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 島津殿の家紋を表したという十字架の旗が我われの歓迎のためであることだけは確かなようで、我われが門の前について馬から降りるとすぐに案内を請う前に門番の武士サムライは我われの顔を見ただけで、

「お待ちしておりもした」

 と、門を開けて通してくれたのだ。

 驚いたことに、門の中にはすでに案内役であろう武士サムライがすでに待機していた。

「ご案内あんねを仰せつかいました野村民部ノムラミンブと申す。さ、どうぞ、こちらへ」

 我われは丁重に屋敷の中へと案内され、広間でほんの少し待っていると、すぐに殿が姿を見せた。我われは日本式に床に手をついて頭を下げた。上座に座った殿は、

「どうぞ、お顔を上げてたもんせ」

 と、優しい声で言った。

島津シマヅ修理大夫シュリダイブ義久ヨシヒサでごわす。それがしのふみに懇切なるお返事を頂き、今日はこうしてわざわざご足労呉い遣ったこと、真に傷ん入ります」

 思ったより小柄な人だった。年の頃は信長殿と同じくらいかと思われて決して若いとはいえないが、まだ五十代には至っていないだろうという感じだ。

 まずは我われが手土産に持参したエウローパの文物、時計に衣服などを進呈した。

「おお、大友などはこんいったもんを有り余っほど手に入れちょっとじゃな」

 皮肉というよりも素直に喜んでいる感じだったが、今目の前にいるこの殿はかつてはドン・フランシスコと雌雄を決する大戦争をやった敵の大将であることを、あらためて実感せざるを得なかった。

 今でこそ信長殿の斡旋で和睦しているが、やはり互いに争ったという過去の記憶はなかなか消えないだろう。

 だが私は、その考えをすぐに故意に打ち消した。なぜならそれはあくまでこの国の内政に関することで、我われの目的はただ一つ、この国の福音化と魂の救済である。内政に干渉することはヴァリニャーノ師からも厳に戒められている。だから、誰と誰が敵で味方かなどは関係ないのだ。

 例えば毛利や長宗我部のように今も戦争状態にあるというのなら我われの身に危険も迫りかねないので意識しないわけにはいかないが、大友と島津の戦争はそれがどんなに過酷で悲惨なものであったにせようもう過去のもので、すでに終わっているのである。

「ところで」

 義久殿は我われの手土産から一時目を離して、我われを見た。

「あのアルメイダどんちゅうイルマンは息災ですか」

 ここでもまたアルメイダ師の話題が出た。アルメイダ師は薩摩では相当有名人らしい。

「はい。私はマカオ、つまり天川アマカワで彼と共にバテレンとなりました」

「アルメイダどんも今じゃバテレンでごわすか」

「はい。今は天草におります」

「三年ほど前でしたか、アルメイダ殿ドンがこん鹿児島かごっまに来られたのは。あの時はそれがしも亡き父の後を継いではいめっアルメイダ殿ドンの訪問を受けたので、そん前にアルメイダ殿ドンが来られた時に我が父が接したようにはつ遇するこっができなんだ。申し訳なくおもているとお伝えくやんせ」

「かしこまりました」

 市来ではアルメイダ師が二十年前に来たことばかり強調して話していたが、実は三年前にも鹿児島には来ていたのだ。恐らくその時は市来には行かなかったのであろう。だから、市来の人びとの間では三年前のことは話題に出なかったのだろうと思う。

「なにしろ坊主がうるそうてなあ」

 義久殿はここで苦笑した。

「やはり、一向宗が強いですか?」

 と、私は尋ねてみた。

「いやいや、こん薩摩には一向いっこ宗はほとんどおいませぬ。それがしが一向宗門徒は好きではなかとで、一向宗門徒は領内には入れてはおりもはん。信長殿どんも一向宗になだいぶ手を焼いておられう様子よしだが」

 私は内之浦ウチノウラで一向宗の門徒だったあの老婆と話をしたことを思い出した。

「内之浦ではだいぶ盛んでしたが」

「あすこは島津の分家の北郷ほんごう家の所領じゃっでね。まあ、身内じゃっどん」

 そして義久殿は、少し真顔になった。

「とこいで、ふみにもしたためた通い、ぜひこん鹿児島かごっまの港にも、南蛮船に寄港してもらいたか。もしそよ承諾いただけるのなら、領内でのキリシタン布教も大いに奨励しもんそ。坊主どももなんとか致す」

 もちろん、私の一存で答えを出せることではない。

「その件に関しましては、我われで話し合った上であらためてお返事致します。私個人としては、大いに結構だとは思いますが」

 義久殿は、その返事で十分満足したようだ。

「いずれこちらから、正式な使者を長崎に遣わしもんす。それまでに話し合っておいてくだされ」

 義久殿の顔に笑顔が戻った。

 かつてカブラル師が、この日本の国では殿を信徒クリスティアーノにするにはまずは教えよりもエウローパの文化に関心を持たせて、そこから入っていくのが得策だと言っていた。ドン・フランシスコの時もそうだったのだという。

 何かとカブラル師とは意見が対立していたヴァリニャーノ師も、その点に関しては異論はないようだった。

 義久殿は今でもドン・フランシスコにはなにかと対抗意識を持っているようだ。それがいい方に作用する可能性もあると思い、私には先行きが明るいように感じられた。

 何よりも、島津家の十字架の旗に勇気づけられた感じだ。

「ところで」

 と、私はもう一つ、ここへ来たもう一つの任務について尋ねた。

「バテレン・アルメイダが三年前ではなく二十年前にこちらに参った時に、先代の殿であるお父上が、キリシタンのための家を儲けてくださったと聞いております。それが今はどうなっているのかと」

「ああ」

 義久殿は残念そうな顔をした。

「アルメイダ殿ドンも三年前に来られた時にそいを気にして見にやっておられもしたが、もうすっぱい関係のなか人が住んでいると落胆しておりもした。なにしろ父の代の時の話じゃっで、それがしよく知らんのです」

「そうですか。アルメイダから直接聞けばよかったのですね。なにしろ私も一年近くアルメイダとは会っていませんので。では、なおさらバテレン・ザビエルのことは」

「ザビエル様もこん鹿児島かごっまの港に上陸されもした。あの頃は島津家も伊集院においもしたから、一度だけ伊集院まで挨拶えさっに来られもした。何ぶんそれがしもあの頃は若僧でして、主に父が話をしておりもしたからそれがしは直接は語ったこつもなく、ちらりとお姿を拝しただけです」

 ザビエル師は坊の泊に上陸した後、再び船でこの鹿児島に上陸されたようだ。

「あん頃にザビエル様が住んでおられたお寺なら、こん城のすぐそばにあいもすよ」

 これは朗報だった。

「ただ、あの頃ザビエル様と昵懇じっこんにされちょったご住職じゅっつぁんはもう亡くなっておいもす。三年前にアルメイダ殿どんも訪ねて、亡くなっちょっことを知って落胆しておられた。アルメイダ殿どんもそん前に来られた時にあんご住職じゅっつぁんと仲良くされて、そん時は目を患っておられたのをアルメイダ殿どんが南蛮の医薬でたちまち治したちゅうこっがきっかけで意気投合しておられたっちゃっ」

 その話は、今度アルメイダ師と会った時に聞いてみようと思った。ザビエル師が仏僧と昵懇じっこんだったということは、私にある示唆を与えてくれたような気がした。少なくともザビエル師は、仏僧を悪魔崇拝の徒と蔑んではいなかったということになる。

「そのお寺とは、一向宗でないとすれば…」

「禅宗ですね」

 ゼンは偶像崇拝の要素は少なく、人間の内面の完成に重きを置いているので、ヴァリニャーノ師も比較的好意を寄せている。ザビエル師が昵懇じっこんにしていた僧侶も禅ならば何となく理解ができる。

 ただ、禅は後の世や魂の不滅などを否定しているという話も聞くので、やはり何としても真理の道を広めないといけない。

 もしかしてその住職が永遠の命について考え、仏教、特に禅ではそのへんを教えていないのでキリストの教えに興味を持ったのかもしれない。ただ、禅寺の住職という立場上、洗礼を受けるわけにもいかずにもどかしい思いをしていたのではないだろうか。

 つまりは、禅という教えよりもその住職個人の資質によるものかもしれない。だが、あくまでそれらは推察の域を出ない。

 いずれにせよこの地での信徒クリスティアーノに対して妨害しているのは、一向宗でないとすれば法華宗ホッケシューあたりかもしれない。

「ザビエル様に関してはそれくらいしかそれがしは知らなくて、申し訳なか。なにしろ父が伊集院を引きはらってこん内城を築き移ってきたそん直前に、ザビエル様はこん地を離れてしまわれた。ま、とりあえず今日は歓迎のうたげを催しますで、そいずいごゆるりと休息なさいませ」

 そこで私は目を挙げた。

「それでは、その宴までの明るいうちに、そのバテレン・ザビエルが住んでいた寺を一目見たいのですが。明日はまた早朝にはここを離れますので」

「分かりもした。近習の者に案内あんねさせもんそ」

 義久殿は先ほど我われを案内してくれた野村民部という武士サムライを呼んで、我われを寺まで案内するように言った。

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