Episodio 3 明智日向(Azuchi)

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 我われはそのまま一週間ほど都に滞在し、復活節第二主日のミサの後、安土に戻ることになった。

 その前に都布教区の上長であるオルガンティーノ師から、若干の異動の話があった。都にいたフランチェスコ師は我われとともに安土へ行き、そのまま神学校セミナリヨの配属となるとのことで、代わりにカリオン師がこのまま残り、再び都の教会の配属となることになったという。

 フランチェスコ師がイタリア人だからともにいたいとオルガンティーノ師は思ったのかどうか分からないが、自分はオルガンティーノ師がそのようなことにこだわるような人には思えない。

 それよりも、やはりスパーニャ人であるカリオン師が信長殿にいろいろコンキスタドールの話をしたのをまずいと思ってのことだろうかとも思う。あるいはフランチェスコ師の方から願い出たのか……。

 そのへんの詳しい状況は分からないのでオルガンティーノ師かフランチェスコ師に聞くしかないのだが、別に聞いたからとてどうということもないのであえて私は何も言わなかった。

 カリオン師と離れ離れになるのはさびしかったが、安土と都なら至近距離で、会おうと思えばいつでも会える。

 こうしてカリオン師以外の我われ一行は、フランチェスコ師も加えてかなり陽気めいてきた頃に安土に帰った。


 信長殿が不在のお城は特に変わった様子は見受けられなかった。

 日一日と春の陽気が増していくのどかな町で、ゆっくりと時間は過ぎていった。

 今、甲斐と戦争している真っ最中だが、安土の町は何ら普段と変わることなくのんびりと日常の時間が流れていた。

 戦争の様子などの詳しい情報は、ほとんど神学校セミナリヨには伝わってこない。いつも情報をくれるヤスフェが、信長殿とともに甲斐に行ってしまっていることもある。ただ、これまでどおり信長殿が圧倒的に勝っているということだけは耳に入ってきた。

 だが、相手の甲斐の国の様子はどうなのだろうかと思う。まさかここのように無事平穏というわけにはいかずにいるのではないかと思う。なにしろそちらが戦場となっているのだ。

 安土での日々は、神学校セミナリヨの三十人ほどの学生相手に和気あいあいと過ぎていった。学生の年齢は八歳以上十九歳までと規定ではなっているが、大部分が十二、三歳くらいで、全員が頭は仏教の僧侶と同じように髪を短く刈っている。

 朝は四時半には起き、ミサのあとラテン語の授業がある。その後自学の時間を経て九時に朝食、その後は日本語の読み書きと音楽の時間があり、エウローパの楽器の演奏も学ぶ。

 他に地理、天文学、美術、体育の時間もあって夕方は午後五時の夕食を挟んで自由時間、夜はラテン語やポルトガル語、さらには日本の古典文学も学んで八時には就寝となる。

 食事が一日二回なのはエウローパも同じだが、エウローパは昼と夜の二回なのに対し、日本では朝と夜の二回になる。

 もっともエウローパで私が若い頃はすでに朝に食事をする人も出てきたのと同様、ちょうど日本でも昼に食事をする人も出てきているようだった。

 これら学生の日課に我われは聖務日課が加わるだけで、ほぼ同じ時程で生活していた。私だけではなく他の司祭や修道士も、ここではどんどん学生たちの間に入り、ときには授業を担当して学生たちと接していた。

 例えば若いニコラオ兄は美術担当で、学生たちにいつもエウローパの手法による絵の描き方を教えていた。

 もちろん土曜の午後と日曜日は休みで、日曜日の午前中のミサには一般市民やシロ武士サムライ信徒クリスティアーノも多く参列した。かつて甲斐に行く前はヤスフェも毎週ミサにあずかり、城の様子を逐次我われに知らせてくれていたものだった。


 そして色とりどりの花が咲きほころび、初夏の風を感じるようになった五月になってようやく甲斐との戦争も終わったようで、信長殿がその軍勢とともに安土に戻ってきた。町は一気に活気づいた。なにしろ大勝利を収めての凱旋なのだという。

 その翌日が日曜日だったので、神学校セミナリヨの礼拝堂での主日のミサに、信長殿とともに甲斐での戦争に行っていたヤスフェが久しぶりに顔を出した。

 かなり疲れているようだった。ミサの後、司祭館に我われはヤスフェを招き、食事を共にした。

「いやあ、今回の戦争は大変でした」

 今回と言ってはいるが、ヤスフェは信長殿とともに戦争に行くのは今回が初めてのはずだから、我われは苦笑していた。

「あなたも戦ったのかね?」

 食事の途中でフランチェスコ師が興味本位で身を乗り出し、ヤスフェに聞いていた。ヤスフェは笑っていた。顔が黒いだけに、笑うとやたら歯が白く輝いて見える。

「いえいえ、わたしは信長殿のグアルダ・コスタス(ボディーガード)でしたから、ずっと上様のそばを離れませんでしたよ」

 信長殿が甲斐に着いたときは、もうほとんど戦争は終わっていたのだという。結局信長殿は、戦争に行ったというよりも戦後処理に行ったというのが正確なところらしい。

 「上様がまだ美濃にいたときに、ご長男の城介ジョーノスケ勘九郎カンクロー殿がすでに甲斐カイ武田タケダ殿の大将である勝頼カツヨリ殿に総攻撃を加えて勝頼殿は自害し、甲斐の武田殿は完全に滅び、甲斐と信濃シナノの二つの国は上様のものになりました。ちょうどひと月ほど前、四月の最初の頃です」

 そうなると、聖週間の頃となり、詳しく聞くと火曜日だったという。

 ヤスフェは戦争の陣中にあっても、曜日を数えるのを怠ってはいなかったようだ。そうなると、我われが都での復活祭パスクアのために安土から都へ向かったちょうどあの日である。

「それからひと月、戻ってくるのにずいぶんと時間がかかったね」

 フランチェスコ師が尋ねると、

「はい、実は……」

 と、ヤスフェは話し始めた。

 その内容は、信長殿はぜひ富士山フジヤマを見たいと言われ、ヤスフェも同行したという。

 富士山といえばこの国最大級の山で、その美しさは絶景であるとも聞いている。

「すごかったですよ! 神父様パードレ! すごかったです! 本当に巨大な山でした。頂上の方には少しですが、まだ雪が残っていました。きれいな円錐で、しかもそれが他の山とはつながらずに海の近くの平野にでんと居座っているのです。その大きさ、雄大さといったら、私がこれまでの人生の中で一度も巡りあったこともないものでした。まるで天の御父『天主デウス』様を思い出させるようなすごい山でした。いや、これは自分の目で見ないと分かりませんね」

 話を聞いて、そのようなすごい山を目撃したヤスフェがうらやましくもあった。私がこの国で見た山々……雲仙、阿蘇、比叡山、開聞岳、桜島……そのどれよりもすごい山であるらしい。

「それからは三河ミカワの殿である徳川トクガワ殿の招きで上様は駿河の国に行かれ、徳川トクガワ殿の領内をゆっくりと見て回り、私もお伴をしていました」

 三河の徳川殿という殿トノは初めて聞く名前である。だが、オルガンティーノ師は知っていたようだ。

「あの徳川殿か」

 と、オルガンティーノ師は言われたからだ。

 聞くと、かなり有力な殿で、信長殿の家来ケライというよりも友人、つまり同盟関係にあるようだ。

「駿河や三河ではあちらこちらでものすごい歓迎でした。ですからひと月もかかったのです」

「そうか」

 そしてオルガンティーノ師は、信長殿と勘九郎殿の帰着に当たってあいさつに行きたい旨を話し、その段取りをヤスフェに頼んでいた。

 だが、長男の勘九郎殿はそのまま自分のシロがある美濃の岐阜に行き、まだ安土には戻ってきていないという。

 さらに我われが会いたい三七サンシチ信孝殿、つまり信長殿の三男もまた自分のシロである伊勢の神戸カンベに行っていて安土には不在だということだった。

 信長殿からの返事はその翌日の月曜日にはもたらされ、我われはすぐに信長殿に会いに安土の城へと上った。

 今度はオルガンティーノ師も一緒で、フランチェスコ師の着任のあいさつも兼ねていた。

 かつてヴァリニャーノ師とともに面会した時は日本語を解しないメシア師などもいたのでフロイス師や私が通訳を務めたが、今は全員が日本語堪能なので通訳はいらない。

 城内は人々でごった返していた。近隣の領主や商人などが次々に信長殿への戦勝祝いのために城に押しかけてきていたのだ。

 面会は例によって天主閣の中だったが、今日は最上階ではなく下層の大広間だ。実は、こちらの方が公に使われる場所だという。天主閣最上階はどちらかというと信長殿のプリバート(プライベート)の場だそうだ。

 私たちは約一時間半ほど別室で待たされてから、ようやく呼び出された。信長殿は長い戦争と、それに伴う長い視察の旅から戻ったばかりなのでさぞお疲れの様子で現れると思ったが、我われにはいつもの笑顔を見せてくれた。間もなく五十代とは思えないほど若々しく、元気だった。

「いやいやいや、皆ご苦労である」

 今日も上機嫌だ。

「フランチェスコ殿であるな。都で会うて以来、久しいのう」

 信長殿はたった一度会っただけでその相手の顔と名前を記憶してしまう、その点に関しては天才的ともいえる。

「このたびは勝ちいくさの由、真におめでとうござる」

 オルガンティーノ師が板に付いた武士サムライ言葉できちんと挨拶を述べた。信長殿は満足げにうなずいた。

「ついに甲斐と信濃を手に入れた。これまで目の上のたんこぶのような存在だった武田も滅んだ。毛利は羽柴筑前に任せてある。そうなると、あとは四国と九州でわが天下布武は終わりだ。思えば長かったなと、今では感慨ひとしおだよ」

 そう言って信長殿はまた高らかに笑うので、オルガンティーノ師はじめ我われも愛想笑いを重ねた。そこで私が目を挙げた。

「上様。天下を統一なさったあとは、どうなさるおつもりですか?」

「いいことを聞く。だが、今は申せぬ。日本には『一所懸命イッショ・ケンメー』という言葉がある。主君より賜った土地はご恩として、そのため家臣どもは命を懸けて仕えてくれる、だが、もうこの日の本には、家臣たちに与える土地はない。今言えるのはそれだけだ」

 信長殿はにこやかなまま話すので、私はホッとした。しかし、これで信長殿がシーナへ遠征して自分がコンキスタドールになろうとしているということは明白だ。

 それが是であるか非であるか、もちろん我々が判断することではないが、私個人としてはどうも賛成しかねる。だがこの時は、話はそこまでにした。

「ま、とりあえずはしばらく大きな戦争が新しく行われることはないであろうから、この安土の町の整備と拡張に専念致そう。そなたらの南蛮寺も早くに建てねばならぬからな」

 我われの心願を、信長殿はちゃんと知っていたのだ。

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