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翌日は雨も上がっていた。
この国の雨季もそろそろ終わってほしいと思うが、どうも七月も中旬にならないと終わらないようだ。
我われはいつでも出発できる支度をして、またオルガンティーノ師、フランチェスコ師、私の司祭三人で本丸の十五郎殿の屋敷にあいさつに行った。
都へ戻る旨を告げると、十五郎殿の顔も曇った。やはり姉に、我われを高槻に向かわせる説得をするよう言われているようだ。だが、やはりそこは若年、強くは言いだせずにいるようだった。
「そうですか、どうか道中ご無事でありますように。つきましては、こちらから都まで警護のものをお付け致しますが」
冗談ではない。警護のはずのものがいつ刺客に変わらないとも限らない世の中だ。そう考えられるまでに、私はこの国とこの国が今置かれている状況に慣れてきた。
だが、私などよりももっとずっとずっと長くこの国にいるオルガンティーノ師は、言わずとも同じことを考えていたようだ。
「それには及びませぬ。お気持ちだけ頂戴いたします」
これも日本人がよく使う、丁重な断りの言葉だ。オルガンティーノ師はそこまで身につけている。
「さらにお気持ちをということでしたらば、都までの道中、お味方の方々が道を固めていると思われます。そこを無事に通過できるような書状を一筆お書きくだされば幸いです」
実に流暢な、この国の人々の言葉だけではなく言語習慣までをも完璧に身に付けたオルガンティーノ師の語学力には舌を巻いた。私の日本語などまだその足元にも及んでいない。
「承知いたしました。すぐに祐筆に書かせましょう」
十五郎殿は上座にこそ座ってはいるが、あくまで我われに対しては丁重だった。
しばらくして他のものが書いた手紙を持ってきたので、十五郎殿はその内容を確かめてその手紙に自らの
そのあと、勘助の屋敷に戻ってからである。
勘助の方から、我われが寝泊まりしている部屋まで足を運んできた。我われが今日出発するというので見送りに来たのかと思ったが、勘助は頼みがあると言って座り込んだ。
「実は、出発は明日にしてもらえないだろうか」
またもや最後まで我われに高槻に行くように頼むのかと思っていたところそうではないようなので、この頼みの真意が計り兼ねた。
「なぜ、今日ではだめなのです?」
オルガンティーノ師もその前に座って、勘助に尋ねた。
「私は明日、高槻に向け出発します。よろしかったら途中までご一緒いたしましょう。あの沖の島でバテレン様方と出会ったのも何かの縁」
やはりこの国の人たちは「
我われがいうところの
「それと、高槻までご一緒いただけるのが無理ならば、せめて高山右近殿に書状をしたためては頂けませんか。明智に味方するようにと説得の書状です」
オルガンティーノ師の眉が動いた。昨日の取り決めでは、明智に味方することをジュストに勧めることは我われにはできないという結論に達していた。だからオルガンティーノ師はきっぱりと断るかと思った。だが、オルガンティーノ師は、
「いいでしょう」
と、あっさり引き受けたのである。私もフランチェスコ師も一瞬驚き、先にフランチェスコ師が
「明智につけと説得するのですか?」
と、オルガンティーノ師に詰め寄るようにイタリア語で言った。
「大丈夫。私に考えがある。ほら、このように勘助に聞かれたくない話は、イタリア語でなら勘助の目の前でこのように大声で話しても問題ないだろう? そして、ジュストはポルトガル語が分かるのだよ」
もうオルガンティーノ師が何をしようとしているのか分かった。果たしてオルガンティーノ師は、勘助に言った。
「私は日本語で手紙を書くことは得意ではありません。困りましたね」
これは嘘である。オルガンティーノ師は日本の
「他に書状が書ける方は?」
「おりません」
きっぱりと、オルガンティーノ師は言った。
「分かり申した。南蛮の言葉で構いません」
彼は足の短い畳用の小さな机の上でペンナ《(ペン)》を走らせた。私がのぞきこんだところ、そこには、
「決して明智に味方してはなりません。たとえ私がそう伝えたことで我われ全員が捕らえられて十字架にかけられようとも気にせず、あなたは正義を貫いてください。そのことが『
と、ポルトガル語で書かれてあった。ポルトガル語が読めない勘助は、ありがたそうにそれを懐にしまった。結果として、それを明智に味方することを勧める内容の手紙だと思い込んでいる勘助や明智家を騙す形にはなっている。そんな手紙に「正義を貫く」と書いてあるのが矛盾といえば矛盾だが、私はオルガンティーノ師の真意がなんとなくわかる気がした。
結局出発は一日延期になったのでその日の午後暇になり、その時間を使って私はオルガンティーノ師と例の手紙について語った。ますは手紙を見たときの率直な感想を述べると、オルガンティーノ師は笑っていた。
「『正義』の基準は何を元にするかだね。我われには『
「そうですね」
やはり私が感じたオルガンティーノ師の真意というのは、間違いではなかったようだ。
「常に『
「それが『
「そう。『
「はい、たしかに」
「これは決して我らがイエズス会という一修道会の護身などというけちな発想ではない。この国の一人でも多くの人々の『
全くその通りだと思う。私はなんと素晴らしい先輩、そして上長に恵まれたことか。ヴァリニャーノ師も素晴らしい恩師ではあったが、この国で『
このとき私には涙が出るくらいの感謝の情がわき出てきた。オルガンティーノ師がいかにこの国を、この国の民を「御大切」に思っているか、あらためて伝わってきた。
あとはこの手紙を読んだジュストにどれだけその真意が伝わるかだが、ジュストなら大丈夫だろうという確信がこの時の私の中にあった。
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