6
「悪魔の話をすれば角が出る《(噂をすれば影)》……」
あまりの奇遇に私がふとイタリア語で言ってしまうと、オルガンティーノ師もイタリア語で、
「おいおい、三七殿は悪魔ではない。むしろ天使だ」
と言って大笑いしていた。
イタリア語なだけに我われが何を言って笑っていたのか分からないジュストはすぐにそのまま三七殿に向かって平身低頭し、そして立ち上がって三七殿を上座に据えようとした。我われもまたそれまでの車座を崩し、そのように座り直すために立ち上がろうとした。
「いえ、そのまま、そのまま」
むしろ三七殿の方が慌てて、庭から我われを制した。
「ぜひ、そのままの状況でお話ししとうございます。右近殿もそのままに」
「は」
ジュストはかなり恐縮していた。
「先に聖堂で祈りを捧げてまいりますゆえ、供の者たちが庭で待っていることをお許しください」
「あの首から下げた
三七殿が聖堂の方へ立ち去った後に、オルガンティーノ師は笑顔を浮かべた。それを聞いて私は、三七殿がまだ洗礼を受けていないという事実にむしろ違和感さえ感じていた。
「皆さん、どうぞおあがりなさい」
三七殿が戻る前に、外の暑い日差しの中で待つ従者を気遣ってオルガンティーノ師が呼び掛けたが、
「いえ、主命がない以上、勝手に動くわけにはまいりませぬ。お心遣いのみかたじけのう頂戴致します」
と、従者はにこりともせずに言った。
やがて三七殿が戻り、集会室に上がって来て我われの車座に入ろうとしたので、オルガンティーノ師はもう一度従者たちを室内に上げるようこんどは三七殿に言った。
そこで三七殿の方から従者に命じると彼ら五、六人の武士は集会室に入ってきたので、元からいて隅で固まっていた学生たちをさらに隅の方へと追いやる形となった。
「三七殿。今日は上様、お父上のお葬式で来られたのですね?」
オルガンティーノ師がまずそう聞き、それから正式に信長殿の逝去に対する追悼の言葉を述べた。それからは三七殿が来る前にジュストと話していたこととかぶるが、今回の信長殿の仇討ちとなる明智との戦争の話題で話は続いた。
しかし、総大将と一武将の話では聞く方が感じる臨場感も違っていて、現場で実際に指揮していたジュストの話よりもどうしても生々しさの面で欠けていた。
「三七殿」
と、一通り戦争の話が終わった頃を見計らって、私が口をはさんだ。
「これからの織田家は、そして天下はどうなりましょうか?」
私としては最大の関心事、先ほど三七殿が来る直前まで話題になっていたことを切り出したかったのだ。
だが三七殿はあごに手を当てて目を落とし、しばらく何かを考え込んでいる様子だった。その不機嫌そうな表情に、私は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと困惑してオルガンティーノ師を見ると、オルガンティーノ師も小首をかしげていた。
だが、すぐに三七殿はこれまでと変わらない様子で目を挙げた。
「長兄の
「はい。我われバテレンも皆、それを望んでいます。あなたは私どもの友です」
オルガンティーノ師が口をはさんだが、三七殿は力なくうなずいた。
「しかし、
私はこのやり取りに、ずっと前に安土で聞いた複雑な事情のことを思い出していた。実は信長殿の次男の茶筅殿よりも三男の三七殿の方が生まれたのは数日早かったということなのだ。なぜ次男と三男が逆転したのかということについては、三七殿の母親の実家の家柄や身分が低かったからだとか、出生の報告が信長殿に届いたのが茶筅殿の方が早かったからだとかいろいろいわれているらしいが、どうも本人たちも事情がよく分かっていないようだった。
いずれにせよ実は三男の三七殿の方が実際は次男なのだということは周知の事実であるらしい。そうなると、三七殿が織田家を継ぐということに何の支障もないはずだ。要は名目上次男である茶筅殿が後継者を主張して譲らないということのみが鍵なのだろうか。
そんなことを思っていると三七殿はまたもや目を伏せ、そのままで言った。
「兄は
これには驚いた。主君の跡継ぎを家来たちが合議で決めるというのだ。
「だいたいの想像はついています。そしてそのための合議が
「清洲?」
オルガンティーノ師は首をかしげた。オルガンティーノ師でさえ初めて聞く地名であるようだ。
「
「つまり、原点に立ち返ってという意味合いでしょうか」
「いえいえ、そんな感傷的なことではありません」
私の思い付きは、三七殿に簡単に否定された。
「城介兄上の子、すなわち私の甥である
「城介殿のお子? 今はおいくつで?」
「まだ三歳です」
オルガンティーノ師も驚いていた。
「では、三七殿も清洲へ?」
「はい。しかし、」
三七殿は少し目を伏せた。
「私も茶筅兄上も合議には招かれておりません」
これは意外な成り行きだ。
「集まるのは柴田権六、
我われはもう、誰も何と言っていいのかわからずに黙り込んでしまっていた。こんな時にすぐに口を挟むフランチェスコ師でさえ何も言えずにいた。
やはり遠い外国の、文化も政治形態も全く違う国での出来事であることを痛感せずにはいられなかった。我われが口を挟む余地はない。
そこでオルガンティーノ師は話題を変えて、
「ところで、三七様、洗礼の件は」
と切り出した。
「はい。もはやこれまで気兼ねしていた父はいないのですからすぐにでも受けたいところですが、やはり今後の情勢などが落ち着いからでないと私自身の気持がついてまいりません。会議には招かれていないにせよせめて清洲にはということで、明日発ちます。その件は清洲より戻ってからということで」
「そうですか。あなたに洗礼のみ恵みがあらんことを、我われ皆で祈っています。あなたがキリストと出会い、『
オルガンティーノ師はうれしそうだった。
そして、三七殿もジュストも辞した後、その日の
「今後のこの国の成り行きについては、もう『
と、今後のことについてはただそれだけを言った。
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