Episodio 4 信長生誕祭(Azuchi)

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 彗星出現という異変があったのとは裏腹に、私の日常は落ち着いていた。

 この頃になると私も時折神学校セミナリヨの神学過程では教壇に立つこともあり、髪を一様に短く刈り込んだ学生たちは真面目に、そして素直に私のつたない話にも聞き入ってくれた。

 私にとってこの時間がいちばん楽しかった。

 この学生たちが、私にとっては真の友ともいえるような気がした。彼らは幼児洗礼のものも多く、大人の信徒クリスティアーノはたいてい異教徒からの改宗者である中で、この国では珍しい生まれながらの信徒クリスティアーノなのだ。

 だから他の何にも染まっていないだけにのみ込みは早く、『天主ディオ』の教えにも素直であった。

 私は福音宣教という使命を帯びてこの国に来ているのだが、一般の異教徒の大衆に『天主ディオ』の教えを説いてこちらへ導くよりも、こうした信徒クリスティアーノの青少年を育成する方が性分に合っているような気もした。

 これとて立派な福音宣教である。将来、この中から日本のキリスト教を担う中核が現れ、またその頃にはヴァリニャーノ師の念願であった日本人司祭も誕生しているかもしれない。

 中でも三好殿の家臣であったハンディノ三木ミキ殿の子息のパウロという少年は特に利発そうで、私にもなついていた。

 学生たちは真面目ではあったが、実に茶目っ気もあった。

 一度は授業中にどうも密かに笑いながらこそこそと隣の学生と何かしている学生がいたので、机間を巡視するふりをして話しながらそっとその学生に近付くと、彼らはあわてて何かを隠した。私がそれをそっと取り上げると、そこには私の似顔絵が描かれていた。極端に鼻を高く描いてはいるがよく似ていたので、私はそれを全員に示し、

 「これはものすごい才能ですね」

 と、笑いながら言うと、教室の学生たちも全員で一斉に笑った。絵を描いていた学生は照れながらやはり笑って、頭を掻いていた。

 私は教壇に立つ傍ら、日本の古典を学ぶ時間では私も学生たちとともにともに学んだ。日本人の修道士が講師で、教材としては今から三百五十年ほど前の日本の宮廷を題材にした「平家ヘイケ物語モノガタリ」というものだった。


 町の方では市街の整備が盛んに行われていた。日曜日にミサに来たヤスフェの話だと、城内でも信長殿の家臣の屋敷の新築コルサ(ラッシュ)で、特に目を引くのが羽柴筑前殿の屋敷がこれまでの小ぢんまりとしたものから大々的なものへと工事が進んでいるとのことだった。

 羽柴筑前殿といえば私がかつて播磨ハリマへ行く途中に姫路の城で会った信長殿の家来ケライの殿だ。小柄で気さくなあの顔を、私はよく覚えている。今は毛利モーリとの戦争の真っ最中で安土にはいないはずだから、自分の部下を差し向けての工事の命令だったのだろう。

 ヤスフェの話だと、信長殿は家来たちが城内の自分の屋敷を拡張して立派なものにすることを奨励しているのだという。それだけとりあえずは世の中が収まったあかしなのかも知れない、

 我われはそんなことを話し合っていた。だが、神学校セミナリヨに隣接して建つ予定の教会の聖堂の建築は、まだまだ手がつけられない状況だった。おそらくは今の殿たちの屋敷の新築コルサ(ラッシュ)が収まってからになりそうだなと、司祭や修道士たち誰もがそう言っていた。

 ヤスフェからそんな話を聞いた日曜日の翌月曜日はあの彗星騒ぎからちょうど一週間で、すでに彗星は見えなくなっており、五月も下旬になっていた。

 だが、その日から毎日雨で、いよいよこの国特有の雨季――梅雨ツユに入ったようだ。

 雨季とはいってもこの国の雨季はミーテ(マイルド)なもので、ゴアのように強烈に雨季と乾季が分かれているわけではない。いつの間にか雨季に入り、その間すべての日が雨だというわけでもなく、結構晴れ間がのぞく日も途中にあったりで、そしていつの間にか終わる。終わったら炎天下の猛暑なのだ。

 そんな二、三日雨が続いた中の五月二十四日の木曜日に、復活祭後四十日目にして天に昇られたキリストを記念する主の昇天アセンシオ・ドミーニの祭日を我われは祝うことになった。 

 その後、六月になるまではしばらく晴れの日が続いていた。


 その六月に入った日、兵の数一万以上はいるだろうと思われる大軍隊が安土に到着した。町中が大騒ぎだったのでその声が神学校セミナリヨにも届き、様子を見に行った若い修道士のシマン・デ・アルメイダ兄が戻ってきてその状況を告げた。

 軍隊は信長殿の三男で、我われとも親しい三七サンシチ信孝殿の軍勢だということだ。

 キリストの教えに理解を示し、ほとんど洗礼を受ける準備は整っており、あとは父信長殿の許しを得るだけということになっている三七殿は伊勢イセ神戸カンベという場所の領主で、姓も神戸を名乗っている。

 その神戸の城に三七殿はいた。前にヴァリニャーノ師とともに安土を離れる際には心づくしの送別をしてくれた三七殿だったので、今回私は安土に着いたらすぐに会いたかったのだが、そういうわけで彼は安土には不在で会えずにいた。

 その三七殿が安土に帰って来たということで私はすぐにその屋敷を訪ねたかったが、いくらなんでも到着してその日にというのは遠慮された。

 だが翌日、我われ司祭三人は信長殿より城へと招かれた。その日はちょうど土曜日で神学校セミナリヨの授業も午前中までであったので、午後になってから我われは三人で出かけた。

 三七殿訪問は先延ばしにせざるを得なかった。だが、三七殿がなぜあのようなおびただしい数の軍隊をひきつれて安土に戻って来たのか、そのことがいささか気にはなっていた。

 我われが大手から登っていくと、普段はほとんど人気ひとけのない例の摠見寺ソーケンジという寺のあたりが人々でごった返しているのが目に入った。しかもそれが近隣の領主などの武士ばかりでなく、一般の庶民や農民などの姿も多数見られた。

 彼らは大手からではなく、すでに崩れた石垣の修復工事も終えていた百々橋ドドバシ口から山へと登ってきたようだ。

「何があったんでしょうね」

 と、私がオルガンティーノ師に問いかけたが、オルガンティーノ師はおどけたように肩をすくめただけだった。

 この日は天主閣の最上階に通された。すぐに信長殿は現れ、いつものにこにこ顔で我われの上座に座った。

「実は以前バテレン殿が、お国では生まれた日を毎年祝うしきたりがあると申しておったが、今日五月十二日が予の生まれた日なのだ」

「それはおめでとうございます」

 率先切ってオルガンティーノ師が祝いの言葉を述べ、私とフランチェスコ師もともに、

「おめでとうございます」

 と頭を下げた。五月十二日とはこの国の暦による日付で、実際は六月二日だ。

「もともと我が国では生まれた日を祝うという習慣はないが、やはり誕生を祝われるのはうれしいものだな。これを機に慣例としたいと思う」

「それはよいお考えでございます」

 と、オルガンティーノ師もニコニコ顔だ。信長殿も満足げにうなずいた。

「ときに上様」

 私は、先ほど見た光景について聞いてみることにした。

「お寺の方がものすごい人だかりとなっていますが、何がありましたか」

 信長殿は、高らかに笑った。

「予の生まれた日を祝うよう、近隣に触れを出した。あの寺に詣でて、予の誕生を祝うのだ。そなたたちはナタルと称して、そなたらキリシタンの教えの開祖の耶蘇ヤソの生まれた日を祝うと聞く。それならば今日がこの安土ではナタルよ」

 また信長殿は高笑いをした。だが、その信長殿の言葉には、私は思わず身震いしていた。

「よろしかったらバテレン殿たちも、寺を見てから帰られてはいかがかな」

 三人は少し困った表情で互いに顔を見合わせた。悪魔崇拝の場所に踏み入れるなど、それだけで罪となる。ところが機敏に信長殿はその我われの躊躇する様子を見てとったようでまた笑った。

「心配はいらぬ。そなたたちが仏像を忌み嫌っておるのは知っている。だが、あの寺では仏を祭ってはいない。予を祭る寺だからな」

 私は「え?」というような表情をしてオルガンティーノ師を見たら、師も同じような表情だった。フランチェスコ師もそうだった。

 それから信長殿は若い武士サムライを案内につけてくれたので、すぐに寺を見に行くことになった。

 我われ三人はだれもが気が進まなかったが、信長殿の機嫌がいいときに逆らうなどという愚を行う者はだれもいなかった。ただ、信長殿がホトケではなく「予を祭る」と言っていた言葉が気にかかっていた。

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