ぼくの仕事のこと Ⅰ

 どこで居眠りしようかと思案しながら空を仰いでいると、どこからか声が聞こえてきた。


 ふと、周囲を見回すとこちらに向かってくる男の姿が見える。

 駆け寄ってくる男は農夫のようだ。僕の目の前で立ち止まると、ゼイゼイと息を切らしながら汗を拭っていた。



「どうしました? ブーモさん」

 農夫は目の前で息を整えながら、顔を上げる。

 顔や腕に雫ができるほどの汗を流しつつも、言葉を紡ぎ出した。


「ガペラさんは、おるか!?」

 農夫のブーモさんは顔中から汗の雫を滴らせている。

 一体、どこから走ってきたのだろうか。

 

 

 僕は首を横に振ってから答える。

「起きた時にはもういませんでしたよ」


「そうか……」

 ブーモさんはがっくりと両肩を落とし、項垂れてしまう。

 大きな溜息を吐いて、僕に背を向けようとした。



「もしよければ、話を聞かせてもらえませんか?」

 僕の育ての親である〈ガペラ〉に用があるということは、狩人としての仕事だろう。

 そうでなければ、口先で解決する事柄だ。場合によっては僕でも解決できるかもしれない。



 すると、ブーモは事の次第を話し始める。


 彼はいつも通りに起床し、妻や子に声を掛けてから、自分が管理する麦畑に向かった。

 アナフング村では小規模な田畑を作っている。彼もその1つを任されていた。


 まだ陽の昇りきらない早朝。自分の畑に辿り着くと、無残にも踏み荒らされていたらしい。

 周囲を見回しても、そのように荒らされていた畑は自分だけだったようだ。


 彼はその後、同じ麦畑に関与している仲間に聞いて回ったり、自分で調査したものの、犯人を捜す手掛かりを掴めなかった。



 そして、村で唯一の狩人。一級の追跡者である〈ガペラ〉に頼むしかない。

 ブーモはまたもや村中を駆け回り、結果的に僕らの家までやってきたということだった。



「トルム、頼めるか?」


 以前、納屋に貯蔵していた野菜や果実が盗まれていたことを調査したことがあった。

 僕1人で痕跡を発見し、そのまま犯人の特定に至っている。

 だから、こうした事件を調査すること自体は珍しくない。



「わかりました。では、畑を見てみましょう」

「おおッ、ありがとう……!」


 早速、僕とブーモさんは問題の麦畑へと向かう。

 山の反対側、村の南に麦畑の黄金色が広がっている。


 そこに辿り付くと、一目でブーモの麦畑がわかった。

 意図的に踏み荒らしながら横断したように、麦穂が倒れている。


 まだ収穫の時期には早く、麦穂は垂れてはいない。

 だが、彼の麦は無残にも倒れていたのだ。ここ最近は突風も無ければ、獣害も無い。

 それなのに、無残にも麦畑は荒らされてしまっていた。



 思わず絶句してしまう。

 その荒らされた様子はどうみても故意にしか見えない。これほどの被害ではブーモの家計が苦しくなるのは想像に難しくないだろう。


「これは……酷い」


 麦はアナフング村の大きな収益の1つだ。

 質の高い小麦と大評判で、かなり高値で取引してもらえている。

 麦畑だけが収入源であるブーモにとって、脚を切り落とされたのと同じことだ。


 

「やったヤツを捕まえてくれるか?」


「……探してみましょう」


 ブーモが誰かの恨みを買うことはほとんどありえない。

 麦畑に関わっている農夫の中でも、ブーモほど熱心で律儀な男はいないだろう。

 虫や獣で被害が出た時は真っ先に畑に駆けつけ、他人の麦ですらも守ってしまうような男だ。


 ――なら、犯人は誰なのだろうか?


 周囲を見回してみても、彼の畑だけが被害を受けているということが不自然に思える。

 そして、遠目からでもはっきりわかるほどに深い足跡が刻まれていた。


 麦畑に踏入り、深く刻まれた足跡を調べてみることにした。

 最近はそんなに雨が降ってなかった。土は適度に湿った状態であったが、それでも足跡は深すぎる。

 一方、自分の足跡は軽く残る程度だった。



「足跡の大きさは大体30サンチ、深さは15サンチ……かなり体格が大きく、体重もけっこうあるようだ」 

 

「昨晩はそんなに冷えてなかったな、土が酷く湿気ることはないはずだぞ」

 すぐ後ろにいたブーモが言い放つ。

 麦畑の外側、踏み固められた道路から僕の背中を追っていたらしい。


「……だとしたら、犯行は日没から深夜。少なくとも、太陽が頭を出すより前になりますよね」

「少なくとも、朝一番で来るのはオイラくらいなもんだ。だから、他の農夫の足跡じゃねえぞ」


 他の農夫という疑惑が消えた以上、足跡の正体はかなり限定できるはずだ。

 だが、時間帯的には誰でも立ち寄る可能性がある。

 

この村には軍や騎士団は駐留せず、自警団といった自治組織も存在しない。

 誰かが監視をしているわけではない。

 だから、誰でも立ち寄ることが出来てしまう。


 

 ――今は痕跡に集中しよう。


 足跡を辿ってみると、どこか不思議に思えた。

 足取りはとても不規則。途中で転んだらしく、手の痕もはっきり残っている。

 よろけて、そのまま横に倒れた際に麦穂を巻き込んでしまったようだ。


 柔らかい土の上を歩くことに慣れてないというより、そもそも安定して歩けていなかった可能性がある。

 その足跡を辿っていくと、麦畑の反対側に出てしまった。


「足跡は畑を横断している。転んだ回数は4回、いずれもよろけて横に倒れてしまったような感じだ。手と腕の形がはっきり残っている」


 そのまま畑を出て、反対側の舗装された道に立って見回してみるが、痕跡は見つけられそうにない。

 足や靴に付着した土が乾いてしまうと、いとも簡単に風に攫われてしまう。

 それが踏み固められた道路であれば尚更だ。


「土や泥が道に残っているのを期待したけど、そう簡単にはいかないか……」



 しかし、横断したということは何か意味があるはずだ。

 単に踏み荒らすだけなら横断する必要は無い。適当に歩き回って、適当に出ればいい。

 そうでないということは、何かしらの意図があるということになる。


 

 振り返り、改めて麦畑を見回してみる。

 すると、道路の脇にブーツが落ちているのを発見。


 鉄のプレートが入っているブーツ。兵士が使うような代物のように思える。

 とてもボロボロで、所属や身分がわかるような状態ではなかった。

 穴だらけで、あちこちに血が染みついている。これを履いていた人物は負傷しているのは間違いなさそうだ。


 通りすがりの兵士が捨てていった可能性もあったが、位置的に主要な道路からはかなり離れている。

 それに、軍がアナフング村を通り過ぎることはあっても留まることはあり得ない。

  

 どこかの兵士が略奪するために近付いたとは考えにくい。

 村の周囲はほとんどが街道で見晴らしが良く、身を隠せる森は村を通り抜けた先の山道を進まなければならない。


 しかし、話がどのように転がろうと、このブーツを村人に発見されるわけにはいかない。

 アナフング村は軍や騎士団が駐留できないように領主に守ってもらっている。経済的自治権というのを認めてもらったからだ。

 だからこそ、この村はいい加減な徴収と横暴に晒されていない。

 村人達がのびのびと生活しているのはそのおかげだ。


 だが、このブーツのことが明るみになれば、村人達は軍の足音に怯える日々を過ごさなければならない。

 迫り来るのは戦火か、略奪か、いつやってくるかわからない惨劇に怯えて生活することになる。


 

 僕は拾い上げたブーツを麦畑の外側にある草むらに放り投げた。

 草丈はかなり高く、青も濃い。そう簡単に探し出すことはできないはずだ。




  

 僕は改めて、麦畑を見回す。

 黄金色の麦穂が風に吹かれて、さらりと揺れる。

 村の生命線、農夫の誇りでもある麦。それを傷付けた犯人は、一体何者なのだろうか。


 

「やれやれ、厄介なことになりそうだ」


 軍靴、不自然な足跡、横断した痕跡。

 これらがどんな意味を持つのか、僕には少しも想像できていなかった――

 


 

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