Episodio 10 雨の大山崎(Miyako)

1

 道はすぐに下り坂となって、山道から出て平野に出る。そしてしばらく行って横たわる川と、その向こうに息づいている都を見たとき、やっと帰ってきたとわれわれは思った。

 そのまま教会まで進む間も、都の人々をかき分けての行進となった。都は何事もなかったように、いつもの活気を見せている。その他の地方が一気に治安が乱れ、大ごとになっているのとは対照的だ。

 やがて大通りから教会の前に続く細い道に入り、十字架が見えた時、だれもが走りだしたい衝動に駆られていた。

 そして中へ入ると、我われの姿を見たカリオン師は大きく目を見開き、口をあけたまま一瞬固まっていたが、すぐに我に返って走り寄ってきた。

「ご無事でしたか! 生きておられましたか!」

 オルガンティーノ師と手を握り合う。

「明智が安土に向かったと聞きましたので、最悪の場合も考えていました」

「大丈夫、大丈夫。すべては『天主デウス』の御加護です」

 オルガンティーノ師はいつもの笑顔で、穏やかにそう言った。

 

 とりあえずは別棟の集会場で学生たちを休ませた。

 我われも少しの休息を取った後、司祭館でカリオン師らと日本の茶を飲みながら話した。カリオン師、ロトンド兄、日本人のコスメ兄とロレンソ兄も同席している。そしてヤスフェもそこに身を連ねていた。

「いやあ、本当に心配していましたよ。最悪の場合まで考えました」

 カリオン師は深くため息をついて、もう一度同じ言葉を繰り返した。

 そこでオルガンティーノ師は、安土を脱出してから今に至るまでの経緯を簡潔にカリオン師らに話した。

「やはりそういうことがありましたか。全くご無事ってわけでもなかったのですね。大変な思いをされて」

「しかし、今から考えますと、すべて『天主デウス様』の微に入り細を穿っての、水も漏らさぬお仕組みのお蔭です。そこにはいっさいの偶然というものはありません。本当にありがたいこと。『天主デウス』に感謝、です」

「しかし、安土もそうでしたけれど、都の外はひどいもので、全くの無法地帯。略奪や強盗が横行して、秩序も何もあったものではありません」

 と、ヴィセンテ兄が日本語で話に入った。

「本当に、たった一人の人間が死んだというだけで、世の中全体がこうにも狂ってしまうのですね」

 同じことを前にもだれかが言っていた気がする。信長殿は物質的には背の高さもわれわれとほとんど変わらない一人の人間であったが、その影響力はこの国の大部分の地に及んでいたのである。そう考えると、人間とは実に不思議な存在である。

「それにしても、都は落ち着いていますね」

 と、私が率直な感想を述べた。

「それは」

 と、コスメ兄が口を開いた。

「東宮様が明智日向守に、都の治安を維持するように命を下されたので、それで都の治安はかろうじて保たれているようです」

「ところで、そういえば高槻のセスペデス神父パードレ・セスペデスは岐阜に行っているはずですよね」

 それまでうつむいていたフランチェスコ師が顔をあげて聞いた。たしかにセスペデス師は先週の初めごろ、日本人修道士のパウロ兄とともに高槻から城介ジョーノスケ・勘九郎カンクロー殿のシロがある岐阜ギフに向かったという情報は来ていた。カリオン師は静かに首を横に振った。

「まだ何の連絡もありません。勘九郎殿も明智に討たれて亡くなりましたから、殿トノを失った岐阜も今頃どうなっていることやら……」

「ご無事であることを祈りましょう」

 と、オルガンティーノ師が言った。しばらくの全員での沈黙での祈りの後、

「この後、どうなるかですが」

 と、私は口を開いた。

「今、明智は怯えています。いちばんあてにしていた盟友の長岡殿はどうも煮え切らない態度のようで、信長殿の主だった家来ケライがいつ信長殿に代わって復讐に来るかということを心配しているようです。まずは越前の柴田殿、関東の滝川殿、播磨の羽柴殿、あとは信長殿のお子で伊勢の茶筅殿や四国に行かれた三七殿が父や兄のかたきを討ちに来ると構えています」

 父や夫、主君が何者かに殺された場合、子や妻、家来はその殺害者に復讐して殺すという「仇打ちアダウチ」というものが、この国では正当な権利として認められているようだ。

「いずれも遠い所にいますからすぐにはこちらに戻っては来られないでしょうけれど、いつかは来ると構えています」

「あの、三七殿は」

 と、コスメ兄が話に割って入った。

「四国には行っていませんよ。大船団を組織して、いざ四国に向かって出陣ということで船に乗ろうとしていたのですけれど、その数刻前に信長殿討ち死にの知らせが届き、急遽出陣を取りやめたのです」

「そうですか」

 オルガンティーノ師はじめとし、私も含めた今日坂本から着いたメンブロ(メンバー)は、皆驚きの声をあげた。こういう話に数人でも日本人がいるということは、情報の入り方がやはり違う。外国人である我われとは違うレーテ(ネットワーク)を持っている。そのことをポロリと言うと、

「いや、我われとてここにこもっているだけではなかなか事の次第はつかめません。ジョアキム殿が逐一状況を報告しに来てくれているのです」

 と、コスメ兄は言った。つまり、だいたいの情報源は信徒クリスティア2ーノの小西ジョアキム殿だったのだ。

「それで三七殿は」

 コスメ兄は話を続ける。

「父と兄の仇を討とうと、出陣するはずの軍勢でそのまま都に向かおうとしたそうです。しかしなにぶん寄せ集めの軍隊、信長殿の訃報に慌てふためき、怖じ気づき、その大半が逃亡して自分たちの国許に帰ってしまった。三七殿は裸同然です」

 確かにこの国では戦争の時の兵隊はほとんどが農民だと聞いている。戦争のたびに駆り出されて、農具を武器に持ち替えて戦っているだけなのだ。いざ不都合があれば本物の武士サムライのような忠誠心などほとんどない連中だ。逃げ帰ってしまっても仕方ないだろう。

「それで三七殿はともに四国へ行くことになっていた信長殿の重臣の丹羽ニワ五郎左衛門ゴローザエモン様と一緒に残った軍勢だけで大坂オーサカ城を攻めたのです」

「大坂城とは?」

 私には初めて聞く城の名だった。

「かつての石山本願寺の跡地に信長殿が築いていた城です。その城は信長殿の甥の七兵衛殿が預かって守っておりましたが、その七兵衛殿を三七殿と五郎左衛門殿は攻めたのです。七兵衛殿は明智と裏で手を組み、今回の事件に関与していたということらしいのです」

「ちょっと待って。今、信長殿の甥で、七兵衛殿と言いましたね?」

「はい。信長殿の弟の子ということですが」

「ああ」

 私は思わずため息を漏らしてしまった。坂本城で倫と会見した時に、自分の末の妹はこの七兵衛に嫁いでいると確かに倫は言っていた。

「奥方は、明智殿の娘ですね」

「そういうことです。だからおそらくは明智殿と共謀したのだろうと人々は皆噂しています」

「いや、七兵衛様は確かに横暴な性格もありますけん、人々からはあまりっよく言われておらんかったとですばってん、上様への忠誠心は人一倍強か方でいんしゃったとです」

 それまで沈黙していたヤスフェが、日本語で言った。彼は日本語でしゃべると、今でもまだシモの地方の訛りが出るようだ。

「じゃけん、七兵衛様は今回の事件には関係なかと私は思うとりますたい」

 信長殿のいちばん近くにいたヤスフェだからこそ、その話には信憑性がある。つまり、七兵衛殿は濡れ衣を着せられたわけだが、都でもほとんどの人が明智と七兵衛殿の共謀と思っているらしい。

「しかし、もうことは終わってしまっています。七兵衛殿は大坂城の城門をきつく閉ざして、三七殿や五郎左衛門殿の兵を城中に入れようとしなかった」

「そんなことをしたら、余計に嫌疑が深まるばかりでは」

 と、フランチェスコ師がポルトガル語で口をはさんだ。コスメ兄はそれは聞かないふりをしていた。

「三七殿と五郎左衛門殿の家来同士が大坂城の城門の前で大喧嘩をしている……もちろんこれは策略で、芝居だったのです。でも七兵衛殿はそれで城門を開けてしまい、一気に兵を城中になだれ込ませて七兵衛殿を打ち果たしました」

「え? 亡くなったのですか?」

 私は驚いた。そして妹のことを話し、心痛のあまり卒倒までした倫のことを思い出していた。

「それはいつです?」

「この間の洗者ヨハネの祭日の日ですよ」

 私が倫と話をしたのは、その翌日の雨の月曜日だった。つまりあの時点ですでに七兵衛殿は亡くなっていたのに、坂本にはその知らせがまだ届いていなかったのだ。

「七兵衛殿の父上は信長殿の弟ですが、二度にわたって信長殿に背き、とうとう信長殿に殺されました。でも、七兵衛殿だけはその時許されて、信長殿に仕えていたのです、そんな父親を持っていますし、おまけに奥方が明智の娘となると、今回のことが疑われても仕方ないのです。」

 三七殿の所業としては、あまりにも悲惨だと私は思った。たとえキリストの教えに接して、ほとんど信徒クリスティアーノと同様の生活をし、福音宣教にまで勤めていた三七殿だ。

 だが、彼はまだ洗礼は受けておらず、信徒クリスティアーノではなくいわば異教徒のままだ。

 それにたとえ信徒クリスティアーノであったとしても、戦争に関しては話は別というのが昨今の考え方である。三七殿が悲惨な手口で七兵衛殿を殺したとしても、仕方がないことかもしれない。

「その七兵衛殿の奥方やお子は?」

「それは分かりません」

 コスメ兄は首を横に振った。しかし、おそらくは路頭に迷っているだろう。倫や珠以上に悲惨な境遇に置かれてしまったのだ。だが、だからといって我われにはどうすることもできない。

「しかしそのことで三七殿の人気は回復して兵も集まり始め、今は丹羽殿とともに大坂城で時を待っています」

 コスメ兄が把握している状況はこれくらいのようだった。

 とにかくその日は休んで、夕食前には久しぶりに全員が風呂に入った。さらに翌日は、これも久しぶりにミサに与ることができた。

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