戦乙女 Ⅱ
荷馬車の車列の行進は順調だった。
本来、人の足で進むことを前提に作られた山道を荷馬車は器用に走る。
御者は近くの村の者だが、その鮮やかな手並みに感心してしまう。
軍や騎士団で騎兵をしていた経験がある御者が揃っているとのことだ。
より速く、より正確に、ただ走らせるのではなく。馬に負担を掛けずに的確な道を選び、荷馬車を大きく揺らすことはない。
だが、御者の技量を村人達には理解できないらしい。
僕と同じ荷馬車に乗っている者は居眠りしたり、惚けたりしている。
それができるのも、御者が荷馬車を揺らさないように走っているからだ。
相変わらず、道中は平穏そのものだった。
道程は中腹を越え、道はより険しくなっていく。
当然、車列の行進速度は落ちてしまう。何かあるとすれば、ここからだ。
この中腹部は木々や茂みが多く、待ち伏せに向いた地形になっている。
村人が立ち寄ることも少なく、僕らも完全に把握しているわけではない。
へマット高山そのものが、戦乙女の修練所『テンペラ・ブリゼ』の管轄だからということも理由の1つだ。
戦乙女は戦士や傭兵の類であって、狩人や森の番人ではない。
そもそも、訓練で森を探索するというだけで監視や管理をするつもりは初めから無いのだ。
僅かに、違和感があった。
戦乙女の訓練は戦闘や追跡、薬剤調合や薬草の採取だと聞いている。
その多くは森の奥深くで行われるはずだ。
だから、この中腹部には村人も修練所の人間も立ち入ることはない。
山道を通ることはあっても、そこから外れることは無いと言ってもいいだろう。
あまり人が立ち寄らない山道、それにしては折れた木の枝が散乱しているのが不自然のように思えた。
一見、それはどこにでもあるような景観かもしれない。
強風で細枝が折れ、それが落ちた――という筋書きを描くまでもない。
しかし、風で折れたにしては……枝が短すぎる。
それは明らかに『痕跡』だった。
村人か、修練所の人間が山道から逸れたりしたということになる。
だが、道から外れる理由が無い。
この付近には薬草や薬効のある木の実が採れることがあるが、山道よりも森側だ。
つまり、採取が目的ならば「山道を歩く」必要がない。
――ここには、侵入者がいる!
ホルスターに収めたピストーレの撃鉄を起こし、弦を引いたクロスボウにボルトを装填。
警戒を促す合図を送るべく、ポーチから鹿笛を取り出す。
シカの角を削って作った笛を口に咥え、吹こうとした瞬間。
木々の間や茂みに人影があった。武器を手に、こちらの様子を窺っている。
その中の1人が、弓に矢をつがえたように見えた――
荷台から木の板を手に取って盾のように構え、装填済みのクロスボウを村人に持たせる。
ピストーレを手に取り、流れていく景色に意識を集中させる。
茂みから何かが飛び出す。それが何かを理解するよりも早く、反射的に手にしていた木の板に身を隠す。
すると、鈍い音と共に木の板が割れた。荷台に不格好な木製の矢が落ちる。
ピストーレを木や茂みに向かって乱雑に撃ち込んだ。
回転弾倉の中にある弾薬を撃ち尽くし、引き金が虚しい音を立てるまで連射してから、荷台に伏せる。
銃声に驚いている村人を横目に、僕はピストーレに弾薬を再装填。
「敵襲だ!」
僕は大声で叫ぶ。
それに続くように、村人達も声を張り上げた。
御者は馬に鞭を打ち、武器を手にした村人達は臨戦態勢を整える。
体勢は万全——と思いたかった。
だが、木々や茂みから飛び出してきた男たちの野獣のような雄叫びに、村人は明らかに竦んでいた。
楯や斧を手に、姿を晒したのは野盗。
全身が痣だらけで、衣類や装備はボロボロ。見るからに話し合いが通じる相手ではなかった。
野党は僕達を追い立てるように走って追いかけてくる。
当然、荷馬車に追いつけるわけがない。
しかし、飛んでくる矢については別問題だ。
射手は車列に対して、様々な方向から攻撃してきた。
初撃は後方からだったが、続々と木々の隙間や木の上部から馬や荷馬車を目掛けて矢を射ってくる。
それに対して、僕は後方を含めて様々な方向に「当てずっぽう」にクロスボウや弓矢で射返すだけだ。
拳銃を乱射しても、貴重な弾薬を浪費してしまうことになる。
彼らがどんな目的で、どこまで追いかけてくるのかがわからない。
最悪の事態をどれだけ避けられるか、予想もできなかった。
「クソ、このままだとみんな殺されちまう……」
隣でクロスボウを構えている村人が弱音を吐く。
たしかに状況はとても悪い。
まだ、最悪とは言えないのも事実だ。
姿勢を低くし、飛んでくる矢から身を隠していると荷馬車が大きく揺れた。
馬の嘶きが辺りに響き渡り、僕と護衛の村人は荷馬車から転げ落ちてしまう。
荷台から落ちる直前、馬に飛び掛かる野盗の姿が視界に映った。
踏みならされた土の上で受け身を取り、不安定な姿勢のまま
寝転がった姿勢で、荷馬車に飛び乗った野盗の男に狙いを定め——引き金を引く。
発砲、発射炎。銃声が轟き、銃口から火薬の匂いと共に硝煙が立ち上る。
荷馬車の馬に跨っていた野盗がバランスを崩して落ちた。銃弾が命中したらしい。
そのまま遠ざかっていく荷馬車、とりあえず車列を守ることはできた。
少なくとも、もうしばらくすれば戦乙女たちの領域だ。彼女たちも加勢してくれるだろう。
「いてて……まいったな、こりゃあ」
身体をさすりながら起き上がる村人。
ピスト―レを手にしたまま、僕も立ち上がる。
そして、周囲は野盗たちによって包囲されていた。
自分の武器に舌を這わす者、舌なめずりする者、薄気味悪い笑みを浮かべながら弓矢を構える者等、様々だ。
——当然、そうなるよね……
僕はピストーレをホルスターに戻し、体勢を整える。
すると、荒くれ者たちの中から1人が歩み出た。
「なあ、ニイちゃんよ。その火薬筒とベルトを外しちゃあくれねえか?」
男は野盗の中でも身なりが整っている印象を受ける。
だが、それは「野盗にしては」というだけで、来ている革製のジャケットはボロボロでほつれていた。
野党の1人が、村人から何かを奪う。それは僕が村人に預けた軍用のクロスボウと鉄製ボルトが山ほど入った矢筒だった。
武器を取り上げられた村人はすっかり怯えてしまっている。震えて歯をカチカチと鳴らしながら、涙目で僕の方を見ていた。
「命までは奪わねえ、その代わりに身ぐるみ全部剥がさせてもらうがな。オレたちが食っていくためによ」
別の野盗が僕にじりじりと近寄ってくる。
手斧を構えながら、僕の装備に手を伸ばそうとしていた。
野党の男たちの下卑た笑い声。
おそらく、最悪な状況の1つなのは間違いない——だが、まだ「最悪」に転がり切ってはいない。
笑い声に交じって、遠くから馬の蹄の音が聞こえる。
それは、僕にとって吉兆だ。
やはり、「最悪」なんかじゃなかった。
蹄の音は間違いなく近付いてきている。
そして、野盗たちも「それ」に気付いたようだった。
――やるなら、今だ。
僕は目の前にいる野盗の男から後退りながら、ホルスターに手を伸ばす。
周囲に視線を巡らせ、脅威になりそうな標的を見定める。
弓矢を持っている者、長い得物を構えている者、見るからに素早そうな者、立ち位置の関係性……
5発の銃弾で脅威を排除する。それは簡単なことではない――
指がピストーレのグリップに触れるより先に、僕の後方から甲高い銃声が聞こえる。
それは小銃特有の、低く伸びるような音だった――
その銃声とほとんど同時に、弓矢を持った野盗の額に風穴が空く。
振り返らずとも、誰が撃ったのかはわかった。
彼なら、僕に合わせてくれる――!
ピストーレを引き抜き、腰だめで構える。
左手の平で撃鉄を起こし、引き金を引く。予定していた標的に向けて発砲。
連射で銃弾を撃ち込む間にも、小銃の射撃でばたばたと野盗たちは倒れていく。
蹄の音が真後ろに迫ってくる頃には、野盗達は背を向けて逃げ出していた。
その情けない背中に向けて、馬に乗ったガペラが小銃を撃ち込む。
甲高い銃声と共に、逃げ遅れた野盗の1人が倒れた。
「なんだ、ヤツらは……」
「……不親切で好ましくない人達なのは間違いないよ」
拳銃の回転弾倉から空薬莢を取り出しつつ、僕は野盗達の行く先を目で追う。
この付近の森はとても深い。地形の隆起も激しくて、簡単に自分の位置や方角を見失ってしまうだろう。
「――あ、ありがとう……ガペラさん!」
村人は起き上がり、馬に乗ったままのガペラに頭を下げる。
一方、ガペラは小銃に弾薬を装填しながら周囲を警戒していた。
僕はピストーレに弾を込めてから、ガペラに質問を投げる。
「車列は?」
「もう頂上に着いた。だから迎えに来たんだ」
献納品を乗せた荷馬車は無事に『テンペラ・ブリゼ』に届けられたらしい。
これで、僕らの仕事はほぼ終わったことになる。
だが、「僕」の仕事は終わっていない――
「――2人は戻ってて、僕はヤツらを追跡してみる」
撃退したから、この山道は安全になるというわけではない。
原因を残したまま放置しても、それは解決したことにはならない。
『原因』を除去する。それをするには適切な方法を模索する必要があった。
だからこそ、あの野盗たちがどれだけの規模なのか、どれくらいの物資があるのか、そうしたことを探ることが重要だ。
さすがにテンペラ・ブリゼを襲うようなことはしないとは思うが、このまま村まで降りてこられても困る。
対処法を考えるためにも、彼らの拠点を探し出す必要があるだろう。
「……わかった。無理するんじゃないぞ」
複数人で追跡すると察知されてしまう。 その点をガペラは理解しているはずだ。
そもそも、僕に追跡を教えたのはガペラ本人なのだから――
ガペラは村人を馬に乗せ、そのまま山道を駆け上がっていく。
僕はそれを見送ってから、野盗たちが残した痕跡を辿る。
死体とその先に連なる無数の足跡。
それを追っていくのは難しくないだろう。
追跡していく過程で、相手がどれだけ手練れなのかもわかるはずだ。
気配を消し、足音を立てないようにして森の中に踏み込む。
少なくとも、僕1人だけならどうにでもなる。
この時は、そう思っていた――――
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