3

 もう外はすっかり暗くなっており、室内もわずかなろうそくの火でともさているだけの闇に近い部屋である。それなのに、私は部屋の中が急に明るく輝いて見えるようになった気がした。

「バテレン様」

コニージョ神父パードレ・コニージョ!」

 ルカスとヴァリニャーノ師が私を呼ぶ声が、同時に重なって聞こえた。

「あ、大丈夫です。続けます。その彼はさらにこう言います。心ある人々は聞きなさい、と。『天主デウス』は悪を行うことは決してなく、全能者は不義を行うことも決してない。人のそれぞれの行いに応じて、それ相応のものをお与えになる。絶対に『天主デウス』は悪いことをされたりはせず、全能者は審判を曲げたりはなさらない。この地を『天主デウス』に委ねた者がいるだろうか。全世界を定めた者がいるだろうか。『天主デウス』がもしそのお心をご自身のためにだけ用い、その霊と気吹とをお納めになられたら、すべての生き物は死に絶えて塵となってしまう。こういう意味のことを、彼は言ったのです。つまり『天主デウス』は善一途のお方であり、また『天主デウス』の前では人間は絶対平等なのです。その裁きは公明正大です。『天主デウス』にお味方し、『天主デウス』のみ役に立とうとする者には無限の恵みをお与えになり、毎日が幸福になる。しかし『天主デウス』に反逆し、背くものを裁かれ、滅ぼされる。すべて相応です。だから絶対平等なのです。それは『天主デウス』こそが創り主であらせられ、人間は被造物にすぎないからです。そう考えたら、当たり前のことですよね」

 ルカスがうなずいたのを確かめてから、私は話を進めた。

「その時にヨブに話した人の言葉を借りれば、人がどんな良いことをしたからとて、それで人が『天主デウス』に何かを与えることはできない。人に恵みをお与えくださるのは『天主デウス様』だけなのです。『天主デウス』のみ声など聞こえないという人は、悪に染まり、または傲慢になっているからなんですね。私も実は耳が痛い。今回ルカスのお蔭で、私ももう一度この聖書の言葉をかみしめることができました。『天主デウス』にとって、すべての人間は御大切なのです。そして『天主デウス』は目的を持って人類をおつくりになった。しっかりとした御計画をお持ちです。朝には太陽が昇り、夜は満天の星が空をめぐり、海は波を打ち、風が吹き、空には雲が浮かぶ、山には木々が茂り花が咲く、すべてが『天主デウス様』がなさっていることなのです。そこには寸分の狂いもない。我われ人間の知恵では到底及ぶこともできない大いなる智恵がそこにはあります」

 私が感じたのと同じような魂の躍動を、ルカスも覚えているのかもしれないと、その無言だが真剣な表情を見て私は確信していた。

「そしてとうとう、『天主デウス様』が直接、ヨブに語りかけられます。啓示が下るのです。その部分は私が言葉をはさむよりも、聖書の言葉をそのまま日本語にして言いますから、分かりにくいかもしれませんし、少し長くなりますが聞いてください」

 ルカスはうなずいた。

「ここに『天主デウス』、大風の中よりヨブに答えて宣まわく。無智の言葉をもて道を暗からしむるこの者は誰ぞや。汝、腰ひきからげて丈夫のごとくせよ。我、汝に問わん。汝、吾に答えよ。地の基を我が置たりし時、汝は何処いずこにありしや。汝、もし悟ることあらば言え。汝、もし知らんには、誰が度量を定めたりしや。誰が準繩を地の上に張りたりしや。その基は何の上に定められたりしや。その隅石は誰が置きたりしや。かの時には晨星相ともに歌い、神の子等みな歓びて呼ばりぬ。海の水流れ出で、胎内より涌いでし時、誰が戸をもてこれを閉こめたりしや。かの時、我が雲をもてこれが衣服となし、黒暗をもて之が襁褓むつきとなし、これに我が法度を定め、関および門を設けて曰く“ここまでは来るべし。ここを越ゆべからず。汝の高浪ここに止まるべし”と。汝、生まれし日より以来、朝に向ひて命を下せしことありや。また黎明にその所を知らしめ、これをして地の縁を取らえて、悪き者をその上より振り落とさしめたりしや。地は変りて土に印したるごとくに成り、諸の物は美わしき衣服のごとくに顕る。また悪人はその光明を奪われ、高く挙げたる手は折らる。汝、海の泉源に至りしことありや。淵の底を歩みしことありや。死の門、汝のために開けたりしや。汝、死蔭の門を見たりしや。汝、地の広さを看きわめしや。もしこれをことごとく知らば言え。光明の在る所に往く路はなんぞや。黒暗の在る所は何処ぞや。汝、これをその境に導びき得るや。その家の路を知りをるや。汝、これを知るならん。汝はかの時すでに生れをり、また汝の経たる日の数も多ければなり」

 一気に読んだ後で顔を挙げ、私は息を継いだ。そうして言った。

「誰も『天主デウス様』の天地創造に立ち会った人間は一人もいないのです。『天主デウス様』のみ言葉はまだまだ続くのですが今日は省略しまして、そして最後にヨブにこう言われます」

 私はまた、聖書に目を落とした。

「非難する者、『天主デウス』と争わんとするや。神と論ずる者、これに答うべし」

 そしてまた目をあげると、ルカスの目に光るものを見た。

「それを聞いてヨブはこう言います。『天主デウス様』は何でもおできになり、ご計画を推し進められます。私は実はよく理解していないくせに、浅はかな知恵で『天主デウス様』のこと、そしてその奇跡の業を語りました。そして自分の罪について深くお詫びをしたのです。その後、ヨブの体は元通りとなり、また多くの財産を手に入れて、裕福な毎日を暮らしましたと、ここでこの『ヨブ記』は終わっています」

 ルカスはうなだれて聞いていた。

「さて、バテレン・ヴァリニャーノ様がなぜこの『ヨブ記』のことをここで言いだされたか分かりますか?」

「はい、まっこつの意味でわいを慰め、勇気づけてくださるためやっちゃが」

「それもあるでしょう。しかし、あなたが通って来られた道、今の境遇に着いて、単に罪を犯した罰ではなくて、もっと深い意味があるということですね。たしかにこうすればこうなるという一定の法則、あなた方の言葉でいう因果応報インガオーホーということもあります。しかし、『天主デウス様』が望んでおられるのは全人類が一人残らず幸せいっぱいになる、そんな世の中が顕現することです。ですから救いの業として罪の許しがあり、罪から解放された人類は本当の意味での幸福になるのです。いや、ならねばならない。因果応報を越えて行われる奇しき救い仕組みのみ業を告げ知らせるのが、我われバテレンの役目です。そして実は」

 私は一度息を継いだ。

「先ほどはあえて言わなかったのですが。実はこの『ヨブ記』の冒頭に大事なところがあるのです。それは、なぜ『天主デウス様』はヨブに災いを下すことになったのか、そのいきさつが冒頭部分には述べられています。それは『天主デウス様』と悪魔のやり取りです」

 フロイス師もここで、なるほどという顔をしていた。

「実はヨブは先ほども言いましたように、最初に完全であり正くて、『天主デウス』を畏れ、常に悪を遠ざけていたという紹介でこの物語は始まります。つまり何ら罪は犯していないし、悪人でもないのです。ところが悪魔が『天主デウス様』に、ヨブを試してみようと提案するのです。悪魔はヨブの信仰心を疑っていました。そこで『天主デウス様』はまずはヨブの財産を奪うことを悪魔に許しましたが、身体的危害を加えることは許しませんでした。それでもヨブが信仰を捨てないので、悪魔はさらに『天主デウス様』に申し出て、病気になることを許されましたが、その時も『天主デウス様』はヨブの命を奪うことはお許しになりませんでした。ヨブの不幸現象にはこういういきさつがあったのです。どんな悪魔の業による不幸現象も、『天主デウス様』のお許しがなければできないのです。なぜ『天主デウス様』はそれを許されたのか。なぜだと思いますか?」

 しばらく考えてからルカスは、

「『天主デウス様』から信用されちょったかいやろうけ」

 と小声で言った。それは私が予想していた答えとは違ったが、私の中のひらめきが勝手に話を合わせて続けていた。

「そうですね。信仰とは『天主デウス様』を信じるという次元を越えて、『天主デウス様』に信用して頂ける人とならせて戴くこと、そこまでいけたら最高ですね。そしてもう一つは、『天主デウス様』が大きくお使いになろうという魂の人物は、まず試され、それから徹底的に鍛えられ、そしてふるいにかけられます。それはその人の罪によるいわば因果応報ではなく、罪の贖いでもなく、ひたすら『天主デウス様』からの試練、お鍛えなのです。アブラハムとその息子のイサクの話は、有名ですからあなたも聞きましたね?」

「はい。てげ昔やっちゃがけんどん、バテレン・トーレス様から聞いたげな気もしますじ」

「『天主デウス様』はアブラハムに、その最愛の子のイサクをいけにえとして捧げるように命じます。アブラハムは素直にそれに従おうとするのです。これが言わば『天主デウス様』による試しですね。そして、使徒聖パウロは言いました。『天主デウス様』はその人が耐えられないような試練は決してお与えにならないと。どんな試練も不平不満を言っていたらただの苦しい不幸現象ですけれど、感謝で乗り越えればそれは鍛えられて『天主デウス様』の手足としてお使い戴ける浄き高き魂となるのです。すべて『天主デウス様』のなせるわざ。繰り返しますが、例え悪魔の業だったとしても『天主デウス様』がお許しにならないとそれはできない。現に悪魔はヨブを病気にはしましたけれど、ヨブの命を奪うことは『天主デウス様』からお許しいただけなかったからできなかったのです。そして、罪を許し、そういうどん底の状態から救いあげてくださるのも『天主デウス様』です。もう、これ以上、私が話すことはありません。あとはあなたが今の話をよく思い出して覚ってください」

 こうして私の話は終わった。終わってしまったら自分が何を言ったのかさえよく覚えていない。ただ覚えているのは自分で話しておいて自分の胸に突き刺さった『天主デウス様』は沈黙しておられず、様々な形で啓示を下さっているというあの部分だけだった。

 ルカスもその妻も号泣していた。

「ありがたい。ありがたい」

 と、ルカスは何度も言ってから、懐から十字架をとりだした。

「実は、おりが大商人おおあきんどから漁師になったちいうだけでなく、実は極めつけの出来事としてほんの数日前に家が火事でぜえんぶ焼けてしもたっちゃよ。今は住む家もなく、昔はわれらの下で働いてた人の家に厄介になっちょっとです。今日は、そんげな状況も訴えたくてほんなごつはここを訪ねたちゅうわけじゃが、それもありがたい試練なのだと分かります。そん証拠がこれじゃが」

 ルカスは十字架を、我われに押し戴くように示した。

「財産はとうになくしたけんどん、ちっとばかり残されちょった家財道具も全部灰になりましたじ。でんたった一つ、たった一つ持ち出せたんがこん十字架と苦行のための鞭だけじゃったが」

「そうなると、もう間違いなく『天主デウス様』ですね」

 と、ヴァリニャーノ師も感動しながら、そこだけは日本語で言った。

「そっでもやはり、いろいろと罪は犯してたと思います。どうか告解をたのんます。そんために来ちゅうわけじゃから」

 ルカスが言うので、ヴァリニャーノ師は今度はフロイス師に告解を聞くように言った。フロイス師はまずはルカスを連れて別室へと言った。次に妻となる。

 その間ヴァリニャーノ師は私に、

「いや、よく勉強したね」

 と言ってくれた。

「いえ、違うのです。私は何も考えていないのです。あれは私ではない。私が言うべきことは頭では何も考えなくても口が勝手に動いて、勝手にしゃべってくれました。本当に不思議な気分でした」

「あなたも、聖霊に満たされていたのかな?」

 そう言ってヴァリニャーノ師は笑った。私も一緒に笑った。

 まさか本当にそうだとは毛頭思っていないし、畏れ多くもおこがましい、そんな大それたことがあるわけもない。だが、先ほど私がヴァリニャーノ師に言ったことは本当だった。

「しかしやはり、福音書イヴァンジリウムを含めて聖書ビビャを一日も早く日本語に翻訳し、印刷してこの国の信徒に配布することが急がれるな」

 そういうヴァリニャーノ師は、いつしか真顔に戻っていた。

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