そのレオン師に頼んで、私は翌日、長崎の町を視察するために教会を出た。暑い夏の日差しにさっと包まれ、すぐに汗が噴き出した。

 その時の私は、だいぶ緊張していた。初めての国の初めての町を、初めて歩くのである。しかもここは、何度も繰り返すが城壁で隔てられて保護されたポルトガル領土ではない。イエズス会領になっているとはいえ、ここからこの国のどこまでも全く何の隔てるものもないのだ。

 教会のある丘を坂道で下ると、すぐに町が始まる。本当に細長い岬で、先端の丘の麓から岬の根元までが町だ。坂道の上から町の様子全体が見えたが、町の中央にストランダ・プリンチパーレメイン・ストリートが走り、その両脇に民家や商家が立ち並ぶが、どちらも二軒ほどで海岸線となる。細長い岬の上にあるのだから、町も海と海に挟まれた縦に細長い街になるのも当然だ。坂の上から見て左手の海岸が港で、我われが乗ってきた大きなポルトガル船がまだ停泊している。右手の海岸は砂浜で、海といっても内陸に深く入りこんだ入り江である。

 その入江は川の河口でその土砂が堆積しているためかなりの浅瀬の海で、干潮ともなるとだいぶ広い範囲が砂浜になるそうだ。だから、港を造るには適しておらず、自然と港は岬の北側、すなわちここから見て左手の方に造られたという。

 町はそこそこ活気があふれていた。我われが歩いても人びとは珍しがって我われを見るでもなく、ほとんど意識されていないというのが実感だった。何人かの婦人がレオン師を見ると愛想笑いを浮かべて、

「バテレン・サマ」

 と呼びかけてきたくらいだ。婦人たちは皆、そのあとレオン師と二言三言話をしてから去っていった。顔は笑顔ではあるが、どうも心底からの親しみの笑顔にはその時の私には見えなかった。ただ、誰もが一様に去る時は、頭を深々と下げてから去っていった。その仕草も奇異だったが、それよりも衝撃だったのは、マカオであれほど毎日、寝食も忘れるほどの勢いで日本語を学んできたはずなのに、婦人たちの言葉はいくつかの単語を断片的に聞き取れたくらいで話の内容はほとんど分からなかったことである。

「カレハ キタバカリノ バテレン デ ゴザル」

 レオン師が私を紹介してくれる日本語は難なく聞き取れる。レオン師が話す日本語だけはよく分かるのに、日本人の婦人たちの言葉はほとんど聞き取れない。

「キョウハ…ホゲナコウ…テンキモヨカバッテン…コギャン…ヨカハレトット…アツウテタマランバイ」

 婦人たちはそこでそんなふうに私にも何か話してくれたが、いちいちレオン師が私にポルトガル語で通訳してくれなければ全く分からなかった。それによると皆が口々に言うのは今日は天気がいいだけに暑いという話題だった。そこで、私は思い切って、

「ハイ マコトニ アツウゴザル」

 と、日本語で言ってみた。すると私の言う日本語は、彼女らには通じたようだ。それだけが救いではあったが、それでも私は打ちのめされたままそのあとも町を歩いていた。その様子を見たレオン師は、高らかに笑った。

「仕方がないことですよ。私も最初からこんなふうにこの町の人びとと会話ができたわけではありませんから。私も日本に来てから四年くらいになりますけれど、今のように不自由なく会話できるようになるまで相当時間がかかりました」

 日本に来てから五年と一昨日おととい来たばかりのものとでは違って当たり前だが、それにしても私がマカオで学んできたのは何だったのかという感じだった。リスボンでポルトガル語を学んだときはたった数カ月で完璧に習得し、こんなことは一切なかった。

 すると、レオン師はまた話を続けた。

「それともうひとつ、実はあなたがマカオで学んでいた日本語は、ミヤコ地方の標準的な日本語なんです。このシモ地方の日本語は、同じ日本語でもだいぶ違うのですよ」

 なるほどそういうことかと思う。イタリア語でさえ、私の生まれた教皇領とヴァリニャーノ師の故国のナポリ王国とではかなりの開きがある。お互い問題なく通じはするが、第三者が聞いたらその違いは明白だろう。

 だが、レオン師が続いて、

「実は両者の間にはイスパニア語とポルトガル語くらいの違いはあるんです」

 と、言ったのには驚いた。イスパニア語もポルトガル語も同じラテン語から派生した言語で、たまにはそれぞれの言語で話して互いに通じる時もあるが一応は別言語である。

「まずは標準の日本語さえ習得してしまえば、この地方の言葉を習得するのは楽ですよ」

 まるで人ごとのようにレオン師は言って、また高らかに笑った。ところが、実は私には、それよりも気になっていたことがあった。

「もう一つお聞きしていいでしょうか」

「はい」

「この町の人びとはまだ我々のことをよくは思っていないのですか?」

 この問いには、レオン師は少し怪訝な顔をした。

「なぜ、そう思うのです?」

「先ほど声をかけてきた女性たちの笑顔が、どうも本気ではないような気がしたのですが」

 再び、レオン師は笑った。

「この国の人たちは、感情をそう簡単には表に出しませんよ。やはり島国で、この国では同じ民族だけが同じ島で暮らしてきましたからね。表情に出さなくても、あるいはいちいち言葉にして言わなくても互いに分かりあえるんでしょうね。ま、我われにとっては、最初慣れるまでは戸惑うと思いますけれど、あの程度の笑顔で、この国では十分に親しみの情を表しているんです」

 それも一応は納得がいった。だが、何か腑に落ちない。もっと奥に何かあるのではないかという気がしてならないのだ。もしかしたら、ここが教会領になったのはつい最近だということだから、彼ら町の民はまだ新しい「殿」に慣れていないのではないかとも思った。

 だが、昨日のレオン師の言葉では、自分たちの村や町を治める領主がある日突然変わって、新しい領主はそれまでの敵の大将だったりすることもこの国では珍しくないとのことである。

「ひとつ、いいことを教えましょうか」

 突然、レオン氏は言った。

「我われは特に初対面の人と対するとき、まずは相手の口元を見ますよね」

「はあ、そうかもしれません」

「口元が笑っているかそうではないか、とにかく口の形で相手の心を読み取ろうとする」

今までそのようなことは意識したことはなかったが、言われてみればそのような気もする。

「ところが日本人の場合は、まず相手の目を見るんです。口の動きや形では、日本人の心は読み取れない。だから、あなたも覚えておくといいですよ。日本では、相手の心を知ろうと思ったら口ではなくまず目を見るんです」

 そんなものかなと思う。

「日本には『目は口よりも雄弁である』ということわざもあるくらいですから」

 そこまでなのかとも思う。いずれにせよ言えるのは、この国の人びとの腹の内は簡単には分からないのではないかということだった。

 何か警戒しなくてはならない何かがあるのではないだろうかと、そんなことを考えているうちにふとマカオでの叙階式での司教の言葉がよみがえった。司教の言葉というより、その時に司教が引用された主キリストのみ言葉である。

「あなた方を遣わすのは、狼の群れの中に羊を送り込むようなものだ」

 ここにいる人々は狼の群れなのだろうかと、私は町行く人びとを歩きながらあらためて見まわした。

 だが、主キリストはさらに言われた。

「蛇のように賢く、鳩のように素直でいなさい」

 それがどういうことなのか……与えられた智恵を十分に活かすと同時に、『天主ディオ』の大いなるみ意のまにまにス直にお任せする……そんなひらめきが、私の中であった。そしてこの人びとがたとえ狼の群れであったとしても、我われは彼らに仕え、彼らに奉仕する彼らの下僕として接しなければならない。

 心の下座が救いの妙計と司教は言われていた。それこそが主キリストの至上命令だと、私はその時感じていた。

 やがて町が途切れたが、レオン師はまだ歩き続ける。町が途切れたといっても、区画された町並みが終わったというだけで、民家はそのあとも緑の木々の中に点在している。教会領もここまでということではなく、まだまだ広いとのことだった。

「まあ、この町の人とて全部が全部というわけではありませんけれど、かなりの数が信徒クリスタンですよ。先ほど私に声をかけてきたのは、全部信者です」

 そうなると、まだ本当の意味での狼の群れとはいえないかもしれない。それでもはっきり言って、この町を抜けるまでの間の私の緊張感はものすごかった。

 その足で、レオン師はこの長崎のもう一つの教会へと私を連れて行ってくれた。そちらの方が、我われのいる岬の教会よりも古いのだという。町が終わると、道は登りの坂道となり、やがて入り江にそそぐ川を渡ったところに、小ぢんまりとした教会堂はあった。そこでは、日本に着いた夜の晩餐で同席していたモーラ師が、最大の笑顔で迎えてくれた。やはり我われエウローパ人の間ではこれくらいの笑顔でないと好意は伝わらないなと、その時はぼんやりと考えていた。

 

 現在、日本の国全体の信徒数は十万はいるという。その多くがこの「シモ地方」に集中しているとのことで、ここでは町のほぼ全員近くが信徒だとしても不思議ではないことになる。

 ザビエル師がこの国に初めて福音をもたらしてから三十年、たしかに普通のやり方でここまで福音化するのは容易ではないだろう。領主を信徒にするというやり方は、確かに効果は大きいかもしれない。しかし、数を増やすだけで満足していてはいけないのではないだろうかと、私はなんとなく感じていたがあえて口外しなかった。

 だが、その信徒の数を実感するのは、次の日曜日だった。私が日本に来てから最初の日曜日は、我らイエズス会の創始者のイグナチオ・ロヨラ師の記念日でもあった。すると、朝から次から次へと日本人の信徒が続々と教会に押しかける。狭い聖堂には皆がひしめき合ってミサにあずかっているという感じだ。

 司式司祭はレオン師だった。始まる前に私はレオン師に、今日はイグナチオ・ロヨラ師の記念日だからこんなにたくさんの信徒が参列しているのかと聞いてみたが、答えは違った。

「いえいえ、毎週こうですよ。だから、早く新しいもっと大きな聖堂を造らなければならないのです」

 と、レオン師は笑顔で言った。

 ポルトガルの商人たちも、私たちと同じ船に乗ってきた人びとも新しく加わっているはずだから数は増えているはずなのに、それでもポルトガル商人よりも日本人信徒の方が参列している数ははるかに多かった。

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