Episodio 2 着かない船(Nagasaki~Arima)

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 私が気が進まないまでもコエリョ師の部屋のポルタ《(ドア)》を叩いたのは、その翌日だった。

 どうも気が滅入めいって落ち着かない。でも、自分の中にどうしても腑に落ちないものがあって、それで気分がすぐれなかったのではっきりさせたかったのだ。

 それは、マカオのカピタン・モールのことだった。マカオでポルトガル人は居住が認められているというだけでゴアのようなポルトガルの領地になったわけではないが、カピタン・モールといえばゴアでいうところのポルトガル総督にも相当するはずだ。

 それなのにポルトガルがスパーニャに併合されたという情報を知ったとたんにスパーニャに迎合し、それだけではなくそのスパーニャ人のチーナへの軍事進攻スパーニャ国王に勧めるなど、本当にポルトガル人なのかと思ってしまう。

 私はポルトガル人ではないので別に怒りを感じているわけではないが、ただ、状況が理解できなくて悩んでいたのだ。

 ヴァリニャーノ師は私に手紙を書いてくれたが、同時に準管区長にも手紙を書いていた。準管区長宛てにはもっと詳しく、あちらの状況が書かれていた可能性もあるので、あまり気乗りはしないが私が都へ帰る前に聞いておきたかった。

 コエリョ師はいつも通り表情も変えず、かといって不審そうな顔すらもせずに私を自室に招き入れ、椅子を与えてくれた。さすがに準管区長の部屋だけあって広い。かつてはヴァリニャーノ師が使っていた部屋だ。

 建物自体が日本風建築で木の床の部屋であり、ヴァリニャーノ師はそのまま日本式の部屋として使っていた。だが、コエリョ師はその床の上に赤い絨毯を敷き、椅子と机などエウローパ風の家具を持ちこんで完全に洋室にしていた。

 私は早速、来意でもある疑問をぶつけた。

「以上のことについて準管区長はどのようにお考えですか。わたしには到底理解できないのです」

 いつものようにコエリョ師は伏せ目がちに目を閉じ、しばらくの沈黙の時間を過ごした。やがて、目を開けて私を見た。

「カピタン・モールは聖職者でもなければ軍人でもない。あくまで商人なのですよ。商人であって、マカオでは変則的に行政をも任されている。そんな立場の人だ。ポルトガルとイスパニアが実質上は一つの国になった以上、イスパニアの国王に忠誠を誓い、その国策に従うのは当然のことでしょう」

「でもそれで戦争になったら、元も子もないではないですか。今巡察師ヴィジタドールの指示でマカオから何人かの司祭がシーナ大陸の福音宣教に向かおうとしています。戦争になれば、福音宣教どころではなくなります」

コニージョ神父パードレ・コニージョ

 あまり感情を表情に出さないコエリョ師だが、少しばかり私に対する見下げた心がその顔に現れていた気がする。

「別にカピタン・モールは戦争を勧めたわけではないでしょう。これまでイスパニア国王は何度もシーナの皇帝にアプローシマル(アプローチ)してきたのに、シーナ皇帝はそれをことごとく拒絶して国を閉ざしていたのです。そんなシーナ皇帝に開国させる贈り物は金銀財宝ではなく軍勢を差し向けることだというだけ。戦争が目的ではなく、あくまでシーナが国を開いてくれるだめですよ」

「それでも応戦されたら、戦争になりますよね」

「聖トマース・アクィナスの正戦論はあなたも知っていますね?」

「はい」

「応戦されて戦争になったら、聖トーマスのいうところの防衛戦争でしょう」

 これまで一応準管区長としてのリスペット(リスペクト)を私はコエリョ師に対して持とうとしてはいたが、この一言でそれは霧散したようにも感じた。コエリョ師は話を続ける。

「我われは軍人でも政治家でもありませんが、我われにできることはまずシーナの地に信徒を増やして、日本の信徒クリスタン殿トノのような存在を増やし、その領民が皆信徒になればいざ戦争になってもその領民は皆イスパニアの味方です」

 私は真夏だというのに寒気さえ覚えた。イスパニアはアステカやインカで行ったコンキスタドーレスを、シーナで再現しようとしているのか……。

 私は震える声で、やっと口を開いた。

「イスパニアはただ、シーナの地に対する領土的野心があるのみでしょう。これまでイスパニアがインカやアステカの帝国を滅ぼしてノヴァ・イスパニアを建て、さらにフィリピーナスを領有してきたことを見れば、それは明らかでしょう。それに対してポルトガルは領土的野心はなく、ただ交易をするのが目的だったはずなのではないのですか?」

「時代が変わったのですよ」

 たしかに、コエリョ師は鼻で笑った。

「もはや、ポルトガルだのイスパニアだの言っている時代ではない。これまではもしイスパニアがシーナに手を出したらサラゴサ条約違反になるのでポルトガルは目を光らせていました。もっともフィリピーナスがそのそもサラゴサ条約に違反していますが……。でも、とにかく」

 コエリョ師の声が一段と高くなった。

「もはやサラゴサ条約すら存在しないのですよ!」

 私はもはやこれ以上、この男と対座するのに耐えられそうもなかった。

「ま、すべては『天主デウス』のみこころのまにまに世界は動くだけです」

 口ではそうは言いながらも、何と危険思想の持ち主なのかと思う。本当に司祭なのだろうか? 聖職者なのだろうか? 準管区長なのだろうか? あるいは、私の方が考え方が甘いのだろうか? それは『天主デウス』のみぞ知るといったところだろう。

 私はここで、信長殿もチーナの地に侵攻する考えを持っていて、どうもそれを阻止するための明智殿の反逆だったことも考えられるという、昨日の会合では話さなかったことをも話そうかとも考えたが、やめた。

 それを話すと、話がますますややこしくなりそうだったからだ。

 とにかく私は、まだ話が途中という感もあったが、コエリョ師の部屋を辞した。

 できれば早くこの地を離れて都に帰りたかったが、もうしばらくゴメス師の乗る船の到着も待ちたかったし、その前に有馬に赴いてヤスフェを有馬の神学校セミナリヨに連れて行かなければならない。

 まだしばらくは、この長崎にいなければならなさそうだった。


 それからというもの、毎日が悶々とした日々だった。ミサと聖務日課のほかは、特に何もやることがない。気分晴らしに長崎の町を散策しようかとも思ったけれど、あまりの暑さもあって面倒でやめた。

 それにしても、ヴァリニャーノ師はなぜもっと強引にあの時オルガンティーノ師を準管区長に推さなかったのだろうかと思う。もちろん、ヴァリニャーノ師の意中はオルガンティーノ師であったけれど、オルガンティーノ師が固辞したので結局は折れてしまった。

 準管区長という地位にある上長を批判したくはないが、また批判するべきではないが、コエリョ師が準管区長でいるということはこの国にとってもチーナにとっても甚だ危険なことなのではないかとさえ思ってしまう。もちろんそのようなことは、口が曲がっても言葉にして言うことなどできない。

 しかし、コエリョ師がどんな人であれ聖職者であり、この国の「キリシタン」たちにとっては「バテレン様」なのである。


 そうこうしているうちに、あっという間に十日が過ぎた。

 ゴメス師を乗せているはずのマカオからの船は、長崎にも口之津にも一向に到着しそうにもなかった。

「もう無理でしょう」

 夕食の後、皆がそろっている時に、コエリョ師は全体に向かって切りだした。

「間もなく九月になって西からの風もやみ、風の向きが変わります。これ以降はマカオからの船の到着は期待できないでしょう」

 人びとはどよめいた。コエリョ師も目を伏せていた。まだ到着しないゴメス師を乗せているはずの船がどうなったか、もちろん誰も知らない。

 可能性としてはマカオに引き返したか、途中のどこかの陸地に上陸したか、あるいは……最後に関しては誰もがそれを思った瞬間にその思いを吹き消そうとするだろう。一番誰もが思いたくない末路だ。

 だが、ゴメス師の船と同時にマカオを出港して今回たどり着いたガルセス船長の船も、途中マストを一本失うほどのひどい嵐に見舞われた後での到着だったのも事実だ。だから……。

 ここにいる司祭や修道士たちの総てがそんなことを思いながらも、ひたすらそこには沈黙があった。誰も、何も言わない。そしてその悲痛な思いは、自然と誰もが手を合わせての祈りとなっていった。

「それで」

 コエリョ師の声が、最初に沈黙を破った。

「もうこれ以上、ここでは待てません。私は口之津に戻ります」

 考えてみればコエリョ師は長崎に常駐しているわけではなく、これまで口之津や有馬の方にずっと滞在していたという話だ。

「決してあきらめたわけではありません。しかし船は長崎に着くとは限らず、実際に多くの船は口之津に着く場合もあります」

 それは潮の加減や風向きなどを見ての船長の判断による。実際、私の時は長崎着だったけれど、一年前のヴァリニャーノ師は口之津に着いておられたし、今回もガルセス船長の船も口之津に着いた。

 それを思うと、今準管区長が口之津に移ってもなんら不都合はない。イエズス会の本部はあくまで長崎のこの教会だが、準管区長が長くここにいなかったのは、口之津や有馬のあの地区に何か思い入れがあるのだろう。あそこだと、天草も近い。

「私とフロイス神父パードレ・フロイスはあさって、口之津に向かう。損傷の激しかったガルセス船長カピタン・ガルセスの船の修理もそろそろ終わるらしいので、その船を口之津に回すというので同乗させてもらう。それから」

 コエリョ師は私を見た。

コニージョ神父パードレ・コニージョニコラオ兄イルマン・ニコラオも同行してください。まずはヤスフェを有馬につれていかなければならないでしょう? それが終わったら、そのまま都にお帰りください」

 有無を言わせない口調だ。しかしそうでなくても準管区長の命なのだから逆らえるはずもなかったし、また逆らう必要もなかった。

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