旅人来たれり13

 継実は空を飛んでいた。ただし背中を地上に向け、フィアから遠退くように。

 何故自分はこんな、ヘンテコな飛び方をしているのだろう? というよりなんで自分はフィアから離れようとしている?

 そうしようだなんて理性どころか本能的にも思っていない行動に、割と本気で戸惑う。しかしながら疑問は、何十メートルと空を飛んだ頃になってようやく脳に伝わってきた痛みにより解決した。

 

 試合開始と共に継実の足下から飛び出してきた、半透明な触手に!


「ふはははは! 隙だらけですねぇ!」


 初手の攻撃が成功して嬉しかったのか、フィアは上機嫌な高笑いを上げる。試合開始と共にそそくさと後退していた花中に睨まれても、気付いてすらいない様子だ。尤も音速以上の速さで吹っ飛ばされた継実に、フィアの笑い声は届かない……届いたところで一々苛付く暇もないが。

 仮に苛付くとするなら、自分に対してだろう。

 フィアは試合開始前から、勝利のための準備をしていたのだ。継実達が遊びで煽る中、同じく遊びで煽りながら触手を地中に這わせるという形で。

 試合前から罠を仕込んでいたといえば、『人間的』な観点に立てば卑劣だの姑息だのという意見が出てくるだろう。しかしそれがなんだというのか。勝たねば食い殺されて終わるのが食物連鎖の掟。姑息だのなんだの、そんな『プライド』にしがみついたところでなんの意味もない。

 勝てば良い。これが自然の掟だという事は七年間で嫌というほど思い知り、実戦していたというのに。ちょっと理性的な触れ合いをしただけですっかり忘れるなんて、間抜けが過ぎるというものだ。


「(ああ、全く……反省しなきゃねっ!)」


 様子見の一発だったからか、それとも花中が提示した条件を気にした結果か。触手に殴られた痛みはそこそこでしかなく、行動に支障はない。粒子操作能力により大気分子を制御。継実は空中でくるりと体勢を立て直す。

 距離はざっと百五十メートルは離されたが、ミュータントにとってこの程度は至近距離。継実だってその気になれば一ミリ秒と掛からず詰められる。

 それに、こちら側の一発目をお見舞いするのは継実の役目ではない。


「隙だらけなのはどっちかしら!」


 既にフィアの背後に回っている、モモの仕事だ。

 モモは全身から稲妻を迸らせている。生み出した電気エネルギーが体毛に溜め込みきれず、溢れ出しているのだ。放たれる稲妻は何本もあり、一つ一つが天然の雷さえも比にならない出力を有す。

 フィアの意識が継実に向いているうちに、可能な限りエネルギーを充填したのだろう。とはいえあの巨大ミミズ相手にも、モモの電撃は殆ど効いていなかった。その巨大ミミズと真っ正面から殴り合えるフィアに、この程度の一撃が通用する筈もない。普通ならば気にも留めないだろう。


「――――ちっ」


 しかしフィアは振り向いた。忌々しげに顔を顰め、舌打ちまでして。そしてフィアはぐるりと、背後に居るモモの方へと身体を向ける。

 『その場から一歩も動かない』。

 花中が試合前に、フィアだけに課した条件の一つ。これを破ったなら ― 試合の趣旨から外れるとはいえ ― 継実は自分達の勝ちを主張しても良いだろうが……残念ながらフィアは未だルールを破っていない。

 彼女の胴体は腰の辺りで、のだから。

 フィアは後ろに立つモモを正面に見据え、掴み掛かろうとしてか片手を伸ばす。しかしモモの方が僅かに早い。


「ガァッ!」


 小さな咆哮と共に、モモは全身に溜め込んだ電気を一気に解放した!

 弾けるスパークにより、草原が閃光に包まれる。まるで地上に太陽が出現したかのような、途方もない眩さだ。

 超高出力の電撃は、世界の有り様すら変えていく。あらゆる分子が撒き散らされた電気エネルギーの影響で崩壊し、大量の放射線をばらまいた。放射線は他の分子に衝突するや崩壊させ、新たな放射線を生み出す。反応は瞬く間に広がり、世界そのものを蝕んだ。そうして放射線と共に撒き散らされた電子を電流により『整列』させる事で、更に多くの電気エネルギーを加算。モモ自身が放った電撃を、何倍もの出力にパワーアップさせていく!

 『浸食電流ワールドエンド』。モモが編み出した、強敵用の大技だ。ちなみに名付け親は継実である……モモはその技名を叫んでくれないが。

 七年前ならば、これだけで地球生命を大量に絶滅させたであろう一撃。されどミュータントとしては平凡な力でもある。普段獲物にしているような生物なら蒸発して跡形も残らないだろうが、巨大ゴミムシやヒグマ相手ではちょっと仰け反らせるのが精いっぱい。

 フィアほどの力の差があれば、弾かれてしまうのが『正しい結果』だ。

 だが、現実に起こった事象は少々異なる。


「……小賢しい」


 やがて周辺の大気分子が全て陽子と中性子へと変化し、放電が収まった時、フィアがぽそりと独りごちる。

 未だフィアは健在。されど無事とは言い難い。

 何故ならフィアが伸ばそうとしていた片腕は、肘から先が吹き飛んでいたのだから。半透明な断面が剥き出しとなり、ぐねぐねと、軟体生物のように蠢いている。

 フィアは痛みに苦しむ素振りを見せていないが、腕が吹き飛ぶというのは明確なダメージ。巨大ミミズも巨大イトトンボも容赦なく倒し、無敵に思えたフィアに継実達は初めて『傷』を与えたのだ。


「どう? もう五秒経っちゃったけど?」


 ついでに、試合開始前の宣言も台なしにしてやった。

 モモの挑発にフィアは怒りを露わにする事もない。それどころか「確かに」と納得するように呟く。


「ふん」


 そんな会話を交わした直後、なんの前兆もなくフィアの腕が『再生』。生えてきた腕を躊躇いなく振るい、モモの胴体を薙ぎ払うように殴った。


「がふっ!? く、のぉ!」


 殴られた瞬間、呻きを漏らしつつもモモは反撃の放電。しかし今度は出力が足りなかったのだろう。フィアの腕が吹き飛ぶ事はなく、モモはあえなく殴り飛ばされてしまう。

 五十メートルも飛ばされたところで、モモは体毛を伸ばして地面に突き刺す。慣性で彼方まで飛んでいこうとする身体を、強引に引き留めた。


「モモ! 大丈夫!?」


「このぐらい平気よ! そっちこそ頭殴られてたみたいだけどどうなのよ?」


「あのぐらい、なんて事ない!」


 継実はすぐにモモの傍へと移動。軽口を叩きながら互いの無事を確かめ、二人は並び立つと同時にフィアを注視。

 フィアは上半身をぐるりと継実達と向き合う。そう、間違いなく一回転したのだが……フィアは身体が捻れた事など気にも留めていない様子。いや、身体だけでなくその身に纏う豪華なドレスのような服にも、捻れた痕跡すらない有り様だ。

 まるで一回転した後、捻れた部分だけが溶けて直ったかのよう。

 実際その通りなのだろうと、継実は確信した。他ならぬモモの攻撃によって。


「やっぱり、アイツの身体は『水』で出来てるみたいね」


 自身の攻撃により確信したモモが同意を求め、同じ考えである継実は大きく頷く。

 そしてフィアもそれを認めるかの如く、けらけらと笑う。


「ほほう私の能力に気付きましたか。成程昨日私の狩りを見たいと言ってきたのは探りを入れるためでしたね。まんまと騙されてしまいましたよ」


「えっ。あ、うん」


 なお、あんなあからさまな諜報活動の真意に、フィアは今になってようやく気付いたようだが。「その通り!」とばかりにモモが胸を張っていたので、野生動物的にはあんなのでも極めて高度な作戦行動らしい。こんな連中に為す術もなく支配者の地位を明け渡したと思うと、元文明人である継実としては物悲しくもなってくる。

 勿論、予想が当たっていた事は素直に嬉しい。

 昨日の狩りの時、フィアが繰り出した『糸』は水で出来ていた。

 水を含んでいた、ではない。多少の不純物は混ざっていたが、大部分は一般的な真水だ。フィアは極限まで密度を高めた水を糸のように振り回し、イトトンボを縛り上げ、引き裂いたのだと継実の目は見抜いたのである。そして『糸』は元々、フィアが繰り出した半透明な触手。ならば触手も水で出来ていたと考えるのが自然であり、そしてその触手はフィアの足下から伸びていた。

 フィアの能力は水を操る事。極めて単純に考えれば、これが答えだ。

 これならば、フィアが披露した様々な『不思議』の謎が解ける。水で出来ている身体なので柔らかくすればなんでも通り抜けるし、密度を上げて引き締めれば金属よりも硬くなる。自在に変形し、裂く事だって自由。万一壊されても、水があるだけでいくらでも再生してしまう。更にモモのような体毛すら使っていない、自分の細胞が一片も混じっていない代物であるがために、どれだけ傷付こうとも本体にダメージは一切入らない。肌や髪の色などは、恐らく構造色により表現しているのだろう。

 ハッキリ言って、ズルい。ミュータントの能力は割となんでもありだが、フィアは特に出鱈目だ。こんなにも多彩な使い方が出来る能力は、この草原に暮らす生物には見られない。もしもフィアが狩りの時に『糸』を繰り出してくれなければ、能力を探るのすら一苦労だった筈だ。

 しかしタネが分かれば、対抗策はいくらでも閃く。

 例えば電気分解。水に電気を流せば水素と酸素に分解される……というのは中学の理科の実験でやるところ。退である継実も、ミュータント化と共に何処からか頭に入り込んできた知識によりこれを知っている。水は電気に弱いのだ。世界的に有名だったモンスター捕獲ゲームと同じく。

 ましてやモモが繰り出す電撃は、雷の数十倍の出力を易々と超えていくもの。フィアは恐らく水の純度を高めるなどして抵抗性を増幅し、これになんとか耐えたようだが……腕一本でも吹っ飛ばせれば御の字。付け加えると、電撃を放とうとしたモモにすぐさま襲い掛かった事から、電気が弱点というのは間違いあるまい。

 電気攻撃以外にも作戦はまだまだある。パワーと多彩さでは遅れを取っても、知恵でいくらでも穴は埋められる。かつての人類が、そうやって世界中に広がったように。


「念のために言うけど、今のはほんの挨拶。まだまだ作戦は他にもあるよ」


「私達のコンビネーションアタックを受けたら、アンタの身体なんて一発で吹っ飛ばしちゃうかも知れないわねぇ?」


「怖くなったら、ご自由に逃げてね。そこから一歩でも動けば良いから」


 こっちの勝ちは決まったとばかりに、継実とモモはフィアを挑発。じりじりと距離を詰めながら、フィアに降参を迫る。

 ――――尤も、これでフィアが降伏するなんておめでたい考えが現実になるなんて、二人はこれっぽっちも思っていない。

 確かに電撃はフィアの弱点だろう。実際に効果もあった。この世界が所謂ライトノベルで、能力者の実力がある程度拮抗しているという『ルール』があるなら、間違いなくこれで追い込む事が出来た。

 生憎、生物の力関係にお上品な『ルール』なんてものはない。

 ゾウとアリの力の差が埋めようのないものであるように、イワシがどれだけ群れを成そうがクジラに一呑みにされるように、巨木の日陰の下では小さな花が育たないように……生物の世界ではどうにもならない力の差が存在する。相性を突こうが力を束ねようが、それを一踏みで蹂躙する理不尽が許される。あらゆる努力を、天才を、才能を、何もかも覆してしまう不条理が跋扈する。

 フィアと継実達の間にあるものも、それだ。


「いやはや本当に素晴らしい。正直私にダメージを与えるなんて思いもしませんでしたよ……あなた方のような虫けら風情が」


 パチパチと手を叩き、フィアは祝福と侮辱を同時にする。

 いや、どちらの意味もないだろう。

 フィアは思った事を言っただけ。これを聞いた相手がどう思うとか、どう考えるとか、そんな小難しい事は一切考えていない。やりたいようにやる……生きたいように生きているだけ。

 そして相手が自分と同じ気持ちを抱いていても、容赦なく、なんの躊躇いもなくへし折れる。

 それは純然たる自然の権化。理不尽と不条理、無慈悲と暴虐を詰め込んだ、生命そのもの。しかしそれは決して奇跡でもなければ不幸でもない。何故ならそんなものは、

 即ちフィアは、旅立った自分達が幾度も直面する事になる『日常』でしかない。


「正直退屈なだけかと思っていましたが……ようやく少しは遊べそうですねぇ」


 フィアが、笑う。

 継実達の背筋が凍る。

 この星で繰り広げられる野生生物達の本当の『日常』が、ぬるま湯に浸かっていた継実達に降り掛かろうとしていた。

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