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午後は、午前中に修道士を城に走らせて知らせてあったので、都から戻った
城に向かうまでの臼杵の町は本当に久しぶりだったからまたもや懐かしさを感じたが、相も変わらず人びとはのどかに、それで活気がある様子を見せていた。
考えてみれば今のこの国は、諸侯が互いに対立しあう内乱状態にあるはずだ。日本の人びとはそれを
都や安土は信長殿がほぼ平定しているとはいえ、都から遠い地方はまだ各地で内戦が続いている。
それなのに、戦争が起こればその戦場となった場所は悲惨だが、そうではない時のそうでない町は、この国全体が内乱状態にあるということが嘘のように実に平和でのどかなのである。それも、この国の不思議さだなと私は感じていた。
教会から歩いても、ものの七、八分足らずで城には着く。初めてこの城に上がった時は、城そのものよりも城が立っている巨大な岩山に圧倒された。だが、あの安土城を見て来た我われの目にはもはやこぢんまりとした城にしか映らなかった。
城に登る細い階段で、フロイス師は歩きながらヴァリニャーノ師に、例の土佐一条氏のドン・パウロの話はドン・フランシスコにはしない方がよいということを告げていた。
「なぜです?」
と、当然ヴァリニャーノ師は理由を問うていたが、フロイス師は黙って首を横に振るだけだった。ヴァリニャーノ師も何かを察したらしくそのまま黙って石段を登り続けた。
私には二人のやり取りの真意がよく分からなかったが、私もメシア師もあえて口をはさむことはしなかった。
ドン・フランシスコは相変わらずの友好的な態度で、我われを迎えてくれた。信長殿も親しげに接してはくれたがあくまで帝王の顔を崩さなかった。だが、ドン・フランシスコはほとんど身内のように迎えてくれたことは、かの高槻の殿のジュストと同じであったが、若いジュストと違うのはドン・フランシスコは年配なのでさらに遠慮がない感じだった。
まずはヴァリニャーノ師は不在の間に立派な教会堂が建築され、完成しつつあることへの礼を述べた。
「私たちの国では、建物を建てる時には隅石を祝福する儀式を行います。それを次の日曜日に行いたいと思っております」
日曜日と言ってもドン・フランシスコには分からないであろうから、通訳のフロイス師はうまく四日後と言い換えていた。この日が水曜日だったからである。だがそれを聞いてドン・フランシスコはすぐに、
「それは、礼拝する日ですね」
と、言った。さすがに日曜日がミサの日というのを心得ているのだ。
「日本にも、建物を建てる時には
我らの国の風習と全く同じことをこんな遠くの異国の異教徒もやるということに、私は不思議な因縁を感じた。
それから、ヴァリニャーノ師は堺から高槻、都、安土などでの見聞を簡単に話していたが、高槻の復活祭の話はドン・フランシスコは目を細め、
「いやあ、我が領内でもそれくらいになるようにしたいものだ」
と、切実に羨ましがっている様子だった。
「ジュストとは高山右近殿ですな。お名前は伺っているが、ぜひ一度お目にかかってみたいものだ」
とも言っていた。そしてまた彼が目を輝かせたのは、我われが信長殿に面会したことだった。何度も、
「信長殿とはどんなお方です?」
と、聞かれた。ヴァリニャーノ師は我われが見て感じたままを語っていた。人びとからは恐れられているようだが我われには実に友好的で親切で、人情味あふれる方だった。それを聞いてドン・フランシスコは自分が耳にしている信長殿の風評との違いに少なからず驚いているようだった。
「大友家が長く敵対してきた毛利家を、今や織田勢は討伐しようとしている。わしは信長殿と手を組んで毛利を挟み打ちするべきだと息子の五郎にも申し伝えているが、今の大友家にはそのような力はまだない。やがてまた薩摩と戦うようなことになれば、どうしても織田家の力を借りねばならぬだろうな」
だからこそ、ドン・フランシスコは信長殿に関心を示していたのだ。町は平和そうに見えてもやはりこの国は今まだ内乱状態なのだと、この話を聞いて私は実感していた。
「その
と、ヴァリニャーノ師が口をはさんだ。
「我われはすぐに有馬の地に戻りますが、今度は船で薩摩を回ってと考えております」
ドン・フランシスコの顔が少し曇った。
「薩摩? なぜ、薩摩なのです?」
ドン・フランシスコが語気を荒げたのももっともで、薩摩の
我われもこの薩摩を経由するという話は、昨日の夜に初めてヴァリニャーノ師から聞かされた。食事の後、ヴァリニャーノ師の一室に私は呼ばれた。部屋にはメシア師とフロイス師もいた。
やっと船旅が終わったばかりなのにまた船かと気が重いかもしれないがと、ヴァリニャーノ師は前置きをしてから有馬まではやはり海路で、薩摩を回って行くと告げた。たしかに有馬からここへ来るまでの陸路の旅も、それはそれでまた難儀なものであった。陸路と海路はそれぞれに一長一短がある。
「でもなぜ、わざわざ薩摩に」
と、その時、私もヴァリニャーノ師に聞いた。
「実は我われが都や安土に行っている間に、有馬の
「密使? 密使は何と?」
「ぜひ司祭を薩摩に派遣してほしいとのことだった。薩摩の領内でも我われの布教を許す準備があるということだ」
「それは」
話がうますぎる。島津殿とて、我われイエズス会がかつての自分の宿敵の大友殿ドン・フランシスコの加護下にあることは十分知っていよう。そんな大友殿と我われとの関係を知りながらこのような薩摩からの申し出には、裏があるとしか思えない。
私がそれを言うと、
「たしかに裏があるでしょうね」
と、フロイス師も口をはさんだ。ヴァリニャーノ師はうなずいた。
「たしかに裏はあるかもしれないけれど、とりあえずはその表だけを見て、薩摩の領内を通ってみようと思うのです。島津殿に会いに行くかどうかは、薩摩という土地とその状況をこの目で見て、それからの話です」
昨夜のヴァリニャーノ師の話はこうだった。
かつて島津殿はザビエル師にその城のある町での布教を許可していたという。ただ、仏教の
だが今や、その時の島津の殿とは代が替わっており、その子息が今は殿になっているとのことだ。だから今一つ、その腹のうちは読めない。
もちろん今、この臼杵の城でそのようなことをヴァリニャーノ師がドン・フランシスコに話すはずがない。
「薩摩にもキリシタンがおります」
と、ヴァリニャーノ師はドン・フランシスコにはそのような口実を述べていた。
「バテレンもイルマンもいない状態で、彼らは信仰を守っております」
日本にはこのような状況が実に多い。我らが祖国では考えられないことだ。
「薩摩は、かのバテレン・ザビエルが初めて教えを広めた土地でもありますから」
だから、今でも
「幸いなことに、彼らは皆海辺の町に住んでおります。島津殿には気づかれずに、彼らを訪ねることも可能です。実はバテレン・ザビエルが同じように布教した町が
かの一条殿ドン・パウロのこともあるし、この動機もまた真実ではある。ヴァリニャーノ師は何ら虚言を言うことはなく、それでいて真意は隠したのである。
「高槻のような町もあれば、山口や薩摩のようなところもあるということですな」
と、ドン・フランシスコは深刻な顔をしていた。
「どうかお気をつけて」
「そのような言葉はいりません」
笑みを含めて、ヴァリニャーノは首を軽く左右に振った。
「人間の知恵で災難を“気をつけ”られるというのは、思い上がった考えですね。『
「そういうものですかな」
と、ドン・フランシスコは深刻そうな顔つきからやっと笑った。
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