南海渡航11

 

 直感的に脳裏を過ぎった、継実の本能的感覚。それが正しい事を、現状分析を終えた理性の感覚で理解した。

 確かに自分達の身体は、吹き荒れる風によっても運ばれている。が、自分達の身体を巨大竜巻の方へと動かしている最大の力は、もっと別なもの。

 例えるならば『引力』。

 まるで巨大な惑星が存在しているかのような、抗いがたいベクトルが自分達の身体を襲っているのだ!


「ぐっ……!? 何、これ……!」


「不味い不味い不味い! ああ畜生!」


 困惑する継実の傍で、ツバメは更に取り乱していた。

 いや、取り乱すというよりは必死と言うべきか。今までにないほど激しく翼を羽ばたかせ、表情なんてない筈の顔を血相変えている。全力で我が身を襲う引力に抗おうとしているのだ。

 しかしツバメの努力は実らず、継実達の身体はどんどん巨大竜巻の方へと引き寄せられる。おまけにスピードは加速していく有り様だ。あたかも、自由落下で加速するかのように。

 何が起きているかは分からない。分からないが、何もしないと『不味い』事は確かだ。そして全ての事情を知っているであろう、ツバメに説明を求める時間がない事も。


「後でちゃんと説明、してよ!」


 継実はすぐにツバメの動きを手伝うべく、粒子操作能力を発動。自分達の周りにある粒子を操り、引力とは逆方向のベクトルを持たせ、自分達の背中を押させる。

 これこそが継実が空を高速で飛ぶ原理。その気になれば体重四十キロ超えの継実を時速四千キロで押し出せる力だが、しかし引力の強さは凄まじい。ツバメの力と合わせても、引力を振り払う事が出来ないでいる。


「ええい、空を飛ぶのは苦手だけど、やるしかないわね!」


 モモも事態を把握し、尾っぽの体毛を大きく、十メートルほどまで伸ばす。それから尻尾をぐるぐると回転させ、スクリューのように動かした。これはモモの飛行術。実は彼女も一応空を飛べるのだ……ふらふらと身体が揺れるし、四キロしかない身体をちょっと浮かせるのが精々だが。しかしそれでも多少は推力を生む。ミドリは手を真っ直ぐ伸ばし、バタ足で泳ぐように前へと進もうとしていた。ミドリのは最早空すら飛べない推力だが、何もないよりは幾分マシだろう。

 継実達もそれぞれが出来る事をして、ツバメの飛行を手助けする。しかし引力はそんな継実達を嘲笑うように、どんどん強さを増していった。


「(こりゃ、下手な抵抗をしても駄目か……!)」


 合理的な継実の本能は、自分達の努力を『無駄』と判断する。

 勿論、このまま大人しく死ぬつもりなどない。しかし無駄な抵抗で体力を消耗しては、いざチャンスが巡ってきても何も出来ないだろう。努力というのはなんでも報われるものではなく、状況に適したものだけが意味を成す。

 今の自分達に出来る努力は、引力に抗って体力を消耗する事ではない。可能な限り体力を温存し、引力に導かれるまま引き寄せられて……

 元凶が見せた顔に、一発どかんと拳を叩き込む!

 それで怯んだ隙にすたこらさっさと逃げるのだ。なんとも野蛮で低脳で脳筋な発想であるが、しかし現状、これが一番生存率の高い方法だと継実は試算した。


「ツバメ! 飛ぶのは一旦止め! 元凶を一発不意打ちでぶん殴るしかない!」


「はぁ!? お前、どう考えてもあのデカい竜巻の中はヤバいだろ! 誰も生かして帰さなかった絶対に奴がいる! ここで逃げなきゃ……」


「そりゃアンタ達ツバメが一匹だけじゃ、でしょ! 今は私達が居る!」


 拒むツバメを継実は説得する。モモは既に尾を縮まらせており、ミドリも泳ぐのを止めていた。

 家族達は継実を信用している。信じていないのは昨日出会ったツバメだけ。

 初対面の人間が話す案を、簡単には信用出来ないだろう。しかし継実は確信している。ミュータントは感情的に見えて、どいつもこいつも合理的。より利する案を出せば、必ず理解してくれる。

 例え、ツバメであろうともだ。


「……ええぃ、ままよ!」


 継実の確信は、ツバメが羽ばたくのをぴたりと止めた事で証明された。

 途端、継実達の身体は猛烈な速さで巨大竜巻の方へと引き寄せられる! 秒速十キロを軽く超えるような、凄まじい速さだ。ツバメの抵抗がなければここまで加速するのかと、継実の方に冷や汗が流れていく。

 正直ここまでのパワーとは思わず、相手の強大さに不安が過ぎった。されど今更作戦の撤回なんて出来ないし、したところでなんだと言うのか。どうせ駄目なら、一か八かの方がマシというものだ。

 不安はすっぱりと切り捨て、継実は前を見据える。

 ツバメ共々継実達が巨大竜巻に突入したのは、それから間もなくの事だ。


「ばふっ!? あぶぶぶ!」


 竜巻内に突入した直後、ミドリが溺れるような声を漏らす。竜巻の激しい気流故に、空気を吸い込む事すら上手く出来ていないようだ。

 たかが竜巻程度で、と言いたいところだが、此度に限れば継実も同じ。能力で空気分子を口周りに確保しようとしても、荒れ狂う気流の流れに押し出されてしまう。無論ただの竜巻ならこんな結果にはならない。

 こんな事になるのは、この巨大竜巻の回転速度がツバメの飛行速度すら上回っているからだ。空気を操る術に関しては継実よりも上手のツバメさえも翻弄されるのだから、継実の力でどうこう出来るものでもない。ましてやミドリは言わずもがな、というものだ。

 とはいえ半端に出来てしまうよりは、何も出来ない方が幾分マシだとも継実は思う。

 何故ならこの巨大竜巻の内部は、かなりの高温に達していたからだ。肌の感覚から判断するに凡そ一千五百度前後。鉄さえも溶け出す超高温である。竜巻に巻き込まれた大気や水が凄まじい速度で擦れ合った結果、猛烈な摩擦熱が生じているのだろう。こんなものをなんの対策もせずに吸い込めば、呼吸器なんて一瞬で灰と化す。

 加えて摩擦により莫大な量の静電気も生じ、あちこちで雷撃が迸っている。巨大竜巻の中は暗黒に満ちていたが、雷撃が頻繁に通るのでむしろ眩しいぐらい。口を開けて電気の通り道を晒そうものなら、一瞬で通電するだろう。

 継実のようにちゃんと抗える力があるなら別だが、ミドリのように索敵特化ならば、何もしないせずに息を止めている方が恐らく安全だ。勿論継実が助ければなんの問題もないが……今は、あえて助けない。


「くっ……この……!」


「ぐぬぬぬぬ……!」


 呼吸すら儘ならないほどのパワーに、モモとツバメも呻く。呼吸の困難さもそうだが、二人は他の面子と離れ離れにならないよう、纏める事にも力を費やしていた。ろくに息も出来ない状態での作業が、苦しくない筈がない。

 継実も手伝えば、少しは二人を楽に出来るだろうが……ちらりとモモが向けてきた視線から、継実は力を使わないでおく事を決めた。

 全ては体力を温存するため。これから起きるであろう戦闘では、身体が一番大きな継実が要になるのだから。

 荒れ狂う暴風の中を継実達はじっと堪え忍ぶ。その中であっても引力は働き、守りに徹する継実達を奥へ奥へと導き……

 やがて、ぼふんっというある意味間の抜けた音と共に、継実達は竜巻の『深部』に辿り着く。ツバメは悠々と空を飛び、モモはぶるりと身体を震わせ、ミドリはぎゅっと閉じていた目を開く。継実もすぐに全員の気配を探り、皆が無事竜巻を抜けた事を確かめる。

 そう、全員無事だ。しかしこんなのは当たり前の結果。確かにちょっとばかりしんどい環境だったが、ミュータントを殺すにはまだまだ足りない。七年もミュータントとして生きてきた継実は、ちゃんと自分達の力量を分かっていた。

 なのに。


「(……天国?)」


 継実は一瞬、自分があの世に来てしまったと錯覚する。

 巨大竜巻の中は、あまりにも静かだった。無音と言っても差し支えない。波の音色も、風の音もなく、ただただ静寂だけが満ちるのみ。まるで、音などという『無粋』なものを許さないが如く。

 そして目の前の光景が、心の声すらも黙らせた。

 見上げてみれば竜巻は遥か空高くまで伸び、恐らくは積乱雲を貫いて、空まで届いていた。天頂にはぽっかりと穴が開き、美しい青空が見える。光を浴びた竜巻は淡い茜色に輝き、天界を彷彿とさせる美しさを醸し出す。無風の領域は直径五百メートルほどあり、その周囲をぐるぐると回る竜巻の壁が真っ直ぐと伸びている。竜巻が壁のようにそびえる様は、神話の建造物を思わせた。

 自然というものは、元より人智を超えたもの。されどこの光景は、最早自然さえも凌駕した美しさを宿している。

 神様なんて、継実は信じていない。そんなものがいるなら、きっと世界はこんな風にはなっていないから。

 だけど、此処にはもしかしたら――――


「なぁにボケッとしてんのよ継実!」


 モモの呼び掛けで、継実は我に返る。

 ケダモノはこの光景に神秘など感じていない。そうだ、感じる方がおかしいのだ。

 この『神々しい領域』を生み出したのは、自分達と同じミュータントなのだから。


「ぐぅ……!?」


 継実が正気に戻った、途端、身体に強烈な引力を感じる。いや、最初から引力はあった筈。幻想的な風景に頭をやられ、身体の感覚さえも狂わせられたのだ。

 此処に広がるのは神秘の景色なんかじゃない。獲物を惑わし、落とし、仕留めるための罠に過ぎない。神などいない野生の世界に、無為な美しさは不要である。

 野生を取り戻した継実は足下に目を向ける。ツバメもモモもミドリも、全員が真下を見た。自分達の引き寄せられる先にこそ、この積乱雲を生み出した『ケダモノ』がいる筈だから。

 その予感は的中する。


「ちょっとちょっと、なんだってコイツがこんな場所にいんのよ……」


 悪態染みた、モモの独り言。宇宙人であるミドリはピンと来ていないようだが、継実としては同意したくなる。

 だが、モモのそれは意味のない疑問だ。

 独り身のツバメが自棄になって夏場に南へと戻り、草原にウシガエルが進出し、そして生身の人間が大海原を飛んでいるこの世界。七年前大昔の人間が記録した生息域なんて、もうなんの役にも立ちはしない。北太平洋に棲まうこの鳥が赤道付近の海まで南下していたところで、最早異常でもなんでもないのだ。

 だから継実は、すとんと理解した。

 自分達が落ちていく先に居る大柄な鳥――――アホウドリが、この暴風雨を作り出した元凶であると。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る