26 荒療治、自己治療
◆◆◆
説得を開始して暫し。トーシェに変化の兆しは見られない。
次第に巻き付いたトーシェの力が強くなり、俺の腕からぶちり、と嫌な音がした。圧迫によって、筋肉の一部がねじ切られた音だ。思わず顔をしかめる。
「ヴェイグ様!」
ウーハンが悲鳴を上げた瞬間、後ろに軽く突き飛ばされた。
俺の腕にトーシェの一部が残ったまま、引かれる力が失せていた。
起き上がると、目の前にはアルハが立っており、その手には緑色の一部が握られている。
ちらり、とこちらを向いたアルハの瞳は、金色になっていた。
「これ以上見てられなかった」
感情を失くしたような、抑揚のない口調。
手にした緑色を無造作に落とすと、コマに近づいて屈み込み、残っているトーシェに触れた。
「離れろ。僕はヴェイグと違って優しくない」
常のアルハとは違う、硬く冷たい声だ。有無を言わさぬ迫力に、俺も、ウーハンも言葉を失っている。コマは前足で両目を覆い、地に伏せて震えている。
トーシェの方は、俺が対話を試みているときと同様、言葉が通じているのかすら怪しい。
ちぎれた部分を伸ばし、アルハの腕に巻き付こうとする。
「大人しくしろ」
アルハが伸びてきたトーシェの一部に手をかざすと、動きが止まった。
そのまま、全く動かなくなる。
アルハからは竜の威圧に似た何かが発せられている。トーシェはそれを受けて、動けないようだ。
「ウーハン、こいつ、いつもこんな感じ?」
アルハに問われ、ウーハンは丸まった毛の殆どをまっすぐに伸ばした。
「い、いえっ、いつもは日陰で大人しくしてるんですけど……」
「精霊って魔物になったりする?」
アルハならば、気配を読むだけで魔物かどうか判別することができる。
それを尋ねるということは、スキルは使えぬままのようだ。
では、あの力は、瞳は、一体どういうことだ?
「魔物に、なることもありますけど……この子はそうじゃないっていうか……」
「ヴェイグ、精霊って殺してもいいの?」
今度は俺に、アルハらしからぬことを聞いてくる。
「それより、アルハ。本当にアルハか?」
アルハがこちらに振り返った。
この世界に来てから、何度もアルハの顔を正面から見ている。他のものが言う通り、常に笑みを絶やさない、見ていて安心する顔だった。
今は、笑みが消えている。
金色に染まった瞳に目が吸い込まれそうだ。
「僕は、アルハだ」
そう言いながら、悔しそうに顔を歪めた。
「でもヴェイグがそう言うなら、違うかもしれない」
頭を振り、嘆息し、目を閉じて……次に開いた時、瞳の色は黒に戻っていた。
「やっぱり、あんまり使うもんじゃないね」
雰囲気が、いつものアルハに戻った。
立ち上がり、コマとトーシェから離れると、数歩先で再び胡座をかく。
「ごめん。今度こそ大人しくしてる」
そう言って俯き、それきり、この世界にいる間中、一言も発さなかった。
「先程アルハも言っていたが、トーシェが魔物になった可能性は」
「わかんないです。心当たりもなくて。でも、こんなに強情な精霊は初めて見ます」
腕を自分で治しつつ、トーシェから距離をとってウーハンに確認する。
必然的にコマとも離れてしまうが、コマのほうは腹ばいのままだが頭を上げ、前足を舐めている。だいぶ落ち着いたようだ。
「しかし、こう話が通じぬと、どうしようもないな」
尚も俺に向かってどこかの部位を伸ばしてくるトーシェを手で抑えながら、考える。
「ヴェイグ様が言い聞かせてくれたら、コマから離れると思ったんですけど」
「説得を続けるしかないか」
気を取り直して、再びトーシェに近づく。
前足を舐めていたコマが顔を上げて、俺を見た。
「ヴェイグ様、ごめんなさい」
突然、そんなことを言い出した。
「何を謝っている?」
コマはトーシェをまとわりつかせながら、立ち上がった。
「おれがこいつを自力で引き剥がせないから、ごめいわくをおかけして」
「無理をするな。こういう事態に対処するのも、召喚者の役目だ」
召喚者と精霊は、主従関係だ。従者は主に仕えるものだが、主は従者の報いに応えるものだ。
しかし、コマはふるふると首を振った。
「おれが甘えすぎてました。マリノ様とヴェイグ様ならなんとかしてくれるって。でもこいつは、トーシェはおれの心に巣食ってるんです。だから、おれがじぶんでなんとかしないと」
コマは唸り声を上げ、魔力を集めだした。
「魔力で弾くのか。それなら、手助けできるな」
「だいじょ……あ、やっぱりすこしだけください」
強がろうとしたコマだが、トーシェの部分が上半身をも侵食し始めると、素直に助力を請うてきた。
コマの額に手を当て、魔力を流し込む。
召喚者のいる精霊が持てる魔力の量は、召喚者に依る。コマはマリノが召喚者だが、今は俺が主とみていいだろう。
四分の一ほど渡すと、コマがもう十分と合図をしてきた。
やがて、十分な魔力により、コマが内側からトーシェの侵食を弾いた。
トーシェは藻玉のようにまとまってコマから離れ落ち、虹色の地面を幾度か跳ねてから止まった。
藻玉から黒い糸が4本、ひょろりと飛び出てくると、そのうちの2本で立ち上がった。
「うう……コマめ、いつもヴェイグ様の側にいやがって……って、ヴェイグ様!?」
何かブツブツとつぶやいたかと思うと、俺を見上げて体をのけぞらせた。
「トーシェ、あんたヴェイグ様に怪我までさせて! 何が『お仕えする』よ!」
「ええっ!?」
ウーハンが毛を何本も振り上げながらトーシェに詰め寄る。そのまま説教が始まった。トーシェは糸を器用に畳んで正座のような姿勢になり、おとなしく聞いている。
「体調はどうだ」
トーシェが飛び出た後、その場に座り込んだコマに声をかける。身体に外傷は見られないが、疲弊している。
「へいきです。ヴェイグ様、ありがとう」
「俺は何もしていない」
「魔力くれたじゃないですか。トーシェをおいだそうとしてくれたから、おれもがんばれたんです。それに……」
少し離れたところでこちらの様子をうかがっているアルハに顔を向ける。
「あのひとも」
そう言って立ち上がり、アルハに近づいた。アルハは胡座のまま、驚いた顔でコマを見る。
「ありがとう。ヴェイグ様、まもってくれた」
アルハは一瞬、目を大きく見開き、それからふっと顔を緩めた。
「……グさん、ヴェイグさん?」
メルノの声に顔を上げ、あたりを見回す。俺の手はマリノの手を握ったままだ。
「戻ってきたのか」
「戻ってきた?」
「後で話す。それより、マリノはもう大丈夫だ」
穏やかな寝息を立てているマリノの首筋に手をあてる。熱は下がっていた。呼吸や脈も正常だ。
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