Episodio 2 キリシタンの大名(Arima)

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 船はここへ来るまでは商人たちも乗っていたので船内がひしめき合っていたが、今は我われ聖職者七人とあとはカピタン・モールおよび乗組員たちだけなので、何かがらんとした感じを受けた。それでも一歩船内に入るやそこは紛れもなくポルトガルで、思わず郷愁を感じてしまった。

 さほど風を待つ必要もなく、朝方に船はレオン師や同宿の日本人青年らに見送られながら長崎の港を出港した。

 八日前に来た時とは逆のルートで湾の出口に向かって陸地の間を航行し、すぐに外海に出ると今度は陸地に沿って南下し始める。陸の上はずっと丘陵地帯で、鮮やかな緑が目に痛いほどだ。それはどぎつく青く、そんな景色を甲板で楽しんでいた我われに日差しは強かったが、心地よい風が当たっていた。

 一時間もしないうちに山の向こうの岬を船は大きく左側へと舵を切った。岬を回りこんだが今度は陸地を離れてどんどん東へと向かう。だが行く手は水平線ではなく、遠くに島なのか半島なのかは分からないが陸地が横たわっており、どの陸も平らな土地というものは見当たらなかった。まだはるか遠くだが、かなり高そうな山も丘陵の向こうから顔をのぞかせている。珍しく緑には覆われていない山だ。

 遠くに見えていた陸地が、みるみる近づいてきた。やがてちょっとした丘のある岬を左へと回り込むと、海は陸地と陸地の間の狭い海峡になっていた。緑のない高い山は左手の陸地の向こうにだいぶ近づいて顔をのぞかせているが、まだかなり距離はありそうだった。

 そのまま船は丘と丘の間にある港へと吸い込まれていった。長崎を出てからほんの二時間半ほどで到着だ。船で海を渡ってきたという感覚はあるが、実はここも長崎からは陸続きで、もし歩いたならばまる二日かかったという。船を出してくれたカピタン・モールには、感謝しかなかった。

 港の対岸にも陸地はあり、とにかく日本という国は海岸線が複雑な国だなというのが私の実感だった。

 到着した口之津の港はそれほど大きな町ではなく、民家もまばらだった。ちょっとした平らな土地の向こうは、どの方角も丘陵が視界を遮っていた。船の上から見た緑のない高い山は、ここからは見えなかった。

 口之津の教会は、港のすぐそばのちょっとした高台の上にあった。私がマカオで出会って、マカオで共に司祭に叙階され、ともに長崎まで来た人々は、マカオに来る前は五人ともが皆この口之津の教会にいたのだという。

「帰ってきたなあ」

 と、アルメイダ師は教会の十字架を見ながら感慨深げに言っていた。船の上でも口之津のことなどアルメイダ師からいろいろ聞いたりしたが、私はこの後ヴァリニャーノ師と共に有馬という所まで行くことになっているから、アルメイダ師をはじめとする五人の神父様方とはここでお別れとなる。

 まずは教会に隣接する司祭館で、この教会に住む四十代くらいのバルタザール・ロペス師、ジュリオ・ピアーニ師らとともに、遅い朝食をとった。食堂の窓からは港が一望でき、入江はさらに奥へと続いている。入り江の対岸はそれほど高くはない山が点在し、とてものどかないい眺めだった。我われとこの教会の二人の司祭のほかには修道士が数名同席していたが、中には日本人の説教士もいた。

 私とほぼ同世代のそのジョアンと名乗った説教士は頭髪をすべて剃っていたが、驚いたことに非常に流暢にポルトガル語を話すのである。

 食事の時間はそう長くはなかった。この司祭館は、このシモ地方にそれぞれ宣教の旅に出る司祭たちがいつでも泊まれるような宿泊施設を兼ねているのだという。

 私以外は二人の司祭と涙を流さんばかりにして再会を喜んでいた。日本にいてしばらく離れていたというのではなく、マカオまで行って帰ってきたのだからその途中の航海の危険性を考えても、その再会の喜び方は決して大げさではないと思う。

 初対面なのは私だけなので、昼食の席でヴァリニャーノ師が私を二人に紹介してくれた。だが、その私の名を聞いた瞬間にピアーニ師が目を輝かせた。それは私がピアーニ師の名前を聞いた時も同様だった。名前を聞けば、同国人だということはすぐに分かる。正確には、今のイタリア半島には統一国家はないから国までは分からないが、少なくともイタリア語を話す言語圏であることは間違いない。聞けば、ヴァリニャーノ師と同じナポリ王国の出身だった。年も全く私と同じだった。そこで二人で意気投合し、イタリア語で盛り上がっていたらヴァリニャーノ師が目配せをする。そこで我われは慌ててポルトガル語に切り替えた。


 新しい出会いも束の間、私のヴァリニャーノ師はこの日のうちに有馬アリマの城下まで行くことになっていた。有馬までは徒歩でも二時間半くらいだという。

「まあ、有馬はこことは目と鼻の先。会おうと思えばいつでも会えますよ」

 ピアーニ師はそう言って笑っていた。

 私はアルメイダ師、カリオン師、ラグーナ師、ミゲル・ヴァス師、サンチェス師らにマカオからの同行のよしみを謝し、ヴァリニャーノ師と二人で教会のある丘の上から港の方へと降りた。教会を見上げると、教会の窓からここまで同行してきた司祭たちが手を振ってくれている。さらに港を通ると、我われをここまで送ってくれた停泊中のポルトガル船の甲板からカピタン・モールのミゲル・ダ・ガマが笑顔で我われに手を振ってくれた。

 そのまま海岸線に沿って湾曲する入り江のいちばん奥まで歩くと、道は二手に分かれていた。このままいけば道はさらに入江伝いに先ほどいた教会とは反対側に回り込み、さらに海沿いに続いていく。左へ曲がれば山間部を抜けての有馬までの道だという。こちらの方が有馬へは距離的には近いのだが山中は山賊もいて危険だし、この暑さで山道というのも応えるということで、海沿いの街道を行くことになった。

 ここは長崎とは地続きだが海峡の対岸は島で、天草アマクサというのだとヴァリニャーノ師は歩きながら教えてくれた。

「あの天草にも教会があって、司祭館もあるのだよ」

 その説明を聞いて、私はやはり日本は特殊だと思った。

「ゴアもマカオも教会はたくさんありましたけれど、城壁に囲まれた狭い地域の中に密集していましたよね。日本は城壁で囲まれた地域こそありませんけれど、日本全体に教会は点在しているんですね」

「そうだね。これも『天主様ディオ』のみ摂理と、ザビエル神父以来の多くの先輩たちの御苦労のたまものだよ」

 と、ヴァリニャーの師はにこやかに言った。

 道中いろいろな話をしたが、その中で私は有馬の殿トノについて尋ねてみた。

「有馬の殿は有馬殿アリマ・ドノだよ」

 私が不思議そうな顔をすると、師は高らかに笑った。

「日本人のコニョーメは、たいてい地名に由来するんだ。有馬に住んでいるから姓は有馬。バルトロメウ大村殿も長崎に近い大村というところに住んでおられるからだよ」

 不思議な話だ。エウローパではこのようなことはない。

「では、日本人の姓は皆地名なのですか?」

「みんながみんなそうだというわけではなさそうだけれどね。それに日本では武士サムライ、つまり我われのいう騎士カヴァリエーレに当たる人びとしか姓はない。農民は姓を持たないし、商人は店の名前で呼ばれる。もっとも武士サムライと農民の間の区別はあいまいで、普段は農民で戦争の時だけ武士サムライになるという人も多いみたいだな」

 本当にヴァリニャーノ師はこの国についてよく知っておられる。師もまだこの国に来て一年ちょっとしかたっていないはずなのに、だ。まだまだ私にとってこの国については知らないことが多すぎる。

「有馬殿も信徒クリスティアーノなのでしょうか?」

「亡くなったお父様が熱心な信徒だったそうだけどね、今の殿は最初は教会に背いてずいぶん教会にひどいことをしたらしいね。先ほどの口之津でも、武士に命じて教会を破壊して焼いたりしたそうだよ。でも、キリストの教えに出会ってすっかり悔い改められて、今年のご復活の前に受洗の恵みを頂いた。そのいきさつもいろいろと大変で、平坦な道ではなかったけどね。今は、殿はドン・プロタジオといわれる」

 今年のご復活といえば、私が司祭に叙階された時だ。それとほぼ同じ時期に洗礼を受けられたことになる。

「さっそく、着いたらお城に行って、殿にお会いしよう」

 私にとって初めて「殿トノ」と面会するのだ。そのひと言で急に私は緊張してきた。

 だが、もっと大きい緊張が、有馬に着くや否や私を待っていたのである。

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