第120話

 やっぱり『僕』はぬいぐるみの姿でいるべきだ。

 そもそもマギシュヴェルトは、男性が魔法を使用することを禁じている。また修行のため、『僕』に制限を貸す意味もあるらしい。だからこそ、『僕』は女児アニメでありそうな『魔法の国の妖精』という姿を借りていた。

 それに加え、里緒奈たちの殴る・蹴るがエスカレートしつつある。

 ぬいぐるみの身体ならフワフワで軽減できるものの、人間の身体ではさすがに痛い。一応、彼女たちも『僕』が人間の時は遠慮してくれるようだが。

 そんなわけで、その夜も『僕』はぬいぐるみの姿で過ごしていた。50センチ大のぬいぐるみには大きすぎるベッドで寝転び、何気なしに天井を仰ぐ。

「ふう……」

 正念場の夏が近づきつつあった。

 SHINYが今の勢いを維持できるか、さらなる高みを目指せるのか、それとも失速するのか。まさしく大事な局面に差し掛かっている。

 余所のアイドルもこぞって活動に本腰を入れてくるだろう。

 しかし焦りや無理は禁物だ。SHINYのメンバーはまだ高校一年生、学校もある。仕事量にもそれなりにブレーキを掛けていた。

「心身のケア、かあ……」

 それでも夏休みに入れば、仕事は目白押し。どうしても長丁場になる。

 身体的な疲労は魔法で軽減できるにしても、今後はメンタル面のフォローも欠かせなかった。そのために効果的と思われるのが――。

(何かとアプローチ掛けてくるよね。里緒奈ちゃんも、菜々留ちゃんも……)

 人間の姿で彼女たちを抱き締めること。

 『僕』のハグはメンバーに大きな活力を与えている。

 実際、お風呂でニャンニャンを経験してからというもの、里緒奈たちの仕事ぶりが目に見えて変わってきた。自信に溢れ、その才能を発揮させつつある。

 もっと抱き締めれば――。

「いやいやっ! 何考えてるんだ!」

 浅はかな雑念を振り払い、『僕』はひとり悶々とした。

 そんな堂々巡りをノックの音が遮る。

「兄さん、いるの?」

「あ……美玖か。入っていいよ」

 応答すると、制服姿の美玖が遠慮がちに部屋へ入ってきた。

 その顔立ちからして、新メンバーのキュートと同一人物なのは間違いない。しかし『僕』はそこに触れず、無難な挨拶で迎える。

「ゲートを通ってきたの?」

「そうよ。もっと早く繋ぎなおしてもらえば、よかったかも」

 SHINYの寮と『僕』たち兄妹の実家はゲートで行き来できるようにしておいた。これで美玖もマネージャーとして活動しやすくなる。

 ――というのは表向きの理由だ。

「ゲートを使えば、登校もラクだぞ~」

「でしょうね」

 通学のためでもない。

 妹がキュートとして動きやすいように、便宜を図ったわけで。ゲートを活用すれば、自宅で美玖、寮でキュートという兼ね役も容易になるはず。

 美玖は『僕』の部屋を見渡すと、肩を竦めた。

「にしても……殺風景な部屋ね。てっきりMOMOKAのポスターでも張ってるものと思ってたのに」

「服がないからじゃない?」

「あぁ、確かに。兄さん、普段は丸裸だものね」

 魔法使いの『僕』には異次元ボックスがあるおかげで、部屋が散らかることはない。

 ベッドもぬいぐるみの身体では一部しか使わないため、綺麗なものだ。

 美玖が壁のボードに目を留める。

「このプリメ……」

 そこには里緒奈たちと撮ったプリントメートが貼ってあった。

 先日は『僕』の三股デートを証明してしまった物的証拠だが、その罰として、ボードに貼るように指示されている。これを見るたびに反省しなさい、ということか。

 美玖の視線も冷ややかに。

「ほんっと、兄さんは……全員とこっそりデートしてたなんて」

「あ、あれはその、なんというか……ゴメンナサイ」

 今さら弁解の余地などなかった。ぬいぐるみの『僕』は美玖の目線で頭を下げる。

 美玖は溜息をつくと、淡々と『僕』に言い聞かせた。

「はあ……そうじゃなくって。新メンバーがこれを見たら、怒るわよって話」

「え?」

 その物言いが『僕』を唖然とさせる。

 何しろ、妹の美玖が初めてキュートに言及したのだから。自ら正体を暴露しかねない、危なっかしい言動に思える。

(キュートの話題……いいの?)

 半信半疑になるものの『僕』は、ふたりの妹は別人という前提で答えた。

「怒るかな? キュート。やっぱり」

「あれだけ兄さんにご執心なのよ? 里緒奈や恋姫とはこんなふうにデートしてるのに、キュートには何もサービスしないなんて……今に我慢の限界が来るわ、あの子」

「よく知ってるんだなあ、キュートのこと」

 つい探りを入れる言いまわしになってしまったが、美玖の表情に動揺の色はない。

「マネージャーだもの。兄さんのほうからも、キュートのことお願いね」

 そう念を押し、美玖は部屋を出ていった。

 短すぎるスカート丈については今夜も指摘できずに終わる。

(ああやって短くするのが、流行ってるんだなあ……まあいいか。女子校だし)

 何気なしに『僕』はボードのプリメに目を遣った。

 どのプリメでも、人間の『僕』が里緒奈や恋姫、菜々留とツーショットを決めている。仲のいい兄妹――よりも、むしろ恋人同士といったほうが自然なくらいに。

「お兄ちゃ~ん!」

 今度はキュートが元気いっぱいに部屋へ飛び込んでくる。

「キ、キュート? どうしたの?」

 今しがた美玖と会っていただけに、『僕』は反射的に構えてしまった。しかしぬいぐるみの身体では、虚勢にすらならない。

「きゅーと、お兄ちゃんとお喋りしようと思ってぇ」

 キュートは難なく『僕』を拾い、胸の高さで抱きあげた。華奢な腕の中、巨乳とぎゅうぎゅう詰めになって苦しい。

「べ、別に僕を抱っこしなくても……」

「これがいーのっ。それにぃ、きゅーと、お兄ちゃんのお部屋まだちゃんと見てなかったなあって……むむっ?」

 アイマスク越しの視線がボードに焦点を合わせた。

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