第14話 【ジャングル大帝】SFPエッセイ114
はるか昔、『地獄の黙示録』という映画があって、その中でマーロン・ブランドという俳優がカーツ大佐と呼ばれる役を演じていた。設定はベトナム戦争後期。マーティン・シーン演じる主人公のウィラードは、軍を離脱しジャングルの奥深くに独立国を築いたと思われるカーツ大佐を暗殺するべく川を遡行する。やがて見つけ出したカーツ大佐は、未開の原住民を従えて王となっており、哲学者のようでもあり狂人のようでもある。
恐らくいまのわたしは、世間からカーツ大佐のように思われているのだろう。その証拠に、わたしにはジャングル大帝というニックネームが付けられているらしい。そう知って、わたしは苦笑する。それは『地獄の黙示録』よりもさらに古い、手塚治虫という日本マンガ史上に名をとどろかす巨人の初期の作品のタイトルである。ニックネームをつけた人はそのことを知っているのだろうか。きっと知らないのだろう。
わたしはカーツ大佐ほどエキセントリックでもないし、大帝の名を冠するほどの権力も持っていない。
地球温暖化のせいで熱帯化が進み、こうしてジャングルと化した日本の奥山の中でひっそりと暮らすだけの年寄りだ。なるほどここには多くの人が移り住んできた。そして彼らはわたしが始めたこのささやかなクニを支持している。傍目にはわたしを王にかつぐ王国のようにも、教祖にかつぐ教団のようにも見えるのだろう。そう見えても不思議はない。けれど実態はそんな大層なものではない。
わたしは森での暮らし方をみんなにガイドしているだけだ。ジャングルと化した森は危険も多いが、生きていく上で必要なものは何でも手に入る。今となっては、わたしよりアウトドアやサバイバルに詳しい人がどんどん入植してくるので、わたしもみんなと一緒に教わっている状態だ。わたしはただ、古くからこの山に暮らす住人として、新しい入植者の面倒を見る世話役にすぎない。王でもないし、大帝でもない。たまたま若い頃に世間を逃れてこの山に住み着いて、他の人より少々土地勘と森での作法を身につけているだけの人間だ。
何かの折りに冗談で、「ジャングル大帝だって? 強いて言えば、居場所はたいていジャングルだけどね」と言うと、二人組の入植者の男性に「それはおれたちのネタです」とたしなめられた。彼らは東京の浅草で漫才師をやっていたらしい。それからふたりは、宮崎駿というアニメーション作家に関するネタを披露してくれた。とても面白かったが、手塚治虫に憧れてアニメーターになったという宮崎駿の風貌や、言い間違いのネタとして出てきたアニメーションのタイトルを知らなかったので、全部は分かりかねた。知っていればたぶんもっと楽しめたと思う。手塚治虫に関する部分だけはわかったので、きっとあんな感じで全編笑えたんだろう。
*
憲法については少しだけ思い入れがある。〈大災厄〉の前、まだ日本が統一国だった最後の頃、日本では憲法改定の国民投票でもりあがっていた。その頃わたしは、明治時代の日本で、大日本帝国憲法が制定される前に、全国数十箇所で憲法草案がつくられていたという話を聞いて感銘を受け、よし、自分もやってやろう、と仲間を募って私的な憲法草案を作り始めていた。
それは憲法と呼ぶにはとても素朴で、「ハコモノより人間を大切にする」とか「国民に対して国家を優先してはならない」とか「あらゆる自由を重んじるが、共に生きるコミュニティを破壊する自由はない」とか「歴史・伝統への敬意を払う」とか「経済的効率のみで判断してはならない」とか仲間内で思いつくままに書き出したものをまとめたささやかなルール集だった。議会や裁判所や行政についての細かい規定はないし、選挙に案する規定もなかった。「こんな国に住めたら誇らしく、前向きな気持ちになれる」という、自分たちが大事にしたいことをリストアップしたに過ぎなかった。
巨大隕石の落下が引き起こした〈大災厄〉によって環太平洋沿岸の地域が壊滅状態になったあと、多くの国々が国としての体裁をなくした。日本も、大津波に続いて頻発した地震や火山噴火などの自然災害と、それに伴って多くの発電所や工場が崩壊したことによる人的災害、さらには原因不明の病気が広まったことで大混乱に陥った。やがて分断されたエリア間で武力衝突が繰り返され、その果てに、6つの国家と数えきれないミニ独立国が割拠する状態になった。
人里離れてジャングルで暮らしていたわたしにはどれも遠い出来事だったが、やがて都市の混乱をきらった人々がわたしの住む山に移り住むようになってきた。
わたしにそんなつもりはなかったが、わたしの元に集まった人々もミニ独立国の一つと見なされている。そしてその大きな理由として「憲法を持っている」ことが挙げられている。怪我の功名といえばいいのか、何と言えばいいのかわからないが、その憲法の内容に共感する人が集まるおかげで、深刻なトラブルが生じにくい。このクニでは何を大切にしているのかが共有できているからだ。それぞれのクニが信じる憲法を掲げて、共感するクニを自由に選んで行き来できるようにすればいいのに、とわたしは思う。
「はっきり言ってオオヨソは」
とボケ担当の漫才師のHが言う。
「大帝ね。オオヨソじゃはっきりしなくなっちゃうよ」
とツッコミを入れる相方のT。
「だから大帝でもないって」
とわたし。これではまるでトリオ漫才だ。
「憲法とか作ってますけどあれは言わないんですか? チリトリ」
「ホウキね。戦争の放棄。ゴミじゃないからね。確かに捨ててることは捨ててるけど」
「わたしは、ちゃんとした憲法を作っていたわけじゃないから」
「あ!」とT。「ぼくらのボケツッコミはスルーしちゃうんですね。別にいいんですけどね、ぼくらもリハビリみたいなのでやっているだけですから」
「ダイキュウジョウというとぼくなんか後楽園球場を思い浮かべるんですよ。プロ野球が大好きなものですから」
「あ! キミはボケ続けるのね?」
漫才師のふたりには話すことができないけれど、わたしには、誇らしげに武力の行使を否定するような資格はない。なぜなら、わたしは人を殺めて逃げてきた身だからだ。国防軍の士官学校で教官を殺害して逃亡し、山に身を隠した。カーツ大佐に似ていなくもない。ただ、わたしの場合はカーツのような哲学的な動機はない。親友をいびり殺された復讐だ。カッとなってある夜、就寝中の教官を滅多刺しにして殺した。武力の行使を否定するどころか!
「テイタイは」
「だから大帝ね! 停滞してもらっちゃ困るでしょ?」
「低体温症はいつ頃からここにいるんですか?」
わたしはふたりを見て微笑む。
「もしも本当にジャングル大帝がいるとしたらね」唐突に話し始めたわたしを、ふたりは驚いたような顔つきで見返す。「ものわかりのいい、優しいライオンなんかじゃないと思うよ。さあ、そろそろジャングル大帝に会ってこなくちゃ」
わたしはきょとんとしているふたりに手を振って狩りのためにジャングルに入っていく。そう。ジャングル大帝はわたしではない。ジャングル大帝はジャングルに入っていったりしない。最初からジャングルに住んでいる。そして自然そのもののように穏やかで荒々しく、恵み豊かだけど躊躇なく命を奪う。もっともらしい理由も、弁解がましい言い訳もつけずに。
(「【ジャングル大帝】」ordered by 司田 由幸 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・夏休みはエンゲキ!舞台「ジャングル大帝」などとは一切関係ありません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます