Episodio 3 対立(Arima)

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 ゴアには戻らず日本に留まることを決意したヴァリニャーノ師は、早速行動を開始した。まずは今後の日本における福音宣教と聖職者養成についての、日本滞在中の全司祭による会議を開くということを巡察師権限で発表した。

 そのことで話があるということで、八月も末のある日、ヴァリニャーノ師は神学校の空いている教室にカブラル師、コエリョ師そしてメシア師を集め、さらに口之津からわざわざアルメイダ師をも呼び寄せて予備会議を開くことになった。その席に私もあくまでオッセルバトーレ(オブザーバー)として同席せよとのことだった。

 会場は木の床の上にじゅうたんを敷いて、椅子とタヴォーラ( テ ー ブ ル )が運び込まれた。長時間の床に座っての会議は耐えられないと、カブラル師が強く主張してこうなったそうだ。

 会議開始の祈りを一同で捧げた後の開口一番、ヴァリニャーノ師は立ち上がって次のように言った。

「私はこの国に来る前に、この国における福音宣教の様子はいろいろと耳に入っていました。しかし、昨年の七月に実際にこの国に来てこの目でいろいろと見聞したところ、それまで思い描いていた印象はことごとく崩壊したのです。ゴアもひどかったがこの国おいても問題は山積でして、まずはこの国の信徒たちと我われイエズス会との間の不協和音はもとより、この国の修道士たちが我われ宣教師に対してかなり不満を持っていることに唖然としました。異教徒はまだしも、洗礼を受け、福音宣教の道を志したこの国の人びとと我われとの間に、あってはならない溝があるのです。そして何よりも問題なのは、信徒たちが受洗の恵みを戴きながら定着しない、つまり、棄教者の増大です」

 私はそれを聞きながら、まだ来たばかりの身として驚きと衝撃の連続だった。まだまだこの国の表面しか見ていない私にとって、これまでのゴアやマカオとの比較で、この国ほど驚くべき速さで福音が一般民衆に浸透している国はないと思っていたからだ。

「ちょっと待った!」

 割れんばかりの大声でヴァリニャーノ師の話を遮ったのは、カブラル師だった。

巡察師ヴィジタドールはそのすべてが日本総布教長の私の責任であるとして、それを追及するおつもりですな」

 ヴァリニャーノ師は、このカブラル師の発言を当然のこととして予想していたようで、穏やかな表情のまま、

「何が誰の責任とかそういうことではなく、私はただ現状を述べているのです」

 と、言った。だがカブラル師は引き下がらずむしろ立ち上がったので、仕方ないという顔つきでヴァリニャーノ師は着席した。カブラル師は立ったまま話を続けた。

「私はこの国に来て十二年、これまで福音宣教と人びとの魂の救済、霊益のためにこの地の果ての国で『天主デウス』のみ意のまにまに奮闘してきた。それを、昨日今日この国に来たばかりのあなたから頭ごなしに批判を受けるいわれはない。そもそも、たった一年で、この国の何が分かるというのです。あなたが総長の名代であるということは重々心得た上で言わせて頂きますが、我われはポルトガル国王のご付託を得てはるばるこの地まで来ている。国王陛下はポルトガルの威信を世界に広めんとて、イスパニア王に引けを取らじと大いなる志の元、我われを遣わした。そうですよね、コエリョ神父パードレ・コエリョ

 話をふられたコエリョ師も大いにうなずいていたが、ヴァリニャーノ師は手のひらを二人に向けた。

「ちょっとお待ちください」

 まだ憤慨していた様子だが、しぶしぶとカブラル師は座った。ヴァリニャーノ師は着席のまま両ひじをタヴォーラ( テ ー ブ ル )について話し続けた。

「あなたは国王陛下のポルトガルによる世界制覇のためにここに来られたのですか? 福音宣教のため、人びとの霊益のためではなかったのですか?」

 カブラル師は答えなかった。ヴァリニャーノ師はさらに付け加えるように、

「わたしはポルトガル人ではありませんからね」

 と、言った。

 だがここの空気を見ると、ポルトガル人ではないのはヴァリニャーノ師と発言権のないオッセルバトーレ(オブザーバー)の私だけで、ヴァリニャーノ師の顧問的存在であるメシア師も含めあとは皆ポルトガル人だ。それにしても、キリストのみ言葉のまにまに「すべての人に福音を告げ知らせよ」というただそれだけの目的でここに来た私にとっては、我われの存在と活動がポルトガルという世俗の国の領土拡大と関連付けて論じる考え方は全く想定外のものだったから、このような話が出るということだけでも驚きだった。だが、なぜかそんなやり取りが私の心の中に深く刻まれてしまったのである。

 さらにヴァリニャーノ師は、カブラル師に言った。

「そもそもあなたは国王陛下、国王陛下と言われるが、あなたの言う国王陛下、セバスティアン一世陛下は二年前にモロッコとの戦争で戦死されて、今はエンリケ枢機卿が聖職のまま王位に就かれているのですよ」

 この話に驚きの表情を見せなかったのは、私とアルメイダ師だけだった。この二年も前の情報は、私が乗ってきた船に積んであった報告書によって初めてこの国のポルトガル人たちに伝えられたのだろう。ただし、アルメイダ師だけは、すでにマカオで耳にしていたはずだ。

「もはや領土拡張に野心を燃やしておられた国王ではありませんよ。それに、我が会の性質として、出身国がどうのこうのとこだわるのはおかしい。今日はたまたまイスパニア人はいませんけれど、あなたのような発言はイスパニア人がいたらやはりおもしろくないでしょう。ただでさえ世俗の世界ではポルトガルとイスパニアが覇を競っていますからね、我が会の内部でもその影響が出てはいけないということで総長はポルトガル人でもイスパニア人でもない私を巡察師に選んだのではないかと思っているのですが」

 カブラル師は、また黙ってしまった。

「さらには、あなたは『国王陛下のご付託を得て』とおっしゃいましたが、我われをここに遣わしたのはどなたですか? そりゃ、究極的には御父の『天主デウス』であり主キリストですけれど、この世的にはどなたですか? ポルトガルの国王陛下なのですか? イエズス会の総長ですか? 違うでしょう?」

 カブラル師はますます苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

「言うまでもないでしょう。あなたもおわかりのはずだ。我われが得たご付託とは、教皇様のご付託に他ならないはずです。では、議題を進めます」

 ヴァリニャーノ師のそのひと言で、ようやく会議は始まったという感じだ。

 まずは審議というよりも、私とアルメイダ師が乗ってきた船でもたらされた書類による決定事項の伝達であった。そのひとつ目は、これまで日本はゴアのインジャ管区の管轄でマカオ司教区に属していたが、日本をそこから切り離して独立した管区にするという案が示されており、決定は巡察師に一任するとのことだった。だがすぐに司教の着座はできないので、これまでの総布教長を管区長にするということだ。

「ですからカブラル神父パードレ・カブラル、あなたが管区長ですよ」

 だがカブラル師は、ニコリともしないで横を向いていた。

「それはあなたの本意ではないのではないですか?」

 それにはヴァリニャーノ師は答えず、

「あなたの意見は?」

 と聞き返した。

「まあ、賛成ですな」

「他の方は?」

 メシア師とコエリョ師も賛成の意を示した。

 そこでヴァリニャーノ師は、さらに話を進めていった。

「すでに六月に発表した通り、この日本は三つの布教区に分ける。ご存じの通りこのシモ布教区、豊後ブンゴ布教区、そしてミヤコ布教区の三つです。このシモ布教区の布教区長はコエリョ神父パードレ・コエリョ

 ヴァリニャーノ師はここで、コエリョ師を見た。

「引き続きあなたにして頂きます」

 コエリョ師も無表情でうなずいていた。これからこの国が管区となっても司教はいない以上は教区と称することはできないので布教区と呼ぶが、ほぼ教区と同じような性質を持たせることはヴァリニャーノ師の考えの中にはあるらしい。

 シモ布教区には小教区として長崎、有馬、有家アリエ、口之津、天草、大村、平戸ヒラドなどが含まれる。

 豊後布教区というのは、私はまだ知らない。ミヤコとは王都という意味で、前からよくその名は耳にしていた。安土もここに含まれるらしい。

「布教区長は毎年、そして布教責任者は、もし管区になれば管区長は三年に一度、管轄内の教会を巡回してください。あと、布教区長の任期は三年にしたいと思いますが、いかがでしょうか」

 これには、皆賛成の様子だった。

「それと、これも総長から私に権限を一任されていることですが、日本における教育施設の設置です。すでにこの有馬に神学校セミナリヨはできていますが、今後は三つの布教区に学院コレジオ、日本人のラテン語習得と新人宣教師の日本語習得のための神学校セミナリヨ、そして修練院ノビツィアードを設置していきたいと思っています」

「あのう、ひとついいですかね」

 ここでアルメイダ師が手を挙げた。

「神学校の日本人学生には、どこまで教えるのでしょうか。今はとりあえずラテン語の講義だけやっていますけれど、それ以上まで教えるつもりなのですか」

「いずれ哲学、神学も学べるようにしたいと」

「いやあ、私はどうも賛成しかねます。やはりまずは語学をしっかりと体得させてから次の段階に行った方がいいのではないかと思うのですが」

 アルメイダ師がまだ言い終わらないうちに、カブラル師が口をはさんだ。

「日本人に哲学や神学など、そのような高度なことを教える必要はない。それこそ『豚に真珠』だ。『恐らくは足にて踏みつけ、向き返りて汝らを噛み破らん』というみ言葉の通りなるに違いない」

「ちょっと待ってください。私はそのような意味で反対しているのではありません」

 アルメイダ師は少し慌てたそぶりを見せた。ヴァリニャーノ師はあきれたふうな顔を、カブラル師に向けた。

「どうしてあなたはそのように偏見と差別に満ちた考えしかできないのですか」

 カブラル師はその時、確かに鼻で笑った。

「本当は私は、日本人にポルトガル語やラテン語の習得もさせたくはない。いいかね。彼らがポルトガル語に精通して、我われの会話も聞いて全部理解するようになったりしたら、彼らは我われを馬鹿にするようになる。あの、口之津にいるジョアンという日本人の説教師がいい例だ。日本人ほど傲慢で貪欲な偽善者はいない。インジャの黒人よりももっと低級だ」

 一瞬、場の空気が凍りついた。この差別発言には私だけでなく、誰もが不快に思っていただろう。しばらくしてからヴァリニャーノ師が沈黙を破り、カブラル師は無視してアルメイダ師の方を見た。アルメイダ師もまたヴァリニャーノ師よりも年長で日本滞在歴も長い。だから、アルメイダ師に対しては、ヴァリニャーノ師も十分に敬意を持っているようだ。

「たしかに、おっしゃることはよく分かります。語学習得の重要性は私も認識しております。では、他の方は?」

 しかしあとの二人は、哲学や神学まで教授内容を拡大することに異議はないとのことだった。

「ではこの件は保留ということにしまして、次に日本人をイエズス会に迎え入れることの是非については」

 これもカブラル師とアルメイダ師が、それぞれ考え方は違うにせよ、結果として反対ということになった。続いて日本人の在俗聖職者のことなど論じられたが、それぞれ意見もあってなかなか統一見解は出そうもなかった。

 カブラル師はまた、

「日本人ごときが聖職者?」

 と、鼻で笑っていた。

「私はこれからはどんどん日本人司祭も養成していくべきだという考えに立っております」

 と、ヴァリニャーノ師がその持論を伝えて、とりあえずはまとめておいたという感じだ。

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