Capitolo 2 九州横断(Attraversando Kyushu)

Episodio 1 異国の町で(Nagasaki)

1

 船は左右にいくつかの小島を見ながら、ゆっくりと大きな湾へと入っていった。どうもこの国の地形は複雑なようで、海岸線も単調ではなく入り組んでいる。湾の入り口は狭いので、中へ入ったらまるで海というよりも湖のようだった。

 湾の左側には海岸からすぐのところにちょっとした小高い山があり、右手もいくつかの丘が連なる丘陵地帯だ。海から平地を経ずにすぐに緑の丘陵は始まっている。それらのすべてが夏の暑い日差しの中で輝いていた。

 船はその右手の一角に近づいていく。船の中のほとんどの人が甲板に出て、その光景をじっと見ていた。

 もう、この先はない。

 ローマを離れてから約二年半、私の旅もようやく終着点にたどり着こうとしている。しかし、そのような安ど感を覚えている暇はない。私の本当の意味での旅は、今ここから始まるのだ。


 船が近づくにつれて、集落が見えてきた。周りよりもちょっと高い丘の麓から高台が細長い岬となって海へと延びており、その岬の上に集落があった。どれも木でできているようで、あまり立派な建物ではなかった。大きさは同じでもマカオの石と白い壁の民家に比べると、どうしても粗末に感じてしまう。しかし、それ以前のモサンビーキやゴアの民家に比べると整然として気品が感じられた。

 岬の先端はちょっとした丘となっていて、松で覆われたその丘の上に少し大きい建物の屋根が見えた。その三角の屋根の先端に十字架が見えたような気がした。

 印象的だったのは、その岬の先端の高台の麓の周囲で今盛んに工事が行われているようで、ほとんど全裸に近い土木作業員の群れが石や土を運んでいる姿が蟻のように見えた。

 その岬の向こう側に、船はゆっくりと進んでいく。そこが長崎の港のようだ。だが、その周りにも、集落の周囲にも城壁らしきものは一切見えなかった。集落が途切れると、そのまま山になっている。

 港には小さな桟橋が数本海に突き出て入るが、この大きな船が接舷できるような設備はなさそうだった。その桟橋からは小さなバルカ(ボート)が無数、こちらに向かって来るべく待機している。

 港にはポルトガル人の商人らしき人も大勢出迎えに来ていてこちらに向かって歓声と共に盛んに手を振っているし、この船からも人びとは手を振り返して喜びの一斉に叫びをあげていた。港の人たちの中には聖職者らしき集団も見えたが、私にとって懐かしくも慕い続けていた師の姿を探すにはまだ距離がありすぎて、顔を判別できるまでには至っていなかった。

 船は止まり、碇が降ろされた。それが合図であるかのようにバルカが一斉にこの船に向かってやってくる。それに乗って我われは上陸するようだ。

 いったんは船室に戻って、我われはそれぞれの荷物を準備した。自分たちの荷物のほかに、私はゴアでヌーノ・ロドリゲス師から託されたヴァリニャーノ師宛ての書簡や書類の入った木箱を抱えていた。他の司祭たちにも、同じような大きな木箱を抱えている人がいた。やはりそれらはポルトガルやゴアから積み込んだ、この地の司祭たちに宛てた書簡や書類などだそうだ。この木箱によってのみ、この地の人びとは遠い故国の消息などを知ることになる。それをもたらしているのが我われだというのも鼻がこそばゆい気もするが、船から降りた瞬間に自分たちもその「この地の人びと」の一員になるのである。

 やがて我われが船から乗り換えたバルカが港へと近づき、上陸の時を迎えた。

 

 港で出迎えていたのは聖職者ばかりではなく、ポルトガルの商人たちやこの地の商人と思われるいでたちの人びともいた。その服装は、マカオの現地の商人とは少し違うが、だいたい似たようなものに思われた。この国の人びとの顔は、チーナの人びとと全く同じであった。ほかに、武器を持って警備しているような感じの兵士たちの姿もあった。彼らはエウローパの騎士と同じような甲冑を着けているが、かなり簡略化されたものだった。

 私がすぐに気付いた特徴は、この国の人々の髪形だった。女はそのまま長い髪を伸ばしているが、男は皆やはり長く伸ばした髪を後ろの上の方で束ねている。チーナの人々も似たような感じであったが、形は少し違う。そしてこの国独特のこととして、そうして髪を束ねた上で、頭の上部を額から続く形で剃ってしまっている人もときどき見かけた。

 それが話には聞いていたいわゆる武士サムライというものらしかった。人混みの中では、武士サムライの姿は数えるほどしかいなかった。

 そんな人々の中で、我われの姿を見つけて聖職者たちが相好を崩して歩みよってきた。その中に、まぎれもなくヴァリニャーノ師の姿があった。しばらく見ない間に、貫録がついたように思われた。

 私は真っ先に駆け寄りたかったが、昔の教官と神学生ではない。イエズス会総長代行の巡察師と新米の司祭である。そこで遠慮していると、ヴァリニャーノ師の方も日本からマカオへ出向いて叙階を受け、そして戻ってきた新司祭たちと真っ先に握手を交わし、あるいはアブラッチ( ハ グ )を繰り返していた。

 私はまるで、順番を待つような気持ちだった。当然、私が最後である。だが、師はそれぞれの人と募る話があるようで、私の順番はなかなか回って来なかった。最初は笑顔で再会を喜んでいた様子の師だったが、時には話の内容によってだろうか顔を曇らせているようにも見えた。我われの周りでは、商人たちがその積み荷を船から降ろす作業で、大賑わいになっていた。

 ようやく、私の番が来た。

「おお、よく来たね。待っていたよ」

 そう声をかけてくれた師は、私とは握手のみだった。私は胸が詰まって、なかなか言葉が出なかった。しかも、久しぶりに耳にするイタリア語である。

「いろいろとご配慮いただいたようで」

 私も久しぶりに母国の言葉でやっとそれだけ言った。今では頭の中の思考でさえポルトガル語で考えるほどにまでなってしまっていたから、母国語の響きは懐かしかった。

「あの神学生が今では司祭だね。立派になった。前に会った時はまだ少年の面影があったけどね」

「まだまだ、今でも若輩者です」

 そう言う師もかつてはまだ青年の面影があったのが、今では四十代になっているはずだ。

 そこに迎えに来てくれていた何人かの聖職者のうち、私とほぼ同年代かと思われる司祭が大きな声で、

「こんなところで立ち話もなんですから、とりあえず教会に行きましょう」

 と言い、皆歩きだした。その言葉に私の思考言語はまたもやポルトガル語に引き戻されてしまった。

 ヴァリニャーノ師はもう、他の司祭たちと話しこみながら歩いている。それについていく形で、私は一人で木箱を抱えて歩いていた。夢にまで見たほどの師との再会なのに、なんだかあっけない感じがした。

 

 教会は船着き場の右手に見える丘の上だという。そこが岬の先端だということだ。先ほど船の上から見た十字架のある三角屋根が、やはり教会だったのだ。そこに向かう道は軽い坂道となっていった。丘の麓までが町となっていて、丘は全体が緑の木々で覆われていた。船の上から見えたのと同じように、木々の間で人足たちがしきりに土木工事をしていた。工事の現場は岬の足元をぐるりと取り囲むように続いており、かなり大規模な工事のようだった。

 やがて丘の上に着いた。建物があった。それが「聖パウロ教会」だとは聞いていたが、自分が想像していた教会の印象とはかけ離れた建物がそこにはあった。規模こそ大きいが、どう見ても木で造られたこの国独自の文化様式の建てものである。屋根は黒い瓦で覆われていた。柱も壁も、何ら彩色のない自然のままの木地であったから、茶色い建物に見えた。岬の先端に近い部分だけが二階建てとなっていて、そこの屋根は三角珪が四つ合わさった形で、その上にそびえる十字架だけがこの建物が教会であるということを示していた。その十字架の上にも周囲の木々が梢を伸ばして緑の葉を茂らせ、覆いかぶさっている。

 見渡せば、この岬の先端の丘は本当に三方が海に囲まれ、先端と反対側の一旦低地になった岬の上に町がある。町が切れると再びゆるい傾斜となってちょっとした山となり、その山の向こうには結構高いが緑の木々に覆われた山がそびえている。平らな土地は非常に狭く、町が切れても斜面の上の方まで坂道で登る形で民家が点在していた。民家は壁も柱も屋根もすべて木でできており、屋根は木の板なので、飛ばないようにか大きな石がいくつも乗せてあった。

 小高い山の麓あたりには木々の中に大きな瓦屋根があり、遠目にも明らかに民家ではないということは分かった。

 私は教会の建物に入る前に、そばにいた例の皆を誘導した同年輩の司祭にその大屋根について聞いてみた。

「ああ、あれですか。あれは悪魔崇拝の寺院ですよ」

 彼は苦笑しながらもさらりと言うが、私はギョッとした。悪魔崇拝の場所が、教会とこんな至近距離にあるのかという事実に驚いたのだ。

 教会の入り口にを入ると、そこで靴を脱ぐように言われた。予備知識として日本では家屋に入る時は靴を脱ぐのだと聞いてはいたが、実際にここで靴を脱ぐまではどうも実感がわかずにいた。しかも、まさか教会までもがそうなのだとは思っていなかった。

 建物の内部は一段高くなっており、木の廊下を進むと部屋があった。部屋にはタタミと呼ばれるタッペイティノ( マ ッ ト )が部屋中に敷き詰められていた。原料は乾燥した草のようで薄茶色だった。だが、畳を敷かれているのは上等な部屋だけのようで、木の板張りの床の部屋も多かった。

 部屋に壁は一方にしかなく、あとの三方は横引きのドアだけで仕切られており、全部明けてしまうと柱だけになる。ドアは驚いたことに、紙でできていた。風通しのためにそのドアは開けられており、外の廊下の向こうは壁も何もなくそのまま庭だった。

 庭の木々の向こうの眼下には海が見えた。海とはいってもかなり入り組んだ地形である。岬の先端に向かって右も左も入り江であり、その向こうは山だ。正面もまた大きな湾となっていて、ここからは外海の水平線などは全く見えず、どう見ても湖にしか見えないのはちょうどリスボンの港と同じだった。だが、リスボンの港よりも何もかもスカーラスケールが小さく感じられたが、それだけに繊細な美しさがそこにはあった。対岸には高い山がそびえて湾全体を見下ろしているが、その頂上までもがすべて緑の木々に覆われていた。

 ここでも、岬の丘の麓を囲む工事の現場で働く人足たちの声が間近に聞こえてきていた。

 しばらくくつろいでから、聖堂で到着の祈りを捧げることになり、皆で一度靴を履いて、同じ建物内にある聖堂の方へと外側から回り込んだ。なんと聖堂までもが靴を脱いであがり、床にはここでもタタミが敷かれていた。。ただ、正面の祭壇は紛れもなく教会であり、祭壇の上には簡素な十字架と木彫りの聖画が飾られていた。

 私は畳の上に立って祈りを捧げているうちに、また暑いものがこみ上げてきた。いよいよここが到達点なのだ。今までのような通過点とはわけが違う。そしてさらに、これまではゴアやマカオはともかく、未開のモサンビーキでさえ教会の中はポルトガルがそのまま引っ越してきたように何の違和感も異国感もなかった。ポルトガルの建物がそのまま移築されたのではないかと思うほどだった。寝起きした司祭館とてまたそうであった。

 だが、いよいよこの国では違う。教会でさえこの国の様式の建築だし、これから寝泊まりするところもこの国の文化、この国の風習の中で生活することを余儀なくされるようだ。もちろん、食事とて然りだろう。

 そういうことを考えるにつけ、ついに地の果てまで来たかと感慨深く、また自分の使命を思うと身が引き締まる思いだった。

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