どこでやっているのか」
「大徳寺でございます。昨日の妙心寺に負けないくらい、かなり盛大な法要になっておりますとか」
「兄上や柴田殿はご存じなのか」
「今、知らせが行っていると思います」
「けしからん! 許せん! 見てくる! 言ったところで中には入れてもらえないかもしれないが……」
そのまま三七殿は我われに向かって立ったまま一礼した。
「そういうことでございます。今日はこれで失礼いたします」
そうして、そのまま大股で歩いて教会を出て行った。
我われは事情がよく分からなかったので、突然のなりゆきにただ呆然と三七殿の背中を見送るしかなかった。
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