第9話 【洗剤保育士】SFPエッセイ109

 選挙公報ウォッチを始めたのは、いまから5年ほど前のことだ。その年に行われた、ヤマテ国の首長選の選挙公報があまりにも面白いことになっていたことがきっかけだ。5年も前の話だし、多くは泡沫候補とされる立候補者にまつわる話なので、さすがにもう覚えている人は少ないだろう。簡単に振り返ろう。

 

 日本がまだ統一されていたころにも「落選王」などと呼ばれる選挙の常連がいて、トンデモな内容の広報を書いていたので、選挙公報が「面白い」のは何もその時に始まった話ではない。けれど、その年の首長選の選挙公報はとにかく突っ込みどころ満載だった。人種差別的なことを書いているとか、人権を蹂躙するようなことを書いているとか、そういうものもたくさんあったが、ぼくが反応したのはそんなものではない。

 

 ある候補は自分が所属していた団体へのうらみつらみを延々と書いていたが、それはヤマテ国とは全く関係ないテーマだった。なぜならその団体は国連に属していて、ヤマテ国はもちろん、連合日本国とすら関係ない話だったからだ。彼女は政見放送でもその一点に特化して──つまりヤマテ国には全く関係のない話題で──持ち時間を使い切った。ある意味、天晴れと言ってもいい。

 

 別な候補は、限られた紙面に、ありえないような小さな文字でびっしりと公約らしきものを書いていた。ぼくはそれを全文読み切った。2時間かかった。その経験から言って、おそらくあれを全文読み切った人は本人とぼくを除くと一桁にとどまると思う。あんなに読んでいて無意味でどこにもたどり着かず、心の闇の奥の奥で生煮えになっている怨念を感じさせるような文章を2時間かけて読み切る人がそんなにいるとは思えないのだ。

 

 ちなみにぼくはゲラゲラ笑いながら読んだ。ぼくはみんなが敬して遠ざけるタイプの人についても特別扱いは一切しない。面白いものは面白いのだ。リミッターの外れた精神の暴走は、離れて見ている分にはエンタテインメントだ。身近になると災厄だ。ゲリラ豪雨や激しい雷雨が、巻き込まれた人には災厄だが、安全な場所で観測する者にはエンタテインメントになるのと同じことだ。いや、こういうことを書くと、ドン引きする人もいるかもしれないですがね。とにかく、その候補者は、選挙公報史上に残る空前の文字数の記録を打ち立てた。

 

 また別な候補は、これはもう明らかに個人的な不安をどう解消するかについてのみ語っていた。「私の老後」と「孫の未来」。いいおじいちゃんなんだろうなということは伝わるが、それは政策でもなければ、ビジョンですらない。あなたとあなたの一族の幸福の話でしかない。ヤマテ国の大多数にとっては共感しようのない個人的な思いだった。

 

 さらに別な候補は、内容もさることながら驚くほどの誤字脱字だらけだった。ほとんどスラップスティック文学ではないかと思えるほどだった。なにしろ書き出しが「私ごアマと濃く首長選に立方補しるのは」である。念のために翻訳すると「私がヤマテ国首長選に立候補するのは」と書きたかったのだと思う。その後にも、あまりにも大胆不敵な誤入力誤変換が続くので、ひょっとするとこれはもっと別なメッセージを乗せた暗号文なのではないかと疑いたくなるほどなのだ。彼は「世界を蛙」と言い切っていた。もちろん、世界を変える、の誤変換だろうが。

 

 そこで、ぼくは広告の仕事仲間と一緒に「選挙公報ウォッチ」を始めることにした。

 

 その首長選の立候補者32人の選挙公報を一人ずつ俎上に載せて、純粋に「限られたスペースにおけるクリエイティブ」として批評し、場合によっては褒め、場合によってはくさし、時には「ここをこうすればもっと届くメッセージになったのではないか」とアドバイスをした。政策の内容は一切関係ない。ぼくやプロジェクトメンバーが、個人として誰を支持して、誰を嫌っているということとは全く関係なく、クリエイティブ作品として評価した。その完成度や、機能を批評したのだ。

 

 この時に行った32人分の選挙公報とその批評的分析は予想もしない形で話題になり、ぼくらの「選挙公報ウォッチ」は「プロジェクトそのものが現代美術作品である」としてもてはやされるようになった。

 

 その後のぼくらの活躍は、書くと自慢になるので押さえておくが、控えめに言って飛ぶ鳥を落とす勢い、ぶっちゃけて言えば天下無双となった。次の選挙では、ぼくらは投票日以前に「選挙公報ウォッチ」をはじめ、それは選挙への関心を劇的に高め、投票率は笑っちゃうほど上昇した。ぼくらのプロジェクトの亜流が無数に生まれたが、悪いけれどぼくらの足元にも及ぶものは一つもなかった。

 

 旧日本の6連合国のすべての選挙参謀が、ぼくらのところに相談しに来るようになった。ぼくらは彼らの持ってきた案を見て、くさし、こきおろし、法外な値段で修正を請け負った。だがまあ、ご存知の通り、それは長くは続かなかった。なぜならいくらぼくらが修正したって、落ちる候補は落ちるからだ。そうこうするうち、ぼくらの興味のありかも別なところに移っていった。

 

 ぼくらの関心は、あの最初の選挙、ヤマテ国の首長選の誤字脱字候補に戻って行った。もしも、あの選挙公報が、実は誤字脱字ではなく、文字通り見たまんまの政策を訴えていたのだとしたらどうだろう、と考え始めたのだ。

 

 こうして誕生したのがいまでは世界中で知らないもののない政策「洗剤保育士」だ。普通に考えれば、あの候補者は「資格を持っていながら、保育の業務についていない潜在保育士を活用すべきだ」と書こうとしたのだろうと推測できる。けれども、本当はそうでなくて言葉通り「洗剤保育士」の活用を考えていたのだとしたら? そこでぼくらは「洗剤保育士」が活躍する未来像を核に据えて、候補者の選挙公報を書き換えて公開してみた。

 

 ご存知の通り、「洗剤保育士」はいまや日本6連合国にとどまらず、世界の主要な国々で積極的に採用される最重要政策となっている。長年にわたって次世代の担い手の育成をどうすべきか、最も大切な投資であるべきなのに、世界中で後回しにされていたこの課題が、なんと「洗剤保育士」の登場で一気に解決に向かったのだ。

 

 我が世の春でしょう? とよく聞かれる。

 

 とんでもない。ぼくらはいま追い詰められている。世界がぼくらに期待するのはもはや「選挙公報ウォッチ」ではなくなってしまった。ぼくらは世界が抱える手詰まりの問題に対して、魔法のような解決策を提示する政策集団だと思われてしまっているのだ。ご期待にお応えしたいのは山々だが、ぼくらがやってきたのはあくまでもパロディ、よく言っても笑いを呼ぶ批評でしかない。そして書き換えたくなるような選挙公報は、あの時の候補者しかいないのだ。ぼくらは彼を探している。でも彼の行方は杳として知れない。また書いて欲しいのに。世界のどこにいても構いません。ぼくらのチームに加わりませんか? あなたになら、本当に世界を変える、いや、世界を蛙ことができるかもしれない。

 

(「【洗剤保育士】」ordered by Shiro Kawai -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・都知事選などとは一切関係ありません。

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