Episodio 3 新しい教会(Usuki di Bungo)

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 これまでいつも府内から臼杵に至ったときは、峠道を越えて坂を下ると潮の香りがしてきたので臼杵も近いと感じていた。

 今回、初めて海の方から臼杵へと上陸する。さほど高くない緑の山が丘陵となって横たわるその陸地の入江の奥は、そこだけ左右の山並みが途切れて、遠くの山が微かに顔をのぞかせて見える。

 そんなわずかな平地に集落があって、その中央に見慣れた巨大な岩山が海へ飛び出し、海岸に停泊する巨大な船のようにどっしりと腰を据えていた。

 海側から見るのは初めてだが、あれは紛れもなく臼杵の城である。まるで海岸に打ち上げられた大岩か、何もない普通の砂浜に空から降ってきた巨大岩石の山のようだった(実際、そうなのだが)。ちょうど海に突き出して付け根の部分が浜に接しているのみであり、岬というよりも完全な島のような形状だった。

 船はゆっくりとその巨大な岩盤の右側面に沿って進み、港の方へと滑って行った。遠くからだと岩石に見えたが、近くで見ると見上げるような岩の壁で、そこに波が白いしぶきを挙げて激しくぶつかっていた。その岩の付け根より少し右手が川の河口で、港はその河口を少し入って左側にあった。

 城のある岩山は、すぐ近くに見えている。この川沿いにさかのぼれば、川端に我らが教会と修練院が立っているはずだ。

 そんな港に近づくにつれ、我われは皆驚いた。それはまるで港いっぱいに黒アリがたかっているように最初は見えたが。船が近づくにつれ、それは我われの出迎えの人びとであることが次第に分かってきた。

 堺でも到着の時に大歓迎の出迎えを受けたが、ここまでではなかった。人びとは歓声と十字架の模様の入った旗を挙げ、しきりにこちらに一斉に手を振っている。

 我われが今日、この時間に到着するであろうことは、すでに知らせがいっていたのだ。

 人びとの歓声に迎えられ、戸惑いながらも我われは上陸した。みな口々に我われの帰途を祝す言葉を述べて、しばらくは歩けないくらいだった。

 そこに現れたのが、カブラル師をはじめラモン師、ラベロ師、さらには数名の修道士たちで、出迎えの信徒クリスティアーニの人びとをうまく処理して、彼らは我われを教会まで導いてくれた。ラベロ師は今ではこの臼杵から由布ユフ修道院ノビシャドに異動になっていたが、我われと会うために駆けつけてくれたのだという。

 そして私にとっては懐かしい顔が、そこにはあった。それはかつてマカオで私と共に叙階を受けたフランシスコ・ラグーナ師で、今ではこの臼杵の教会にいるのだという。

 港から教会まで川沿いに距離にして五分もかからないくらいなのだが、人混みのせいでかなり長い時間が必要だった。その時間がかかった分だけ、私は主にラグーナ師と十分に旧交を温めることができた。

 思えば、半年ぶりの臼杵である。私が日本に来てからこんなに長く離れた地に再び足を踏み入れるのは初めての経験で、それだけにまるで故国に帰って来たようだといえば大げさだが、それに似たような懐かしさを感じていた。

 教会に近づいた時はもう夕暮れ近く、すでに十月も三日であって日も短くなり始めていたが、なんとか明るいうちには着くことができた。

 そこで我われが目を見張ったのは、かつての教会堂の隣にすでに新しい聖堂が少なくとも外見だけはほぼ完成していたことである。

 これは出発前にドン・フランシスコが約束していてくれたことで、昨年のナターレ(クリスマス)修練院ノビシャド司祭館カーサが完成して以来、着工を待っていた新しい御聖堂おみどうだが、我われが豊後を離れる前には着工までこぎつけていなかった。

 費用はすべてドン・フランシスコがまかなってくれたのだが、それだけに最高の資材と職人の手でとドン・フランシスコがこだわったのでなかなか着工できなかったのである。

 それが六月ごろになってようやく着工し、今は外観はほぼ完成してあとは内装を残すのみという状態になっているそうだ。

 新しい御聖堂はかなり大きいもので、この国に来てはじめてエウローパ式の建物を目にした気になったが、実際はこれも木で造られた木造建築だった。

 ゴアやマカオの聖堂には及ばないものの、恐らく現時点では日本最大の教会堂となろう。

 我われはその隣の旧御聖堂おみどうで、とりあえず到着の祈りを捧げてから司祭館へと移った。

 やはりここは長く暮らした場所でもあり、落ち着く。それから夕食までの間、そのままになっていた自分の部屋でくつろいだ。

 夕食は食堂で修道士まで含めた全員でであり、かなりの人数だった。ただ、この日は我われが疲れているだろうということで純粋に食事だけして、つのる話は翌日ということになった。

 

 その翌日、午前中にまずは修練院ノビシャドをヴァリニャーノ師は時間をかけて視察し、順調に教学活動が行われているのを見て満足していた。かつて彼が自ら教壇に立った修練院ノビシャドである。学生たちも喜んで迎えてくれた。

 その後は司祭館の一室で、豊後布教区の上長としてのカブラル師から不在の半年間についての報告を受けた。それによると、この半年間での受洗者は約四百人で、他にも多くのものが洗礼志願をしているが公教要理カテキズモを日本語で説くことができる修道士が一人しかおらず、しかも臼杵にだけとどまっていることもできずに各地を巡回していたため、それら志願者は待機状態だということだった。

 それらの報告をカブラル師はにこりともせず、極めて事務的に行った。そして最後に、

「私はすでに布教長は辞任しておりますし、豊後の上長もあくまで本来の上長であったフロイス神父パードレ・フロイス不在時の代行にすぎない。今やフロイス神父パードレ・フロイスもお戻りになったし、そろそろ私を自由にしては頂けませんかね」

「それはどういう意味ですか」

 ヴァリニャーノ師も、ゆっくりと尋ねた。カブラル師は眼鏡を少し下げ、上目づかいにヴァリニャーノ師を見て、低い声で言った。

「そろそろ日本を離れたいのですよ。マカオなりゴアなり、新しい任地への転属を希望します」

 本来なら、いきなりこのような申し出があったらまずはその理由を聞くところだが、ヴァリニャーノ師はあえてそのことには触れなかった。

「それについてはまた追って指示します。私は来年にはもう日本を離れてローマへ帰りますが、帰りにまたマカオとゴアには立ち寄りますから、あちらの情勢も見て、また総長にもお伺いを立てて決定した上でお知らせします」

 ヴァリニャーノ師の口調もまた事務的だった。だがそれを聞いていた私は、あらためてはっとした。ヴァリニャーノ師は宣教師ではなく、あくまで巡察師ヴィジタドールである。だから、巡察が終わったら報告のためにローマに戻るのだ。

 かつての恩師とはつかの間の再会だったが、結局はまた離ればなれである。そのようなことは前から分かっていたことだし、初めて知ったわけではないが、この時のヴァリニャーノ師の言葉にあらためてその事実を突きつけられたような気がした。なんだかこのままずっとヴァリニャーノ師と共に日本での宣教に従事できるような錯覚に陥っていたのだ。

「私の方からも、都や安土でのことをお伝えしなければいけないと思いますが、それについてはこの後、食事の時に皆さんにそういった機会にお伝えします」

 と、ヴァリニャーノ師は言った。

 すぐに食事の時間となったので、食堂でヴァリニャーノ師は全員がそろうのを待ち、食事の前に、

「皆さん、お聞き下さい」

 と、大きな声で言い渡した。

「私はご存じのとおり半年近くかけて都や安土へ行ってまいりました。そこで感じたことや見聞きしたことで、皆さんにもお伝えしたいことがありますが、今回私はこの豊後には一週間ほどしか滞在しない予定です」

 司祭たちも修道士も、それを聞いてざわめいた。私も初耳だったので驚いた。やはり、ヴァリニャーノ師が日本を離れる日が確実に近くなっているのを実感した。

 なぜならヴァリニャーノ師は、豊後を離れてシモに向かうと言ったからだ。下は日本の入り口であると共に出口である。入り口に船が着くのは季節風の関係で毎年七月、出口から出るのは同じく毎年十一月から翌年の二月までの間である。すなわちヴァリニャーノ師は、来年の二月までには日本を離れるつもりでいるらしい。

「ただ、私はこの地で、どうしても成し遂げねばならない事務的なことがあります。それには三日か四日はかかりますので、それが終わり次第皆さんに都や安土でのことを伝えする機会を設けます」

 ヴァリニャーノ師はそれだけ言って、すぐに食事となった。

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