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人びとが帰った後、私は屋敷の縁側に腰掛け、茫然と庭を見ていた。すでに夕日が港の向こうの岬の陰に沈もうとしていて、あたりをオレンジ色に染めていた。
私は腰かけたまま両腕を足の上に乗せ、両手を組んでうつむいた。何人かの洗礼志願者を躓かせてしまった、そのことが申し訳なくひたすら『
いつの間にか背後にロレンソ兄が来て、縁側に足を組んで座った。
「バテレン様、そうご自分をお責めにならないように。私だってこのようなこと、これまでに何度もありました」
説教の天才のようなロレンソ兄にもこのようなことがあったなどと言われても、実感がわかない。それよりも何よりも、私の耳には何もかもが空虚に聞こえた。
「私が申し上げるのもおこがましいですが、そうやって自分を卑下するのは地獄の想念ではございませんか」
確かにその通りだ。私は少しだけ顔を挙げた。
「イエズス様も七十人以上もいた弟子が途中でどんどん離れていって、最後には結局十二人しか残らなかったっていうではありませんか」
振り向くと、ロレンソ兄はにっこりとほほ笑んでいた。
「この国の先祖崇拝は根強いものがあります。仕方のないことですよ」
私の心が、その笑顔で少しだけ癒された気がした。
翌日は説教はロレンソ兄にまかせ、私は別の部屋で黙想に明け暮れた。
一晩たって思い当たることもあった。
私は自分が聖霊に満たされていると思っていた。それはそれでその通りだったかもしれないが、それで慢心してしまったのだ。謙虚さがかけらもなかったような気がする。そのようなときは間髪を入れず、『
そしてもう一つ、ヴァリニャーノ師が提唱している現地への適応主義だが、それがどこまで適応すればよいのか。日常の暮らしや文化的なことなら私も大いに賛成だ。だが、今回のようなこの国の先祖崇拝などに対してはどうなのか。フロイス師などはこの国の
そんなことを考えながら、私がこの国で成し遂げなければならないことはまだまだ多いと感じていた。
日曜日になった。その主日のミサの中で洗礼式が執り行われることになっている。そして洗礼を受けるべくやってきた志願者は本来の八十人から約三分の二の五十人くらいに減っていた。しかし私は、その五十人が来てくれたことを『
だが最大の衝撃は弥九郎殿だった。
「真に済まぬことです。あのあとあの場で席を立った人たちが私にも詰め寄りまして、私も洗礼を受けるいうんならもう漁はせぬというてきまして」
弥九郎殿は冷や汗をかいているようだった。
「わずか十人でも漁をやめられては、この村の
そう言われては、何も言い返せなかった。だが彼の場合、お父上が熱心な
その代わり、ここにはオルガーノ《(オルガン)》もなく聖歌隊もいないので、聖歌はすべて弥九郎殿がア・カペラで、しかもラテン語で見事に歌い上げた。本当にこの人がまだ
ミサの中で、五十人は無事に受洗した。これが、私が司祭として初めて授けた洗礼であった。
洗礼式が終わってからロレンソ兄は、
「十二人だけでなくてよかったですね」
と冗談を言って笑っていた。
いろいろとあったこの室津の町だが、この海と岬の景色はいい思い出として私の脳裏に刻まれた。だが、帰りを急がねばならない。ロレンソ兄の話だと、この国ではもうすぐ年に一度の雨季が訪れるというのだ。
帰りは小西弥九郎殿が船を用意してくれた。さらには織田家の旗を立ててくれたので、海賊に襲われる心配もないという。船は海からそのまま大きな川をさかのぼって、高槻まで直接つけるという。
別れ際に弥九郎殿は笑顔でこのように言ってくれた。
「ぜひ、次の機会には洗礼を授けてください」
私もその時は、笑顔を作っていた。
早朝七時には船出したので、夕方には高槻についた。行く時に途中で三泊もしたのに比べたら、やはり船は速い。
そのまま高槻で、各地の教会を巡回しているヴァリニャーノ師一行の帰りを待った。ヴァリニャーノ師が戻るまで一週間くらい待っていたのだが、とうとう曇りがちから雨の日が続くようになってしまった。
雨季とはいっても激しい雨が降るわけではなく雨は普通の雨だが、降っている期間が数日に及ぶのである。
その間も、雨という天候のせいもあってか、私の心はふさぎこんでいた。やはり例の室津での洗礼志願者たちとのやり取りのいきさつが、私の中でトラウマとして残っていた。
やがてヴァリニャーノ師が戻り、私が室津で体験したことをすべてヴァリニャーノ師に語った。話の内容もさることながら、もう私はポルトガル語ではなく遠慮なくイタリア語でしゃべった。そのことが無上の喜びのようにも感じられた。ミサや聖務日課はラテン語で唱えるとはいえ、ここ一月弱の間、私は完全に日本語だけの中で日本語だけをしゃべって暮らしていたのだ。いくらもう以前よりかは少し日本語が自由に話せるようになったとはいえ、やはり日本語漬けでの生活では「疲れた」というのが実感だった。
そして特に例の先祖祭りに関しての出来事はわざと二人きりの別室で、洗いざらいすべてをヴァリニャーノ師に報告した。ヴァリニャーノ師も、深刻な様子で聞いていた。
「たしかにこれは、日本における福音宣教で課題となるね。この国では先祖を祀るという習慣が行きわたっている。恐らくあの
「実は私も、これまで考えたこともないものでしたから戸惑いました。だから、ついつい『
しばらく難しい顔をして、ヴァリニャーノ師は何かを考えていた。
「たしかに、我われの国を含めエウローパでは先祖を祀るという習慣もないし、発想もないからね。まあ、一つの考え方として、この国の先祖崇拝は宗教的な儀式ではなく、宗教とは関係のない昔からの社会的な習慣だと位置づけて許容していくしかないかもしれぬな。それがこの国の文化に適応することにもなる」
確かにそれなら、適応主義と矛盾しない。
「そうですね。私たちだって先祖は祀りませんが、亡くなった方のお墓にお墓参りはしますものね。それと同じと考えればよいわけですね」
「今言ったのはあくまで一つの方案であって、今後の課題として日本に残る司祭たちで十分に話し合っていくことが大事だ。また総長の意向も聞いてみる必要もあるしな。同じような問題は、日本と同じような文化や習慣を持つチーナでも、今より福音宣教が進展した場合にも起こり得る可能性がある」
と、いうことで、この問題は今後の課題として残された。
そしてその二日後は、からりと晴れた。これを
その日を狙って我われは高槻を後にした。別れ際にジュストは、餞別ということでヴァリニャーノ師に一頭の立派な馬を贈った。都の教会で一泊して、安土に戻ったのが私の霊名の聖人である洗者ヨハネの祝日、つまり六月二十四日の土曜日だった。
そしてその翌日からまた、雨ばかりが続く日となった。
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