9 千尋の谷から這い上がったら
「竜は翼で飛ぶのではないぞ」
ラクの声が頭の上から聞こえる。
眼下には地上がはるか遠くに見える絶景。
ヴェイグはさぞご満悦かと思いきや、僕の意思でこうなっているわけじゃないのと、そもそも移動していないのが不満だそうだ。移動手段ソムリエ難しい。
僕は今、ラクに小脇に抱えられて雲より高い場所にいる。
ラクは飛んでいる、というか、浮いている。
必然的に僕の足も地に付いていない。
以前、イーシオンに背負われたのは久しぶりだったけど、小脇に抱えられて運ばれた記憶は無い。
僕が空を飛べないと知ったラクは、突然僕を横から掻っ攫うように抱えた。
抵抗する間もなく、気づいたらこの状況だ。
「まさかと思うけど」
とは言ったものの、どうされるかは想像に難くない。半ば諦めて、手足は脱力してぷらぷらさせている。
「竜の仔はな、幼い頃は飛べぬ。だから親竜が背に乗せて運ぶ」
僕の問いかけを無視して、頭の上から何かの解説が降ってくる。
「ある日親竜は、成長した我が子を背から振り落とすのじゃ」
へぇ、なるほど。
「このようにな」
拘束が解ける。つまり。
「ですよねー!!」
雲の上から真っ逆さまに放り出された。
“無茶苦茶するな、ラクは”
ヴェイグがどこか諦めた、しかもいつもの調子で話す。
「ほんとに。竜が混じってるからって人が何もなしに飛べるわけないのに」
僕も頭から落下しながら諦めがちに、いつもの調子でぼやく。
二人して楽観的なのは、「落ちても平気、ていうか多分落ちない」という、人間離れしているのが当たり前のことであるという思考があるからだ。
本当にいざとなったら、墜落の回避方法はいくらでもある。
スカイダイビングで地上までは数分しかかからないと聞いたことがある。
ヴェイグと駄弁って1分は経過してるはずなのに、地上はまだまだ遠い。
風圧であまり自由にならない身体を無理やりねじって、周囲の様子を観察する。
確かに落ちているのに、その速度は思ったより遅い。
余程の高さから落とされたか、なにか別の力が働いているのかは不明だ。
「できると思う?」
“可不可はさておいて、とりあえず試すのだろう?”
これも定番のやりとりだ。
試す、と言っても、竜としての能力以外で飛んだらラクがまた同じことを繰り返すだろう。
だからスキルは全てオフに。って、これじゃ何もできなくない?
考える。そもそも竜ってなんだろう。
大きくて強くて……あとは、そうだな。
ラクは赤い竜で、人の姿になったら髪が同じ色をしてた。僕が竜の姿になったら黒い竜になるのかな。
“アルハ?”
全身が黒い鱗で覆われていて、角があって、背には翼が生えてて……。
“アルハ!”
牙があって手足に大きな爪があって太い尾があって……。
“一体何が起きている!?”
瞳は……金色だ。
◆◆◆
アルハが一瞬、金眼の黒竜になった気がした。
次の瞬間、アルハは宙にとどまっていた。
考え事に没頭しているらしく、何度呼びかけても、アルハが応答しない。
交代もできない。
“どうしたというのだ”
「……わかった」
そう呟くと、落ちていたときのまま地に向けていた頭を身体ごと起こし、足の方を地に向けた。
「っはぁ。ヴェイグ、何か言ってた?」
いつものアルハのようだ。心の底から安堵する。
“気が遠くなっていたようだから何度か呼びかけた”
「ごめん」
“いつものことだ”
苦笑するしかない。アルハはよく、自分の頭の中でだけ何かを考え、それに夢中になり、周りが見えなくなる。
問題なければ、俺もそれを放っておく。
そうやって何かを思いついたアルハは、面白いことをしてくれるからな。
“それで、何がわかったのだ”
「え?」
“先程、アルハが口にしたことだぞ”
「んん?」
アルハは空中で腕を組み、首を傾げた。
「言ったかもしれない……確かに何かわかったような気がしたのに、覚えてないや」
“それは、今の状態のことに関係あるか?”
「あると思う」
下を向く。地はかなり遠い。
身体に、支えになるようなものはなにもない。スキルは一切発動しておらず、魔法や魔力を使っている様子もない。
本当にただ、宙に浮いている状態だ。
「僕が飛べるのはわかった。でも、理屈の説明はできないんだ」
足は地に立っているときと同様、つま先は地と平行になっている。
“スキルも似たようなものだろう”
アルハに「何故スキルで剣が創れるのか」と訊いても、「創れるから創れる、としか」と曖昧な答えしか返ってこない。
その時のやり取りを思い出したのか、アルハは困ったような顔で少し笑った。
◆◆◆
「あれ? ラクがいない」
飛ぶ練習を兼ねてラクのところへ行こうとすると、気配がなくなっていた。
“離れたということか?”
「いや……ああ、あっちか」
何故か、[気配察知]なしでラクの居場所がわかってしまった。
左手で[異界の扉]を空中に出現させる。扉をくぐると、足が地面についた。空中に出したのに、不思議。
「どうじゃった?」
すぐ目の前にラクがいた。涼しい顔して成果を聞いてくる。
「飛べたよ」
文句を言う気も失せて、結果を簡潔に伝える。
「ならば、また試すか」
竜って、何がどこまでわかるんだろう。
人の中を覗けるのに、僕のことを竜だと勘違いしたり。
今も、多分ヴェイグですら気づいてない僕の変化を目ざとく察知した。
さっきから、力が滾ってて仕方ない。
奥底で燻っていた何かが、目を覚ましたような。
多分これが、身体に混ざった竜の部分なんだろう。
チートとスキルのおかげで、人間と魔物相手なら敵なしだ。
そこに、ラクと出会った。竜は僕より強かった。
上には上がいるなら、もっと強くならなくちゃ。
あれ? 何で強くならなくちゃいけないんだっけ?
「やらんのか?」
ラクが前と同じように、手の甲をこちらに向けて、こいこい、とジェスチャーする。
“気乗りしないのか?”
「そうかも。……ラク、そっちから打ち込んでみて」
「む?」
ラクは一瞬だけ躊躇して、すぐ僕に向かってきた。
前に出しておいた左手めがけて、拳が打ち込まれる。
左手はわずかも動かず、ラクの拳を受け止めた。
「ラク、本気出してよ」
「割と強めに殴ったんじゃがの」
今度は、蹴り。同じく左手で受ける。さっきのより強い……はずなのに。
僕が困惑していると、ラクが一旦離れて呼吸を整えた。
「怪我をさせたら、すまぬ」
踏み込み、当てる拳の繰り出し方、もう片方の腕の振り、身体のひねり方……僕に当たる瞬間に、一番力が乗るように、すべての動きに無駄がなかった。
そのラクの会心の一撃を、僕は難なく受け止めてしまった。
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