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 翌日から、ヴァリニャーノ師は自室に籠もりきってほとんど顔を見せなくなった。その言葉通りだとすれば、いくつもの木箱の中の書簡や報告書、書類に目を通しているのだろう。木箱は数個だが中は紙である。ぎっしり詰めこめばそれは膨大な量となるはずだ。食事も自室でされているようで、師の顔を見るのは毎朝のミサのときくらいであった。

 その朝のミサと一日八回の聖務日課のほかは、我われは何もすることがなかった。だが、レオン師は特に私が日本は初めてだということで、いろいろと話しておきたいことがあると私をだれもいない聖堂に連れだした。ここも椅子などはなく畳敷きなので、実際に私はどう座っていいのかまだ慣れずにいた。

「日本の状況についてのだいたいの話は、マカオでも聞いてこられましたか」

「はい、少し」

 主にアルメイダ師によって今の日本が置かれている現況については、マカオにいる時点でかいつまんで聞いてはいた。だがその時は、まだ見たこともない異国の話なのでどうも今一つ実感がわかなかった。今や自分がその国にいる。ここでたとえもう一度同じ話を聞いたとしても、今度は自分への入り方が違うだろう。

「でも、もう一度教えてください。この国がほかの国と国違うという点があれば、知りたいのです」

「何から話しましょうか。どの程度の話をお聞きしているのですか?」

「あ、そうだ」

 私はふと思いついたことを、師の質問に答える前に口にしてしまった。

「この教会の周りの工事は、何のためです?」

 師は私が話を折ったことについては何も言わず、

「ああ、あの工事ですね」

 とうなずいた。

「あれは、この教会のある丘を守るための工事です」

 丘の下はすぐ海なので、何か建造物を作ろうとしているようではなかった。

「城壁を作り、この教会を守ります」

 たしかに居住区を城壁で囲むことはこれまで訪れたどの町でもされていた。だからそのことは聞き流していたが、

「この丘を要塞とするのです」

 というレオン師の言葉は、あまりにもさらりといわれたので余計に気を止めてしまった。

 ふと、マカオでのことを思い出した。マカオの丘の上のミングの廃棄された要塞を再び修繕してポルトガルの要塞にしようとイエズス会士が言いだしたことに、確かヴァリニャーノ師は目くじらを立てて反対したという話を聞いたことを思い出した。

「しかしマカオでは」

 と、私はそのこと手短にレオン師に告げた。レオン師は笑っていた。

「それは、明に対するポルトガルの要塞をと言いだしたから、ヴァリニャーノ神父様パードレ・ヴァリニャーノもお怒りになったのでしょう。我われもここに日本に対するポルトガルの要塞を築くのではありません。ポルトガルという国ではなく、あくまで教会とイエズス会を守るための扉の鍵です」

「守るって、何から守るのですか?」

「そうですね。その話からすることにしましょう。今やこの日本という国は、一つの国ではありません」

 私は初めて聞くその事実に、目を見張った。あまりに私が過剰に反応したので、レオン師は慌てて打ち消した。

「いえ、そこまで言うと言い過ぎかもしれません。一応はひとつの国ですけれど、現実は小さな国が集まっているといってもいい。かつてはミヤコ公方様クボーサマという人がいて、この日本の国全体を治めていましたけれど、今はいません。それぞれの領主がそれぞれの領地を治めている、そんな小さな王国の集合体にすぎないのです、今の日本は」

 ポルトガルをはじめとしてこれまで通過してきた国々は国としてまとまっていたので、どうもよく分からなかった。あえて自分の頭中で結びつけようとしたのが、ゴアのあるインジャもそれぞれの地域の王たちが互いに争って自分の領土を広げようとしていたし、ほかならぬ自分の故国の近辺でさえイタリア半島にあったイタリア王国という国はすでになく、ナポリ王国と自分の生まれた教皇領、そしてヴェネチア共和国などに分かれ、さらに神聖ローマ帝国に組み込まれた北部の部分は、同帝国が弱体化した今やそれぞれの領主が半独立状態で互いに争っている。ちょうどそれと同じかと考えれば理解も早かった。

「ただ、国内が領主たちに分割統治されているというだけならいいのですが、その領主たちは自分の領地拡張のために、常にお互いに戦争をしているのです。戦争ばかりです。はっきりいって内戦状態なのです。実際に、この長崎のあたりは大村殿オームラ・ドノといわれる殿トノの領地ですが」

「トノ」というのは、領主という意味の日本語である。

「でも、大村殿は佐賀という町の殿の竜造寺リューゾージ殿・ドノと戦争の最中にあります。実際これまでも竜造寺殿の兵がこの長崎を攻めてきたこともあります。だから、教会を守るためには要塞化も必要なのです」

「そういうことですか」

 一応そう答えたが、自分としては分かったような分からないようなというのが正直なところだった。レオン師は、まだ話を続けた。

「つまりこの国はそういう特殊な事情がありますから、福音宣教の方法も特殊にならざるを得ません。いや、むしろこの状況をうまく利用することです。それが多くの人の魂をも救うことになって『天主デウス』のみ意にもかなうことになる。いや、むしろそのために、この状況は『天主デウス』が仕組まれたのかもしれません」

「状況を利用…」

 利用という言葉はあまり好きではないが、あくまで「うまく」利用するのだということなのだろうと自分を納得させた。

「で、特殊な福音宣教とはなんでしょう? それに、利用するとはどういうことです?」

「この国では国を挙げて他国と戦争をしているわけではなく、さっきも言いましたように国の中での領主同士が覇権を競って戦争をしているのです。ですから、一般民衆に教えを広めるよりも、まずは殿たちトノスに教えを説いて、殿を信徒クリスタンにしてしまう。そうなると実に多くの民衆がそれに倣って洗礼を志願します。つまりシマ・パラ・バイショ( ト ッ プ ダ ウ ン )というやり方です。それがこの国での布教の方針です」

 なるほど…と、思う。

「この国の情勢、特にその特定地域の状況は刻一刻と変化します。今、この国は内乱の渦の中にあります。あっちこっちで暴動や戦争が繰り広げられています。昨日の状況に基づいて動こうとしたら、今日はもう様相が一変しているなどということはざらですよ。ずっと平和だった地方が、翌日には戦乱の真っ只中なんてこともよくあります。実に不安定なんですね。それだけに、情勢の変化を素早く見極めてそれに沿った対応をすることが、この国での福音宣教にとっていちばん大事なことなんです。だから、たくさんの殿トノと知り合いになっておく必要があるのです。あなたも、これからたくさんの殿たちトノスにお会いいただくことになると思いますよ」

 レオン師はそう言って明るく笑った。

「あのう、この国のたくさんの殿のうち、いちばん強いのは?」

 レオン師は少し考えてから、目を挙げた。

ミヤコの近くの安土アヅチの殿、信長ノブナガ殿・ドノが今や多くの殿をその配下に入れて勢力を伸ばし、日本全国をその手に治めつつあります。まだこの近くまでは及んでいませんけれどね」

「その信長殿というのは洗礼を受けそうなのですか?」

「私は都の方面のことはよく分からないのですが、どうにもなかなか難しい殿のようです」

「そうですか」

 うまい方法とはいっても、いろいろと問題点もあるのだろう。そこには、霊的なお邪魔というものが入ることも十分に考えられる。また、私が日本の来る前に抱いていた福音宣教というもののイメージとも、微妙に違うような気もする。

「では、この地の殿の大村殿は?」

「大村殿はとっくに信徒クリスタンです。霊名をバルトロメウといって、我われの友人です。あくまで領主としては、この国で最初に洗礼を受けた殿と言ってもいい。ですから、この長崎を我われイエズス会に寄進してくださった。つまり、このあたり一帯では、今やイエズス会が殿トノです」

 それは、長崎の所有権が認められているということなのか。それならば、条件はマカオと同じなのではないかと私は考えた。これは初めて聞く話で、驚きだった。しかし、町の様子を見るにつけ、どうしてもマカオと同じ状況のようには思えない。

「まあ、それはつい数か月前の話ですからね。しかもマカオと違ってポルトガル人の居住権を与えられただけというわけでもありませんし、同時にポルトガルの海外県になるということもないでしょう。この土地が寄進されたのはポルトガルという国に対してではなく、あくまでイエズス会という一修道会に対してですからね。この地方一体が大村殿の領有する領地であることは変わりないけれど、この教会の土地は、町の人びとが自分の家の土地を所有しているのと同じようにイエズス会の私有地になったということです」

 私有地ならばその長崎の町をゆっくりこの目で見たいと、私はその時強く思った。

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