やがて季節は、すでに八月の半ばにさしかかっていた。

 その十三日の日曜日、聖母マリア被昇天の祭日を二日後に控え、主日のミサが暑い中で行われた。そのミサが終わった頃である。ある知らせが神学校セミナリヨの建つ町内の寄り合い所からもたらされた。

 それは町内に一様に配られているものが我われのところにも来たという感じだが、ミサ後の朝食の席でそのことが話題に出たので私がオルガンティーノ師に内容を聞くと、

「まあ、我われには関係ない。実は今日は日本では盂蘭盆ウラボンという異教徒の行事があって、なんでも死んだ人の霊が一年に一度この世に戻ってくると信じられているんだ。その霊たちがあの世に帰るのを見送るために、各家は夜になると門の前に火灯りや提灯を飾る習慣があるのだけれど、今日来た知らせはお城からのお達しでね、今年に限っては町内のすべての家も城内にある信長殿の家来の屋敷でも、篝火かがりびの火を焚くのを一切禁止するっていうんだ」

 と、説明してくれた。

「これはまた、どういうことでしょうかね」

 フロイス師がいぶかしげに尋ねた。オルガンティーノ師は首をかしげた。

「あの殿のされること、考えていることはよく分かりません。町中の人びとが困惑したような感じで騒いでいますから、同じ日本人にとっても分からないようですね」

 自分たちの伝統行事でさえ、命令一つで差しとめてしまう信長殿とは、いったいどのような存在なのか。何度もあって話をして、少しは信長殿という人のことが分かりかけていた私だったのに、これでまた一気に分からなくなった。

 オルガンティーノ師も遠くを見るような目でつぶやいた。

「去年はにぎやかだったのになあ。町中が一斉に篝火を焚くから、まるで夜なのに真昼の町のようでしたよ。今年は見られないのですね」

 いずれにせよ、珍しい風習を見る機会を逸したことにはなるが、たしかにこの神学校セミナリヨには直接には関係のないことなので、その話題はそれきりとなった。

 そのようなことも忘れて、我われは普通に夜を迎えた。外は普段と全く変わらない夜の闇が訪れようとしていた。日没後の晩課を終えて、夕食までは一日の中で唯一のくつろぎの時間となる。

 そしてもう外も真っ暗になった頃、なんだか外が騒がしいことに気がついた。

「今年は一切篝火も焚くなということだから、盂蘭盆という異教徒の行事もないのではないですか」

 何気に私はオルガンティーノ師に聞いてみた。ところがオルガンティーノ師は首をかしげるばかりだった。

「いやあ、たとえ例年であったとしても、篝火は焚いても、このように大騒ぎするような祭りではないはずですよ」

 するとそのうち、神学校セミナリヨの外から眩しいほどの光が見えて来た。明らかに炎の光で、町はその光で照らされているようだ。

 あれほどお達しが出たのに、なぜ町でこのように火が焚かれているのか不思議だった。やはり毎年の恒例行事なのだから、たとえ信長殿でも抑えることはできなかったのかと思う。

 しかしそうなると、信長殿のことだから烈火のような怒りを見せるだろう。

 そんなことを考えておるうちに、外では人びとのどよめきと騒ぎ声が最高潮に達していた。ほとんど神学校セミナリヨにいた全員が思わず外に飛び出した。

 神学校セミナリオの前の道はものすごい人出で、町中の人びとがここに集まってきているようだ。だが、彼らは神学校セミナリヨを見ていはいない。そしてものすごい火の光は神学校セミナリヨのすぐそばを通るこの町のコルソ(メインストリート)の方からで、人びともそちらを見ていた。我われは人込みをかき分けて、コルソ(メインストリート)まで出てみた。

 そこには巨大な松明タイマツを持ったおびただしい数の城の兵士が道の左右に並び、その列がずっとコルソに沿って城の方まで続いていた。その松明の燃え上がる炎で空は赤く焦がされ、町も明るく照らし出されていたのだ。

 松明を持つのが城の兵士だということは、これが信長殿の命によることは明らかだ。

 そして神学校セミナリヨのすぐそばの湖の上にも、何本もの松明を手にした兵士たちが乗る船が無数に浮かび、湖面もが明るく照らし出されている。

「いったい何事ですか?」

 ヴァリニャーノ師がオルガンティーノ師に尋ねていたが、オルガンティーノ師も首をかしげるばかり。フロイス師も、

「このような祭りは初めてだ」

 とあきれたような顔でつぶやいていた。

 ところが押し合いへしあいしている人びとの視線はコルソ(メインストリート)に並ぶ兵士たちの松明ではなく、別の一点に集中しているようだった。何気にそちらへ目をやった私は、とてつもないものを見てしまった。同時にそちらを見たメシア師も、

「あれをごらんなさい!」

 と、大声で我われに叫んでいた。

 光り輝く城が、夜の闇の中、空中に浮いていた。

 いや、正確にはいつもの城なのだが、最上階の望楼の手すりからおびただしい数の提灯が一面につりさげられ、その提灯の光が最上階の壁の金箔をまぶしいくらいに光らせている。提灯は一つや二つではなく、城の天主閣テンシュカクの側面すべてを覆い尽くすほどの数だ。また、その下の階も、窓からたくさんの提灯がつりさげられて、天主閣全体を照らし出していた。

 天主閣が建っている山はその中腹の家来たちの屋敷が篝火を焚くのを禁止されているため、山全体は闇に包まれており、その上に光り輝く城が建っているのだから、城が空中の闇の中に浮いているように見えたのである。

 私はしばらく、開いた口がふさがらなかった。いや、私だけでなく、神学校セミナリヨの誰もがそうだった。

 司祭たち、修道士たち、また神学校セミナリヨの方からは大勢の神学生も外に出て、この幻想的な光景を見ていた。

 美しいという言葉では、とても表現できるものではなかった。天国の夜はこのようなのだろうかと思われるほど、あたりは荘厳な空気に包まれていた。

 城の上ではまだ提灯の数をどんどん増やしていっているようで、ますます明るく輝きだす。そしてそのさらに上空では、負けじとばかりに満月が煌々とした光を放っていた。

 やがて、湖の方から船に載っていた兵士たちが陸に上がり、コルソの兵士たちの松明の間を城の方角へと駆けて来た。それもおびただしい数である。その兵士たちは地鳴りのような足音を立て、光のトンネルの中を次から次へと駆けて行った。松明を持つ兵士たちはその松明の炎をわざとゆらし、そこから飛び出た無数の火の粉は道路上に落ちて道路全体が輝き、その上を湖の兵士たちは駆けているのだ。

 やがて兵士たちの長い列が途絶えてしばらくすると、また城に近い方の沿道の群衆が歓声を上げはじめた。歓声はだんだん近づいてくる。

 やがて松明の炎の光のトンネルの中を足早に何人かの人がこちらへ歩いてくる。歓声はその人たちの歩みと共にあるようだ。

 やがて顔が見えて来た。真ん中を歩いているのはなんと信長殿だった。あとの人たちは簡単な甲冑を着けた護衛の兵士だ。人びとは初めて見る自分たちの主君の顔に驚き、歓声を上げ、また立ったままではあるが深々と頭を下げていた。信長殿はその中を、威厳に満ちた顔でうなずきながら歩いてくる。

 その姿を見るるや、まずヴァリニャーノ師が人混みをかき分けて最前列に出て、他の我われもそれに従った。そのすぐ前にまで、信長殿は歩いてきた。そして我われの姿を見ると、それまでのいかめしい顔にパッと光がさしたように、親愛の笑みへと表情が変わった。

「おお、バテレン殿方。頭を上げられよ」

 信長は立ち止まった。ヴァリニャーノ師が日本式に深々と頭を下げ、我われもそれに倣った。

「いやあ、申し訳なかった。これまで待たせてしまった。しかし、どうしても、どうしてもこれを見せたかったのじゃ」

 なるほどと、我われは皆うなずいていた。信長殿のたくらみとは、これだったのだ。

「いかがであったか、ボンの送り火は」

「はい。あまりの素晴らしさに、涙が出てしまうほどでござる」

 たどたどしくも日本語で、ヴァリニャーノ師は言った。信長殿は満足げな笑顔だった。

「ぜひ、お国に帰られたら、あの屏風と共に今日のこの光景を土産話としてお国の人びとに語って聞かせるがよい」

「かたじけのうござる」

 再びヴァリニャーノ師は頭を下げるので、同じく我われもそのようにした。

「では明日、城に上がられよ」

 それだけ言うと、信長殿はまた歩いて我われの前から去っていった。

「なるほど」

 信長殿の姿が見えなくなってから、オルガンティーノ師はつぶやいた。

「盆の送り火といえばあの世に帰る霊を見送る火ですが、信長殿はそのような行事をお好みではない。しかし、今宵このように盛大にそれを行ったというのは、これはヴァリニャーノ神父パードレ・ヴァリニャーノを送る見送りの火という意味もあったのですな」

「まあ、それだけのためというわけではないでしょうけどね」

 ヴァリニャーノ師はそうは言うものの、表情には素直に感動している様子がうかがえた。

 

 翌日、うるさいほどの蝉の合唱の中で城に上がると、信長殿は天守閣の入り口で我われを待っていた。なんと前にヴァリニャーノ師が送ったポルトガルの貴人の衣装を身にまとい、マントも着けていた。

「まずはこちらへ」

 信長殿が案内してくれたのは、本丸だった。そこにはひときわ大きな御殿が完成直後であることを物語るように木の香りを放っていた。我われは招かれるまま、靴を脱いでその御殿へと上がった。一般の貴人の屋敷の御殿とはどこか造りの違う、高貴な品格が感じられた。柱は白木のままだが、すべて丸い。

「これは清涼殿セイリョーデンでござるよ」

 そう言われてもよく分からなかったが、信長殿は、

「都の内裏の帝のお住まいの清涼殿と全く同じ造りで造ってある。いつかここに帝をお迎えするつもりじゃ。だから予は他の城の城主のようにこの本丸には住まずに、天主閣に住んでいるのだ」

 と得意げに、そして満足げに笑いながら言った。本丸に新しく御殿ができようとしていると信長殿が言ったのはこれのことらしい。これを見せるために完成まで待てという我われを足止めにする口実も、あながち嘘ではなかったようだ。

 このような立派な御殿を帝のために造るということは、信長殿はなんだかんだ言ってもやはり帝の権威にはかなりの尊敬を払っているのだなと、私はその時考えていた。

 だが、なぜ帝が都ではなくこの安土に来るのか、そんなことも頭をよぎったが考えても分かるはずはないので、歩きだしたヴァリニャーノ師たちの後ろを慌てて追った。

 やがて、天主閣の入り口に来た。その時、もう一つのあることに気がついた。あの清涼殿という御殿は確かに巨大で立派な建物だったが、そのすべてをこの天主閣は見下ろしているのだ。


 天主閣の中ではヴァリニャーノ師の暇乞いの言葉をフロイス師が通訳し、信長殿は送別とねぎらいの言葉をかけ、この時の会見は短時間で終わった。天主閣の出口にはすっかり武士サムライが板についたヤスフェがいた。ヤスフェとは毎週の主日のミサのたびに会ってはいるが、城中で会うのは久しぶりだ。

「ご出発の日には、お見送り致します」

 とヤスフェは、我われにポルトガル語で言った。

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