第93話

 あとは寝るだけ――桃香が頬を染め、もじもじと指を編む。

「あ、あのっ、Pさん……十分待ってから、モモのお部屋に来てくれますか?」

「うん? 構わないよ、十分だね」

 『僕』は二つ返事で応じつつ、壁の時計を見上げた。

 ベッドは桃香の寝室にしかないため、今夜は一緒に寝ることになる。『僕』に見られてはまずいものを隠したいのかもしれない。

 やがて十分が経ち、『僕』は桃香の寝室を訪れた。

「入るよー? 桃香ちゃん」

「はい。どうぞ」

 扉を開けると、視界の色が変わる。

 天井の蛍光灯ではなくルームランプが灯っているせいらしい。寝室はピンクともオレンジとも明確に区別できない淡い色で染まり、ムーディーな夜を演出していた。

 大きめのベッドには今日の放課後にも会った、魅惑のバニーガールが腰掛けている。

「モモのお部屋へようこそ、Pさん……」

「も……桃香ちゃん?」

 『僕』はぬいぐるみの顔で目を点にした。

 ベッドの上にはビデオカメラも。『僕』たちが撮影の練習に使っていたものだ。

 桃香ウサギは爆乳に乗せるように両手を添え、まなざしに期待を込める。

「Pさん、今夜は撮影の練習……付き合ってくれますか? ウサギさんのモモ、Pさんにいっぱい撮って欲しいんです」

 カメラの前で怖気づかないようにするための――それはわかっていた。しかし桃香はモデルとして立派な成長を遂げ、この練習はとっくの昔に必要なくなっている。

 それでもプロデューサーに甘える手段として、彼女は『僕』に練習を要求した。『僕』も追及はせず、桃香の願いを聞き入れる。

「桃香ちゃんはどんなふうに撮って欲しいの?」

「今日のカメラマンさんより、あの……恥ずかしい指示をください。モモ、Pさんのためなら、どんなポーズだって頑張っちゃいますからぁ……」

 ふたりだけの撮影会が始まった。



 その写真の数々に目を通し、里緒奈たちが憤慨する。

「Pクンっ! 何よ、これ?」

「バニーガールの格好まで……桃香さんが何でも言うこと聞いてくれるからって」

「見下げ果てたプロデューサーですね。そんなにセクハラがお好きですか」

 ものの数秒で、ぬいぐるみの『僕』は壁際まで追い詰められた。

「ま、待ってよ? これは本当にグラビア撮影の練習で……」

 SHINYのメンバーはさらに距離を詰めてくる。

「面白いこと言うのねぇ、Pくん」

「騙されるわけないでしょ! いい加減、白状したら? 桃香さんとはどんな関係?」

「最近ヨリを戻したわけでもなく、ずっと続いてたんですよね?」

 どうやら『僕』と桃香が恋仲にある、と勘違いしているようだった。

 幸いにして、今回は美玖が庇ってくれる。

「ハッキリさせておかない兄さんが悪いのよ。いっそ呼んで、確かめれば?」

「え? あ……そうか」

 里緒奈たちは首を傾げる中、『僕』は一旦廊下へ出た。

 人間の姿に戻って、適当に服を着る。

「どうしたの? Pクン、急に戻ったりして……」

「まあまあ。美玖、悪いけど、電話で桃香ちゃんを呼んでくれる?」

「その声じゃ誰かわからないものね」

 美玖が電話を掛けて、数分後、隣のマンションから桃香が駆けつけてきた。

「お邪魔しまぁす! お呼びですか、Pさん」

 満面の笑みを浮かべ――しかしリビングの面子を一瞥すると、残念そうに肩を落とす。

「Pさんはいないんですね。……あ、ごめんなさい。挨拶もしないで」

「いいわよ。桃香さんは兄さんにぞっこんだものね」

 しれっと答えるのは美玖だけで、里緒奈たちは呆気に取られていた。

 桃香が人間の『僕』を見つける。

「ところで……そちらの男の子は? 美玖さんに少し雰囲気が似てるみたいですけど」

「イトコなんです。SHINYのファンで、その……」

「そういうことでしたか。わかりました、誰にも言いませんので」

 これが真実だった。

 桃香は『僕』の正体が人間の男子だということを知らない。昨晩はかいがいしく『僕』の世話を焼いてくれたのも、プロデューサーを純粋に慕ってのこと。

 もしかしたら、大のぬいぐるみ好きなのかもしれない。

 だから間違いが起こるはずもなかった。

 恋姫が脱力する。

「そうだったんですか……」

 里緒奈や菜々留も肩透かしを食ったように呆れた。

「グラビアモデルとぬいぐるみ……なるほどね」

「ナナルたち、何を怒ってたのかしら」

 『僕』にしても、今さら彼女に正体を明かそうとは思っていない。桃香の手前、迂闊なことは喋るまいと口を噤んだ。

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