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翌日はいよいよ
そして日没。この国では冬の日没はエウローパほど早くはないが、それでも一年のうちで一番暗くなるのが早い頃だ。
まだ完全に暗くなる前から城下の人々は次々と教会へと押し寄せてきた。もともとは小さな寺であった教会だけに、到底町の人全員を収容できるものではない。
なにしろ昨日、殿のドン・バルトロメウが自慢していたように、この町では一人残らず全員が
つまり前夜ミサは老齢者中心、夜半ミサは壮年の者たち、翌日の早朝ミサは女と子供中心、そして日中ミサは年齢の制限は設けないが早いもの順ということになっていた。
夕闇の中に荘厳な教会の鐘が鳴った。そして厳かに前夜ミサが始まった。
年齢層別制限はあっても人々はあふれ、聖堂には入れたのは一部の幸運な人々のみで、多くは教会の庭で寒さに震えながらの参列となった。
最初の司式はこの教会の主任司祭であるルセナ師であった。そして、ミサが終わっても人々はずっと教会にとどまって互いに語り合い、断食の日が終わった後の食事を食べ、ナターレの恵みを喜びのうちに分かち合っていた……と、表面的には紛れもなくそう見える。
だが、ここにいるおびただしい数の
「改宗を拒むということはキリストとの出会いも拒み、万軍の『
そんなふうにコエリョ師やフロイス師なら言うだろう。しかし今ここで私がどう思おうとどうにもならないし、それが正しいことなのか正しくはないのかも私にはわからない。
そんな中で夜も更け、再び冬の夜空に教会の鐘が鳴り響くと、キリストの聖誕を祝う本番である夜半ミサが、今度はヴァリニャーノ師の司式で執り行われた。
このミサには
式に先立ちヴァリニャーノ師は参列した会衆に呼び掛け、サンチェス師がそれを通訳した。
「今から約千五百年前の、ここからですと地球の裏側になる場所、ユダヤのベツレヘムに一つの小さな光がともされました。その小さな光は次第に人類を照らす大いなる光となり、千五百年もかかって今やようやくこの国にも及ぼうとしています。ここに集った人々全員が心を一つにして、喜びを分かち合いましょう」
そうして、ミサは始まった。ここに集まっている人々にとっては全く未知の言語であるはずのラテン語でのミサの進行であるにもかかわらず、人々は物音一つ立てずに厳かに祈っていた。
そして唯一、会衆に分かる言語でなされる司祭の説教もポルトガル語で、サンチェス師の通訳を通して日本語で伝えられた。
「皆さん。ナタル《(クリスマス)》とは何でしょうか」
日本人はナターレを、ポルトガル語のままナタルと呼んでいる。
「ナタル、それは喜びです。その喜びは、世界中のすべての人の喜びでなければなりません。世界のすべての人々が平和で、祈りのうちにこの日を迎えるのです。しかし、今この国は
ヴァリニャーノ師は、その言葉をサンチェス師が通訳している間、会衆の顔を隅々まで見渡していた。そしてにこやかに話を続けた。
「それは人々に希望の光を与えることです。千五百年前にユダヤのベツレヘムにともされた小さな光を、私たちが希望とともに分かち与えるのです。今がどんなに苦しくても、戦争が続いていても、『
ヴァリニャーノ師はつい饒舌になって話し続けるので、通訳の関係上サンチェス師がそこで切るように要請した。そして通訳が終わるとまた続けた。
「そのイエズス様を戴く私たちキリシタンは、一人一人が世の光となって、戦争が続くこの国の人々に希望を与えるのです。一人一人のともしびは小さいかもしれませんが一人一人の真心のともしびが集まればやがてそれは
そこでサンチェス師の通訳が入る。
「先ほど読まれたラテン語の『
それからはまた、ラテン語によるミサへと戻った。
ミサの後はまたささやかな宴が教会の庭で催され、領主も武士領民もなく、皆がともに同じ食事をし喜びあった。そしてここでも日本独特の風習としてのナターレの贈り物の交換があちこちで行われて、殿であるドン・バルトロメウにも領民たちが贈り物を行列をなして直接手渡していた。
そして仮眠の後、すぐにサンチェス師による早朝のミサ、そして再びヴァリニャーノ師による日中のミサへと続いた。 日中のミサでのヴァリニャーノ師の説教は夜半とは少し趣が違った。今度は私が通訳だった。一通りナターレについての講話が終わった後、ヴァリニャーノ師は少し口調を変えた。
「さて、私ごとですが、このナタル《(クリスマス)》が私にとって日本での最後のナタルとなります」
その言葉を伝える私自身が、身が引き締まる思いになった。
「私は皆さんのお正月の頃に日本を離れ、ローマの地に帰ります。皆さんのことを、日本のキリシタンのことを、ローマの
いつしかヴァリニャーノ師の言葉が涙交じりになっていたので、通訳する私の声もあやしいものになっていた。こうしているうちに、刻一刻と私とヴァリニャーノ師の別れの時が近づいているのだ。
「私はこの国が大好きです、皆さんが大好きです。今日の日のことは一生忘れないでしょう。いつかまた、必ずこの国に戻ってきたいと思います」
そして、また場は厳かなミサの場に戻った。
日中のミサの後は締めくくりとして、大宴会となった。エウローパでもナターレが大々的なお祭り騒ぎになってきている傾向があったので、それを引き締める動きも起こっている。だがここ日本では、高槻や長崎、そしてここ大村など以外では、多くの人々にとってまだまだナターレは全く知られてもいない行事である。
それとは対照的に、ここ大村ではもはや教会を訪れる人々を収容できる
ここでまた一
すべてのセリフは日本語で、しかもこの
ここ大村では十五年ほど前に大々的に舞台が組まれて上演され、その時も二千人以上の観客がいたという。今も観客数はほとんど変わらないと思われるが、その後は戦争のあった年などを除きこうしてほぼ毎年恒例行事として続いているということだ。
高槻での復活祭での行進もさることながら、ここでもヴァリニャーノ師は大いに感動している様子だった。
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