7

 三七殿が再び都の教会を訪れたのは十一日後だった。

 もはやあの信長殿が亡くなった事件からひと月以上たって七月も下旬に差し掛かっており、すっかり梅雨も終わってかなり汗ばむ季節となっているはずだった。

 だが、今年は梅雨が終わってもどうも天候不順で、太陽が出ている時間が極端に少ない。温度もあまり上がらずに、そんなに暑くはない夏だった。

 本来なら都は周りが山に囲まれているだけに、余計に町全体が蒸し風呂の底にあるようにじめじめと蒸し暑いはずだ。だが、どうも夏らしいかっと暑い日がほとんどない。過ごしやすいといえば過ごしやすくそれでも感謝なのだが、こうなると農作物の出来も心配になる。

 そんな暑くはない夏の間に、高槻の方は新しい神学校セミナリヨの建設について驚くべき早さで事が進み、土地の選定や資材の調達など進捗具合についての報告がどんどんとジュスト本人から、あるいは高槻の教会のフルラネッティ師から都へと届けられていた。

 他に高槻にはセスペデス師も無事に戻ったことや、ダリオ夫妻も無事に帰り、市民の大歓迎を受けたことなども報告が上がっていた。


 そんな頃、また三七殿が教会を訪ねて来ることになっていた。今回の三七殿の来訪は突然というわけではなくあらかじめ来意は告げられていたので、我われは集会室で並んで待っていた。

 だが到着した三七殿は上座には着こうとせず、あくまでオルガンティーノ師やカリオン師をはじめ私を含む五人の司祭の方が上座に着くまで座らなかった。

 まずは三七殿の話では、今回は本能寺の僧たちとの話し合いのために都に来たのだという。

 これまで信長殿が自らの屋敷を造営するために本能寺から譲り受けていた北東の一角の土地を正式に本能寺に返還するが、その代わりその場所に信長殿と城介勘九郎殿の墓を建ててほしいというそういう交渉で、すでに寺側も了承して話し合いは成立したという。

 それよりも私が知りたかったのは、この間の清洲での合議のことである。それは私だけではなく、ほかの司祭たちとて同じはずだ。

 だが聞くまでもなく、本能寺の話が一息ついたところで、

「ところで、今後の天下のことでございまするが」

 と、三七殿の方から話し始めた。

「結局清洲での合議は、予想した通りでした。三法師がいる清洲で会議を開くと聞いた時からそうではないかと思っていた通り、織田家の後継者は三法師」

「でも、まだ三歳なのでしょう? そんな子供が天下人テンカビトなのですか?」

 オルガンティーノ師の驚きの声に、三七殿は眼だけで否定の合図を送った。

「あくまで織田家の家督相続の話で、天下人ではありません。考えてみればまだ父上が織田家の棟梁で後継者の城介兄上とともに亡くなったというのなら、相続するのは茶筅兄上か私かのどちらかでしょう。でも、父上は織田家の家督をすでに城介兄上に譲っておられます。いわば父上はもう隠居の身。織田家の当主は城介兄上ですから、その兄上が亡くなった後の後継者は兄上の嫡男の三法師が継ぐというのは道理。私も茶筅兄上も異論は挟めませなんだ」

「では、天下人は?」

 ようやくフランチェスコ師が口をはさんだ。

「特に決めないとのことです。今後天下は四人の宿老の合議で運営し、織田家の所領の分割も決まりました」

 いわば、天下人のいない状態である。これではこの国は一気にまた内乱状態に戻ってしまうのではないかという危惧を感じさせる状況だったが、我われ司祭側は思っていても誰もそれは口にしなかった。いや、できなかった。

「で、三七殿は?」

「私は岐阜を中心に美濃を受け継ぎます。さらには三法師が成人するまでの後見人ともなりました。三法師が安土城主ですが、しばらくは私とともに岐阜におります。安土には全く焼けていない二の丸の修復が完了次第移ってもらいます」

「そうですか。それは一応は落ち着いたということですね。三七殿にとっても一応は悪くはないお話なのでは?」

 おどけて言うオルガンティーノ師に、三七殿は少し目を伏せた。

「まあ、一応は、ですが」

「一切あるがまま、なすがまま、『天主デウス』に感謝して素直に受け入れましょう」

「はい。岐阜の様子も落ち着きましたら再び岐阜の南蛮寺ナンバンデラも再興したいと思いますから、その時はバテレン様を派遣してください。私のみならず三法師ともども洗礼を受けさせて頂きたいと思っておりまする」

「いいことずくめではないですか」

 オルガンティーノ師は満面の笑みで喜んでいた。だが、三七殿の顔には少しだけ陰りがあった。

「ただ、気を付けてください」

 と、三七殿は言う。

「先ほど申した宿老の合議による天下運営ですが、一応は柴田権六殿を筆頭に動いております。だが、羽柴筑前には気を付けてください。どうも動きが怪しい。合議を逸脱した行動が目立ちはじめています」

「羽柴筑前といえば、明智との戦争のときは三七殿の配下で一番働いた武将ですよね?」

 オルガンティーノ師もいぶかしげに言っていた。

「いや……いちばん働いたのは高山殿と中川殿です。羽柴はただ誰よりも早く播磨から駆けつけたということと、軍勢を提供したというだけにすぎません。でも、どうもそのことを鼻にかけているようで、まるで自分が明智を討った総大将であるかのように振る舞っております」

 そういわれても私にはあの姫路ヒメジで会った、小柄で気さくな明るい好人物しか頭には思い描けない。

 だが三七殿はその羽柴筑前という殿のことを「腹黒い」とまで喝破して、その日は帰って行った。

 

 それから二日後、水曜日ではあったが使徒ヤコブの祭日のミサがあった。聖ヤコブゆかりのスパーニャでは大々的にお祭り騒ぎをする日であり、そのお祭り騒ぎはポルトガルやそのほかのエウローパの国にも広がりつつあった。

 ただ、日本では普通に祭日のミサが執り行われただけである。 

 そのミサの後に私は教会の御み堂の三階にあるオルガンティーノ師の自室に呼ばれた。

「急で申し訳ないんだが」

 二人きりの時はイタリア語だ。

シモに行ってくれないか」

「え?」

 確かに急な話だ。しかも自分は高槻に建設中の新しい神学校セミナリヨが完成した暁には、また神学校セミナリヨ付きを希望していたのだ。

「あのう、高槻の話は?」

 オルガンティーノ師は声をあげて笑った。

「ちょうど帰ってくる頃に、神学校セミナリヨもできるだろう」

 つまり、シモ布教区への転属というわけではないようだ。

「今回の、この日本の国の流れを大きく変えてしまう事件を我われは目撃した。これはイエズス会総長にも当然報告すべき大事件であり、そのためにはまずこの国のイエズス会の本部がある長崎の教会と、準管区長にも知らせておかなければならない。そして、都と安土の両方の様子を見聞した君こそが適役だ」

 確かに、事件発生時に都にいて、その後の安土や坂本まで行ってすべてを実際に見たのは私だけである。

 しかし、あの久しく離れていたあのコエリョ準管区長の顔を思い出したら、どうにもため息が出てしまう。私にとって苦手なフロイス師もいる。

「まあ、報告したらすぐに帰ってきなさい。連れていく修道士は君が選んでいいから。行ってくれるね?」

 一応は疑問形だが、上長の命令を拒絶することなど許されはしない。

 私は同じイタリア人である修道士のニコラオ兄に同行を頼むことにした。

 出発は一週間後、それまでに事件当時都にいたカリオン師と安土にいたアルメイダ兄がそれぞれの見聞を記録し、私がそれを長崎にもたらすことになった。

「私もその間、やりたいことがあります」

 そう言ってニコラオ兄も、一週間の間部屋に閉じこもっていた。

 一週間の後、ニコラオ兄が皆のいる部屋にニコニコして持ってきたのは、一枚の絵だった。

「おお」

 誰もが歓声を上げた。それは一枚の肖像画、描かれていたのはすでに亡くなった信長殿だった。

「本当ならばご本人を前に書きたかったところですが、今はそれもかないませんので私の記憶だけで描いてみました」

 この国の絵画は人物画にしてもあまり写実的ではない。そのような絵を見慣れてしまっていた我われは、ニコラオ兄が描いたエウローパの画法によるまるで生き写しの信長殿の姿に驚いた。

「いやあ、よく似ている」

 オルガンティーノ師も称賛していた。

「さすが芸術の国、イタリア」

 カリオン師もまた眼を細めて行ったが、オルガンティーノ師はそれを聞いて笑っていた。

「いや、イタリア人ならだれでもこんなふうに描けるというわけではありませんよ。そこはニコラオ兄イルマン・ニコラオの腕、ですね」

 たしかに、エウローパの画法で描けばだれでもこんな見事な絵を描けるというものではない。

「これを三七殿に差し上げてください」

 ニコラオ兄はそういう意図でこの時間を使ったようだ。

 さらにもうひとつ、動きがあった。

 ずっと信長殿に仕えていたヤスフェだが、今やあるじをなくして我われの教会で同居していた。

 そのヤスフェが私のシモ行きを聞きつけて、オルガンティーノ師に頼んできたのだそうだが、彼も有馬に戻りたいとのことだった。

 彼は日本に来てからずっと、この都と安土に来る前はヴァリニャーノ師とともに有馬の神学校セミナリヨに住んでいたのだ。オルガンティーノ師も彼の希望を聞き入れてくれたということで、私のところで同行のあいさつに来た。

 無論、私は異論を言うつもりはないし、またその必要も感じなかった。また、彼こそあの本能寺屋敷の事件の時に現場に居合わせた、事件の直接の目撃者でもある。準管区長への報告にも、いてもらえたらありがたい。


 そうして、八月に入ったその日に私とニコラオ兄、そしてヤスフェの三人はシモへと旅だった。

 出発間際にこれも参考として準管区長に提出するようにとオルガンティーノ師が持たせてくれたのは、「惟任退治記コレトータイジキ」と書かれた記録で、例の三七殿が気を付けるようにと注意を促してくれたあの羽柴筑前殿が自分の部下に今回の事件の一部始終を記録させたものだそうだ。

 惟任コレトーとは明智殿の別の姓である。羽柴殿はそれをいろいろな殿にすごい勢いで配布しているようで、あのドン・ジョアキムが入手して教会に持ってきてくれたのだそうだ。

 それをオルガンティーノ師自らポルトガル語に訳して私にことづけた。

「この間の三七殿の言葉もあるし、この記録がどこまで信用できるかどうかわからないけれど、一応参考までにということで。あくまでカリオン神父パードレ・カリオンアルメイダ兄イルマン・アルメイダの記録、そして君自身の、そしてヤスフェの直接の見聞を中心に報告してきてくれたまえ」

 それが、オルガンティーノ師から私への付託だった。

 その「惟任退治記」を少しめくって見たが、たしかに明智殿を打った総大将がまるで羽柴筑前殿であったかのように記されている。三七殿の名はほとんどなかった。

 

 都を出発した私とニコラオ兄およびヤスフェは高槻でまず建設中の神学校セミナリヨを見て、ジュストとも会見し、ダリオとも初めて会った。

 その体の中のどこに福音宣教のあの強大な力が隠されているのかと思うほどの柔和で細身の老人だった。

 それから堺へと至り、堺よりジュストの手配の船で無事に船出した。

 今やかつてと違い毛利は織田家の敵ではない。船は海賊を避けてほとんど陸伝いに進み、わずか十日ほどで毛利の領地と九州との間の、まるで川ような細長い海峡を通過した。それから海は荒海となったが、何とか無事に見慣れた山と山に挟まれた入り口の狭い湾に船は入って行った。

 しばらく湾の奥に進んだ後、右側に湾へと突き出た細長い岬がよく晴れた空の下で緑を輝かせたいた。船はその岬にどんどん近付く。海の方から見ると本当に細長い岬で、その長い岬の上に文字どおり長崎の町がある。

 岬の先端は松で覆われた小高い丘となっていて、その上に岬の先端の教会の屋根の十字架が光っていた。それを見たのが都を出てから二週間後、聖母マリア被昇天の祝日にぎりぎり間に合った八月十四日のことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る