1-11-2 ヴェイグの独白と敵わぬ相手

 アルハという男の身体に魂だけ入って、1ヶ月ほどが経った。

 自分で身体を思うように動かせないという事実に戸惑い、憤りを覚えたのは、最初の数日……いや、数時間だけだ。

 中にいる間は食事をする必要がない。生理現象も感じない。身体の主であるアルハがそれらを満たせば事足りる。

 アルハが気を遣って俺を積極的に表に出してくれるが、魔法を使う時以外、その必要すら感じない。


 何より、ここは居心地が良い。


 他人の身体に魂だけが入るなど、通常では考えられない体験だ。それ故、この心地よさを表現する上手い言葉が見つからない。

 体感以外のことで言えば、身体の主がアルハで良かったと、心底思っている。


 初めの頃は、俺の存在や状態について疑われ、警戒された。当然のことだ。俺ならもっと混乱の時間が長かっただろう。

 だが少し話をしただけで、受け入れ、前に進みだした。

 楽観的すぎて、こちらが心配になるほどだ。

 そして俺の不安は、アルハが元いた世界の話を聞き、より増した。


 魔物と戦ったことはおろか、見たことすらないという。


 現実的な生業として冒険者を提案したが、最終的に戦うのは俺であることを想定していた。


 初めてクエストをこなして、俺の心配は消え失せた。

 本人の希望もあり、戦闘を任せてみたのだが、俺から言うことは何もなかった。

 それどころか、かなり強い。本人も驚いていたが、それ以上に、力をあっさりと受け入れ、使いこなすアルハの器に心底感服した。


 アルハはその強さとは裏腹に、普段の言動は大人しい。

 どこかの王族に見習わせたい程、周囲に対して常に紳士的な態度をとっている。

 よく礼儀作法について聞いてくるが、普段のそれで訂正が必要だったことは殆どない。


 前の世界で庶民だったというのは本当だろうか。

 絶対に、只者ではない。



 確信に足る出来事が起きた。



「うわ、ここにもいるんだ…」

 台所で料理をしていたはずのメルノが慌てた様子でアルハの部屋の扉を叩いた。

 話を聞いてみれば、台所にあの黒く、名を口にするのも憚られる、不遜な輩が出たという。

 アルハの第一声が、先程のそれだ。


“アルハの世界にもいたのか!?”

「いたいた。どこでも嫌われるんだね、アイツ」

 アルハはメルノの横をすり抜けて、台所へ向う。確かにアルハの力があれば、あのような輩に負けるはずはない。

“直接対峙するのか?”

「うん。って、そうか。退治するための便利アイテムとかある?」

“いや、思いつかんな”

 メルノにも同じことを聞き、無いと首を振られると、再び歩き出した。

「しょっちゅう出るならスプレー的なものがあってもよさそうなのになぁ」

 何か面妖なことをつぶやきながら、台所で敵を探す。

「……しょっ、と」

 スキルで創った針を、敵の居場所に放った。敵は一撃で壁に縫い留められ、絶命したようだ。

“流石だな。だが、この後どうするのだ”

 触れれば不浄の気に晒されることは間違いない、おぞましい生き物だ。

「いや、普通に外に捨てるけど…拙い?」

“拙くはない、最良の手だ。だが、そのまま…手に取るのか」

「それしかなくない?」

 アルハの手が、そいつに伸びる。あと数寸で触れようとした時、アルハの動きが止まった。


「ヴェイグ、もしかして、ゴキブリ苦手?」

“その名を口にしないでくれ”


 ディセルブの城は古い。昔から、やつの侵略を受け続けてきた。

 魔法で決着をつけようとした時、動きの速さに驚き魔法を暴発させ、城の一角を壊してしまった。

 それでもやつは平然としていたのだ。

 あの時の恐怖を思い出してしまう。


「感覚遮断しとけばいいのに」

“だがアルハが戦っているというのに…”

「大袈裟だなぁ。苦手ならしょうがないよ」

“何故アルハは平気なのだ”

「バイト先でよく見かけて倒してたから。慣れかなぁ。ほら触っちゃうよ、遮断は?」

“……すまん、任せた”


 俺は敗北した。

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